goo blog サービス終了のお知らせ 

洗心 senshin

gooブログ終了に伴い「はてなブログ」移行中。

https://mounta.hatenablog.com/

『自然クライン環』の妙なる響きに氣付かねばならぬ。

2024-02-09 09:53:08 | つぶやき
現代地球人は自分たちが「偶然」発生した知的生物であるかのように思わされている。物理科学が「偶然」をその根拠としていること自体が本来噴飯ものなのであるが 表層記憶脳概念平面に意識を埋没して(させられて)いるとその不合理が客観的に解からないのである。ビッグバンが宇宙の発生原初であると根拠付けても科学思考の優位性が確定する訳ではない。寧ろその逆であり それ(ビッグバン)は「偶然」発生したことと同義なのである。

若し 「偶然」発生をそれで良いとするならば あらゆる現代科学理論また思惟思想の集大成は「偶然」の上に不合理に且つ強引に咲いた仇花ということになる。それ故に 仇花信仰では眞の根源的叡智は開かれず自然摂理に根差す『安寧』を地球人は得ることが出来ない歴史を長引かせたと推理出来る。この正転期 地球人は高次必然創造を無限に開花させている『自然クライン環』の妙なる響きに氣付かねばならぬ。

一年前の記事。「忘れないうちに。」

2024-02-08 19:58:27 | つぶやき

忘れないうちに。

以下は 私の勝手な妄言である。所謂 表層常識は取っ払ってのコメントなので 気分を害する方もおられるかもしれない しかし このブログは私の備忘億である。そこは大......

以下は 私の勝手な妄言である。
所謂 表層常識は取っ払ってのコメントなので 気分を害する方もおられるかもしれない
 
しかし このブログは私の備忘録である。そこは大人の感覚で備忘語録を冷ややかに客観的に眺めてほしいものである。後々 語録が思わぬ大発見に繋がることもあれば後から読み直し余りの甘さに奈落の底に突き落とされることもある。
 
それらを含めて この娑婆世界の味わい深いところである。さて前置きばかりで本論が何処かへ散逸してしまった。走り書きメモは残してあるので 明日にでもまとめておこう。忘れないうちに。

… … … … … 

少なくとも平面記憶脳価値に埋没せず 創造原初が何たるかを察知して生きる地球人は たとえ艱難辛苦の道を辿ろうと誉れ高き栄華の道を辿ろうと 自己意識層の根底に『自然クライン環』をその必然として氣付き周波数層浮上させることになるのである。それがこの娑婆世界の味わい深いところなのである。


その本性を明らかに根源から照らされるのである。

2024-02-08 19:22:28 | つぶやき
肝腎なことは表層記憶脳に言葉を死ぬほど詰め込んでその物理量に満足することではない。たとえ言葉が無くとも 生まれてきて生かされる(あなた自身の)創造原初があなた自身の『自然クライン環』に光として自覚されるならば あなたはまさにあなたの『今』を生きているといえるのだ。

その『自然クライン環』の立体共振無くして 如何なる美辞麗句また神が使うであろう高貴な言葉を先回りして使い回そうとも やがてそのすべてが自然宇宙のクライン環通りの軌道に添い次元反転(正転)してその本性を明らかに根源から照らされるのである。

一年前の記事。「今のところは。」

2024-02-07 19:12:39 | つぶやき

今のところは。

何時もの確認事項だが このブログは私個人の備忘録である。ワイドレンジでの意識活動時に浮ぶインスピレーションを 適宜言葉に絡め取っている。 若き頃はパソコンもS......

何時もの確認事項だが このブログは私個人の備忘録である。
ワイドレンジでの意識活動時に浮ぶインスピレーションを 適宜言葉に絡め取っている。
 
若き頃はパソコンもSNSもない時代 ノートにただ闇雲に書きなぐっていた。
時代の変遷を受けながらそれが連綿と今に継続しているだけである。そのような本質であるから私個人の趣味と同時に自然量子ネットワークの遺産でもある。
 
ただし 根源意識界へのアプローチであり 興味深く読んで頂ければ可であるが過去概念に捉われ過ぎの方々には消化不良や機能不全の原因ともなりかねないので 出来ればどうか『己』の中に自然クライン環の存在を確かめつつ味わって欲しい。
 
12年前はこのような内容はほぼ相手にされなかった。今は多少は関心も惹いているようだが まだまだ時代が正転するまでは真実のところは半信半疑だろう。それでよい。自然量子系に伝わればそれで今のところは十分なのである。

… … … … … 

年々刻々と状況は変わる。まさにすべては宇宙自然は創造原初 即ち宇宙創造主へと回帰しその高次進化を図るのだ。表層記憶脳概念価値を超え『自然クライン環』を有効稼働する地球人は幸いである。


『自然クライン環』の実効稼働が不可欠。

2024-02-07 10:40:58 | つぶやき
『深層意識』と「表層意識」の境界はといえば 証明は誰も出来ないだろう。証明どころか表層意識が納得出来るレベルの説明すら覚束ないのである。そのような背景設定の中で地球人類は永い年月を経過して来たのである。

2000年前の賢人の方が 現在時の知識者よりも遥かに深い洞察眼を磨き抜き さまざまな眞理を紐解いていたことか。現代人は表層記憶脳知識こそ書架が崩れる程に貯め込んだが 統合意識は往時の賢者の足元にも及ばないのである。

当時の賢者の預言(予言ではない)したことが 延々と繰り返されて来た。表層脳価値文化の虚栄により その惨禍は目に余るものがある。一連の表出は「人間」の本質構造が『自然クライン環』構造であることに縁(よ)る。

往時の賢者たちの統合意識に学び 私たちはそれらの進化図を更に超えて未来の高次先進惑星人としての輝きを再び取り戻さなくてはならない。それには 顕潜統合意識の確立と『自然クライン環』の実効稼働が不可欠である。