*日記*
本日、初詣に行きました。何処に、何処でしょう。
神は言われます。「私の身より神を法を現し、神を現す」と。
何処に居ても神に祈るということは大切ですが、詣でることには
大きな意味があります。
神の元に詣でるということは行く前、行く途中、行った先、帰り道に
それぞれ、大きな意味を持ちます。
ここに書くGod,神は太陽神ではありません。
新春、長く伊勢神宮に行きました。最初頃は良かったのですが
私が大きくなるにつれ、人間としての私と霊域を競合するように
なってしまいました。はっきりしたときからは行っていません。
また、太陽神は天照大神のみではありません。
この世の成り立ちのことになりますが、太陽は全世界、その場所によって
太陽神を現します。
人が大空を仰ぐ、太陽に手を合わせる、
それは人類が持っている、大切な神への畏敬の心の現れです。
昨日、blogのトップ画面の写メに入れた写真は糸魚川ヒスイです。
作成時、弥勒菩薩像の写真にしようかと思いましたが、
糸魚川ヒスイを載せたのは意味があります。名も無い作者の作品です。
このヒスイの勾玉に神が込めた声は「一人で立つ」
私には2度目の言葉・・・
最初はblog1に書いた、太陽と星の写真を撮った時の神の声でした。
その時は私にはいろいろなものや宗教、仕事上組織の繋がりがありました。
今回の「一人で立つ」はどの宗教にも依らず、どの組織、団体に依らず、
私の身より神が法を現すということです。
長い間、宗教書は読んでいません。
長い時間、神はそれは多く、私を試しました。
神の声が聞こえるということは私の使命でしょう、改めて思い、このblogを
書き始めています。
blog1を書いていたときは多くのnet攻撃にあいました。
また、それを避けるために相当な時間を費やし、誤字脱字があっても
そのページに戻れなかったり、文章を変えて書いたり、文言の使い方を
変えたりしていましたし、net回線も変えていました。
今、こうも静かにblogを書けるのかと思い、書いています。
当時、webで拡散していて今ほどnetが多くなく、
IPを追うと世界に向かってその広さに驚いていたものです。
今はIPを追うような、そのようなことはしません。
その当時、webを伝ってくるその悲しさ、苦しさ、不安に止めどもなく
涙が溢れていました。
また、少しづつ、書き進んでいきたいと思います。