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国語教員の独り言

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「残されていたKの遺書」

2009年08月12日 | 文学・国語教材
教科書掲載部分を読むと、先生が裏切ったことによりKが自殺した、と読むこともできる。

先生が謝罪等の何らかの行動をすることによって、意外な発展でKのこころが動かされてKが自殺を取りやめることはあり得たであろう。それは可能性である。

しかし、Kの自死を選んだ理由は、先生に裏切られたためではない。江藤淳の自己諫死などという説もあるが、それは、読み手によって変わってくる。
ここで問題にしたいのは、①Kの自殺の理由が先生の行動の所為でない、ということ。また、②先生の罪悪感がKの自死を招いたことから来るように読めてしまうこと。この二点である。

①のKの自殺の原因に関しては、「残されていたKの遺書」を作ることである。原文での遺書はごく簡単に、「自分は薄志弱行で生きていけない。迷惑をかけてすまない」程度のことである。この遺書とは別に、先生以外の読者を想定しない、もう一つの先生を対象とした個人的な遺書が残されていたらどんな内容か、というものである。当然、いろいろな迷惑をかけるし、先生とお嬢さんの婚約を知らされた後であるから、自分の行動の反省もあるはずで、先生相手に丁寧な遺書を残すことは当然あり得ることである。

さて、その内容をいかにするか。これはKという人物の解読・造型、先生との関係の推定等、読解力・想像力・創作力が試される内容である。

先生とお嬢さんの婚約を知ったときの心境は、おそらく痛烈な自己反省であろう。冷静に考えれば明らかな先生とお嬢さんの関係。言ってみれば、自分は滑稽な闖入者に過ぎない。穴があれが入りたい心境であろう。そこには、先生を責める気持ちは毛頭生まれる余地がない。そこから自死の発想までは遠くない。
その他、いろいろ想像したもらえればいい。
私に理解しがたいのはKの自殺の方法である。もっと静かに死ぬはずのもではないか?それがあたりに血潮をほとばしらせての派手な死である。それまでのKの生き方と調和しない。一つの解を考えて書いたことはあるが、納得しかねるところがある。

機会があれば、ご披露させていただこう。

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