1『羅生門』で何を学ぶ
『羅生門』を教科書に採用することについては疑義があり、特に、エゴイズムの観点から読まれることに反対の意見を持っているのは、今までここで述べてきたとおりである。芥川なら他の作品を取り上げたい、それが一番の理由である。
しかし、一方で、『羅生門』授業で取り上げて「学ぶ」ことの意味も大きい。
では、何を学ぶか。何が魅力か。
①豊富な言葉である。中学まで貧弱な読書生活しか営んでいない生徒には、漢語・和語、どちらも学ぶべき語句がたくさんある。耳で聞いてすぐ理解できるようになるまで読み込めば、相当の語彙が獲得できる。
なかでも、「語弊」「成就」「憎悪」「余波」「侮蔑」「暫時」「逢着」「低回」「衰微」などの漢語。
「高をくくる」「ひととりならず」「暇を出す」などの慣用句。
「檜皮色(ひわだいろ)」「丹塗り」「頭身の毛も太る」「しゅうねく」などの日本語固有の語や言い回し。
言葉の宝庫である。
「往」という漢字、「いぬ」という読みで出てくる。気をつけないと、「住む」と区別していない生徒がいることに気づかない。これは「往復」の「往」で比較的理解が簡単である。
「すむ」なら「棲む」が出てくる。むかし「同棲」などという言葉がはやって懐かしい漢字である。「棲」は本来、鳥が木の上に作った巣にすむことである。当然、つがいになる。生活・繁殖を含意することになる。
「丹」(たん)は仁丹の「丹」で、「に」という読みに出会う機会は少ない。「丹」が赤土で、そこから赤色の染料にする。日本各地に「丹生」など「丹」のついた地名は多い。
「悪」もわれわれ「アク」と読む方が慣れている。「アク」=わるい、「オ」=にくむの読み分けがほぼできている。「嫌悪」「悪寒」「好悪」。
「語弊」の「弊」も「幣」との違いが面白い。「幣」は神社などに供える布で、引いて「貨幣」となる。「弊害」と意味がまるで違う。
クラスによっては「肯定」という言葉すら聞き慣れていない生徒が結構いる。用法やそれぞれの漢字の成り立ちにふれ、ボキャブラリーを増やさせる。等々。これだけでも3、4時間はかかる。
「日の目が見えなくなる」というような語句もある。読んでいれば、自然と「日が落ちて」とか「夜になると」という意味であることが前後関係でわかる。元来、徐々に語を増やしていけば、それほど辞書などに頼らなくても語彙は獲得できるものである。読書はそういう自然な場である。その点で何度も読ますことに意味がある。
試験で空欄補充の問題が出る。論の展開を見定めて、入れるべき語を探すのだが、何度も読んでいる文章なら、ほとんど覚えているというの実態であろう。教師側からいえば、そのような問題作成を繰り返して、生徒が何度も読む習慣を身につけるように仕組んでいる節もある。もちろん論理的に正解を導き出せるのが狙いであるが、何度も読んだ文章では、あまり有効とは言えない。論理的に正解であることを確認するぐらいである。
『羅生門』を教科書に採用することについては疑義があり、特に、エゴイズムの観点から読まれることに反対の意見を持っているのは、今までここで述べてきたとおりである。芥川なら他の作品を取り上げたい、それが一番の理由である。
しかし、一方で、『羅生門』授業で取り上げて「学ぶ」ことの意味も大きい。
では、何を学ぶか。何が魅力か。
①豊富な言葉である。中学まで貧弱な読書生活しか営んでいない生徒には、漢語・和語、どちらも学ぶべき語句がたくさんある。耳で聞いてすぐ理解できるようになるまで読み込めば、相当の語彙が獲得できる。
なかでも、「語弊」「成就」「憎悪」「余波」「侮蔑」「暫時」「逢着」「低回」「衰微」などの漢語。
「高をくくる」「ひととりならず」「暇を出す」などの慣用句。
「檜皮色(ひわだいろ)」「丹塗り」「頭身の毛も太る」「しゅうねく」などの日本語固有の語や言い回し。
言葉の宝庫である。
「往」という漢字、「いぬ」という読みで出てくる。気をつけないと、「住む」と区別していない生徒がいることに気づかない。これは「往復」の「往」で比較的理解が簡単である。
「すむ」なら「棲む」が出てくる。むかし「同棲」などという言葉がはやって懐かしい漢字である。「棲」は本来、鳥が木の上に作った巣にすむことである。当然、つがいになる。生活・繁殖を含意することになる。
「丹」(たん)は仁丹の「丹」で、「に」という読みに出会う機会は少ない。「丹」が赤土で、そこから赤色の染料にする。日本各地に「丹生」など「丹」のついた地名は多い。
「悪」もわれわれ「アク」と読む方が慣れている。「アク」=わるい、「オ」=にくむの読み分けがほぼできている。「嫌悪」「悪寒」「好悪」。
「語弊」の「弊」も「幣」との違いが面白い。「幣」は神社などに供える布で、引いて「貨幣」となる。「弊害」と意味がまるで違う。
クラスによっては「肯定」という言葉すら聞き慣れていない生徒が結構いる。用法やそれぞれの漢字の成り立ちにふれ、ボキャブラリーを増やさせる。等々。これだけでも3、4時間はかかる。
「日の目が見えなくなる」というような語句もある。読んでいれば、自然と「日が落ちて」とか「夜になると」という意味であることが前後関係でわかる。元来、徐々に語を増やしていけば、それほど辞書などに頼らなくても語彙は獲得できるものである。読書はそういう自然な場である。その点で何度も読ますことに意味がある。
試験で空欄補充の問題が出る。論の展開を見定めて、入れるべき語を探すのだが、何度も読んでいる文章なら、ほとんど覚えているというの実態であろう。教師側からいえば、そのような問題作成を繰り返して、生徒が何度も読む習慣を身につけるように仕組んでいる節もある。もちろん論理的に正解を導き出せるのが狙いであるが、何度も読んだ文章では、あまり有効とは言えない。論理的に正解であることを確認するぐらいである。