goo blog サービス終了のお知らせ 

忘内容怪毒 

江戸古典

萬の文反古

2010-10-29 | 日記
『萬の文反古』井原西鶴  麻生磯次 富士昭雄 訳注 明治書院
  
 破産した従弟が江戸へ下る路銀30匁の借金を断った者が、やがて家計が苦しくなり、自分も江戸で一旗上げたいので宜しくと従弟へ手紙を書く。その返事がすごい。「おのおのの心底、親類とは申しがたし。・・・」ではじまる借財に行った時の対応ぶりを記し、「お内儀まざまざと留守つかひ候は、今に今にわすれ申さず候。」と明記する。江戸に出て来た時の倹約の仕方を「まづ朝は七つ(午前4時)起きして、自鬢に髪をゆひ・・・」からこまごま述べる。この通りできるなら「我等元銀取替、口過の成申し候やうにいたししんじ申べく候」と厚意も示す。しかし評者が記しているように、「この書付の通りかせがば、はるばるの所をくだりゆくまでもなし。大坂にても口過の成事なり。」といえる。(巻4の2)「この通りと始末の書付」晩年の西鶴の描写の厳しさがのぞく。
 遊女の口説の手紙とされるものがある。(巻5の3)「御恨みを伝へまいらせ候」。売れっ子の遊女「白雲」が「われらは一日も御目にかからずば、この身を立申さず候。女にはにあいたる剃刀御ざ候。」と書き付ける。「・・・ひだりの手のひぢに、かたさまの年の数二十七迄の入ぼくろ(入墨)、右ふとももにきせる焼、爪をはなさせ、小指を切らせ、血染めのふくさ物・・・」の心中立て、「いかにしても世上が立申さず候」の女良の迫力にぞっとするものがある。
 その他 仙台在住の既婚男子が京都にあこがれ、女房をおいたまま上洛、以後17年間に23人女房を取替え身代をつぶした町人の手紙(京にも思うやう成事なし)などの悲哀ものもあるが、そうじてぎりぎりの人間の感情が表されている。但し一部書簡は団水等の作という。


 

 

最新の画像もっと見る