
『武家義理物語』 訳注 麻生磯次 富士昭雄 明治書院
西鶴のいわゆる「武家物」は一般的には低調といわれているようである。本書の物語も衆道あり、遊女あり、役人のお節介ありで「武家義理」に統一されているとはいえない。しかし趣のある話が多く西鶴の切り口が知れる。
武士道の本筋を説いた「発明は瓢箪より出る」(巻三-1)は、昔は酒を断って逃げるのか、といわれたら武士の一分が立たぬといって切り合いになるのが当り前だったが、それは命を軽んじるものでいざという時主君のために働けないから「天理にそむく大悪人」であると西鶴はいう。「近代は、武士の身持、心のおさめやう、格別に替れり」と貞享期に言っているのが面白い。
「せめては振袖着て成とも」(巻四-2)は元服後に枕をむすぶという衆道物で異様な感がするが、「これぞ衆道のまこと成心ざしぞかし」と西鶴は結ぶ。
七十近いおやじと二十八前後の麗しき美女とがやむを得ない事情から同居するが、おやじは美女のさる公家との結婚話に身の潔白を証明するため腕を切り落とすという凄惨な話がある(「表むきは夫婦の中垣」巻六-2)。おやじは今はなき美女の父に仕えていたからそれへの義理立てとして西鶴はこれをあげたのだろうが、柳下恵の説話との出典解説がある。「りちぎも物によれと、左の足をうちもたせ・・・」のおやじの肉欲との葛藤描写が泣き笑いものだ。
西鶴のいわゆる「武家物」は一般的には低調といわれているようである。本書の物語も衆道あり、遊女あり、役人のお節介ありで「武家義理」に統一されているとはいえない。しかし趣のある話が多く西鶴の切り口が知れる。
武士道の本筋を説いた「発明は瓢箪より出る」(巻三-1)は、昔は酒を断って逃げるのか、といわれたら武士の一分が立たぬといって切り合いになるのが当り前だったが、それは命を軽んじるものでいざという時主君のために働けないから「天理にそむく大悪人」であると西鶴はいう。「近代は、武士の身持、心のおさめやう、格別に替れり」と貞享期に言っているのが面白い。
「せめては振袖着て成とも」(巻四-2)は元服後に枕をむすぶという衆道物で異様な感がするが、「これぞ衆道のまこと成心ざしぞかし」と西鶴は結ぶ。
七十近いおやじと二十八前後の麗しき美女とがやむを得ない事情から同居するが、おやじは美女のさる公家との結婚話に身の潔白を証明するため腕を切り落とすという凄惨な話がある(「表むきは夫婦の中垣」巻六-2)。おやじは今はなき美女の父に仕えていたからそれへの義理立てとして西鶴はこれをあげたのだろうが、柳下恵の説話との出典解説がある。「りちぎも物によれと、左の足をうちもたせ・・・」のおやじの肉欲との葛藤描写が泣き笑いものだ。