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洗心 senshin

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過去に「下書き」として記録した記事 「今日のうた。」

2025-06-17 10:48:50 | ノンジャンル
今日のうた   2007-08-20


ひとたび
メビウス循環を必須とした
エヴァ意識社会が確定されれば
アナログ電気情報から与えられた最高効率で
すべての生命体個々が
初期回帰(原初回帰)を心掛け 
未来化に向かって
さらなる本質を輝かせていく時代が
始まることでしょう

この過去的時空間世界から
円満循環移行のコツは
数十億 百数十億年の
過去時空間生成の中で培われた
個々固有の「メビウス智」を精製し
常に「静的調和」と
クラインジョイント出来るよう
一瞬たりとも
創造原初回帰を忘れなければよいのです

概念知思考のみでは
なかなかに困難と思われますが
本源原理を受け容れる決心とともに
所属時空層での対応振動波種類が
静穏 静謐化していくほど

本源回帰型循環が創造進化の
根幹流動となっていますから

未来化エネルギー情報は
膨大化と簡素化を同時に満たしつつ
究極一体化していきます

生命種 
なかでも特にわたしたち類人種は
こうした宇宙の生成原理を
この小さな宇宙ともいえるフラクタルボディに
畳み込まれ網羅されており

こうして
「自然生活」を営み
一瞬一瞬を静謐化していくことで
誰しもが例外なく
宇宙の愛と調和の本源原理に
永劫に帰属していることが
互恵と感謝の念で
読み取れるように
なっているのです

… … … … … 

(本年のコメント)

そろそろ、この「下書き」発掘シリーズも埋蔵残量が少なくなってきたようである。「下書き」のまま消滅させるには忍びなく、『今』の意識周波数に共振インパクト可能なものを備忘記録に再編成している次第である。現在時の地球惑星人の意識も可成りな進化度を呈して来ており、私自身ものんびりと過去の自己検証している時間の余裕も少なくなっている。
「下書き」シリーズは若干ペースを控え、その分『今』のレアな時空層共振記録を盛り込んでいきたいと思う。念願のトランプ革命(Qシフト)もいよいよ現実しそうである。『自然クライン環』正転の超巨大イベントに乗り遅れないように惑星人たる自覚の元 自助浮上を続けたいものである。

過去に「下書き」として記録した記事。 「今日の閃き。」

2025-06-16 10:13:00 | ノンジャンル
今日の閃き    2007-08-21


その1
「洗心」とは普遍的な「教え」であって、少し踏み込んだ説明を試みますと、「振動波次元の洞察」を行うことで宇宙類人種としてのバランスの良い振動波環境を確認創出していくものです。

「洗心」とは文字通り心を洗い清(浄)めることです。「心」は8層振動層の振動波構成から観れば、個々の生命ボディと本質生命体とをメビウス流動で循環させている、アーンプ体(帯)からシン体(帯)に至る味わいと感情の結果次元を主に指しています。

シン体は8層振動層に関わるあらゆる振動波の導通帯となっているように観察されます。したがって、洗心し、このシン体をセンサーとして各周波数帯をバランス良く観察していくことにより、さまざまな振動波の深い性質原理世界が洞察されて来ることになります。

各生命体ボディの本質意義の確立が宇宙意識ボデイ情報からの存在意義を天降り写す循環となり、やがて段階的に12の性質原理をあるがままなるがままに享受可能な境地に進化していくものと思われます。
(続く)

… … … … … 

(本年のコメント)

もはや 「洗心」でも「想念観察」でも何でも良いのである。何でも良いということはそれらの言葉(その体を顕わす概念)に拘る必要は無いということなのだ。この私も過去の一時期は「洗心」「想念観察」etcに執着し 之でなければ他は無いとまるで修羅の如くテリトリーを張っていた時期もあったのだ。
今は『今』 すでにそれら(表層平面価値)は根底から何も無い。あるのは『創造原初』の客観軌跡である『自然クライン環』が厳存するのみなのである。

過去に「下書き」として記録した記事。 「今日の閃き。」

2025-06-15 17:28:48 | ノンジャンル
今日のうた 2007-08-22


その2
「洗心」は『強く正しく明るく、宜しからぬ欲を捨て、みんな仲良く相和して感謝の生活をなせ』という「教え」を守ることが必須であるとされています。ただし、不良星界支配下の旧地球人類にあっては、できるだけそのような心の状態で過ごすようにと諭されています。

この「洗心の教え」が流布(発信)されたのは、今から半世紀ほど前になります。それから時が経ち、地球の総体での周波数値も上昇して来ましたので、おのずと『洗心』の実質課程もそれに応じた精緻な対応性が求められているのではないかと観じます。

「洗心」はどこまでも優良(静的調和域との優良バランス)な宇宙類人種を養成するための「教え」であり、旧い不良星界支配の意識レベルに諂う性質のものではないのです。

ですから、同じ「教え」であっても旧概念波長で「洗心の言葉」を追いかけますと自己内での周波数矛盾が生じ、行き詰まり感が出てきてしまうのです。これらの迷妄感を透過していくには、絶えず「今」の瞬間瞬間を観察洞察して「本源回帰」の境地を確定化していくことが大切なようです。

今後、地球はますます優良星としての振動波の質と量を高めていきますので、わたしたち地球にお世話になっている類人種存在としては、先ず気づき得た個々が「洗心、想念観察」によって率先して「宇宙意識層」と繋ぎ、その個々の環境波動(波動環境)で創意工夫を凝らし、エヴァ概念を模索し創出していくことが強く望まれているのです。
(続く)

… … … … … 

(本年のコメント)

結局 究極のところ 眞實構造が一体全体どこにあるかというだけのことである。 言葉の森林に分け入って 散々に迷い騙され果ては本来立つべき位置までを見失い… それでも原初に繫がる自分を信じて(信を超える信)離さなかったものこそ『自然クライン環』なのである。その意味で言葉は要らない。要らない!と正面切って言えるだけの本質解析(周波数透過)が曲がりなりにも固有発振出来るなら それだけで『惑星人』としての存在意義は確立出来たかと思うものである。


過去に「下書き」として記録した記事。 「今日の閃き。」

2025-06-14 10:12:08 | ノンジャンル
今日のうた   2007-08-23 

その3
『強く正しく明るく』とは、必ずしも旧地球社会の社交上の感性に迎合させようという教条形式的なものではなく、優良バランスと一体であろうとする「振動波個性」として『強く』、『正しく』、『明るく』あれということなのであり、個々の自己振動層が究極の宇宙意識に対峙していく上で必須の『しなやかさ』と『静穏、静謐さ』が謳われているのではないかと観じます。

『我を折り』とは、文字通り旧概念にいつまでも拘るという旧地球人的な沽券を捨てて、ともすれば増長しがちなエゴの芽を摘み、宇宙、自然の波動法則を学び宇宙意識層と交流しようとする虚心坦懐な姿勢の必要性を示唆しています。

『宜しからぬ欲を捨て、みんな仲良く相和して感謝の生活をなせ』とは、そうして悟った宇宙次元の類人種としての生き方を規範にして、これまでの旧地球学のさまざまな誤謬を「エゴ文化」のマイナス面として反省し改め、「愛と調和」の伝播をみんなで実体化し、新しい「高次エヴァ文明」を創造してまいりましょうということなのです。

これらの解釈は私個人なりの『洗心の教え』に対する、何通りかの内のひとつの受け止め方であり、私以外の個々の個性においては「遠いヒント」に過ぎないかもしれません。しかしながら、『洗心』について「まだよく飲み込めない」お方がたまたまいらっしゃれば、これらを自分の時空層概念として取捨選択して必要部分を取り込み、観察洞察の要領で静穏、静謐化していけば、必ず、「愛と調和」へのアプローチにおいて何らかの格好が観えて来るのではないかと思います。

「洗心」とはそうした細やかな振動波解析の積み重ねに過ぎないのです。個々にとっての「万全の答え」はおそらく未来時空間にあるのでしょうが、それは未来化の本質が分からないと写し出すことは困難であり、そうした静穏、静謐な情報域へのジョイントを可能にするのはどこまでいっても個々の『決心』と『実行』の継続なのです。

(おわり)

… … … … … 

(本年のコメント)

所謂 地球波動劣化の試練に曝(さら)された悪魔的周波数に染まった数千年を『クライン俎上』に載せて捌けば 表層記憶価値概念を捨てて創造原初に還らねばならぬことが最重要課題となるのは自明の理である。所詮 「言葉」は『意念』の道具である。如何に卓越した言語表現であろうと『意念周波数』と重奏共振しなければ創造原初の莫大なエネルギーに繋ぐことは出来ない。『人』は三位以上の周波数層構成を保有し その物理接点に道具を配置しているものなのだ。様々な便利な道具の焦点には言葉がある。やがて 様々な道具は進化を遂げクライン構造にまで到達するだろう。言葉は言葉を超え全生命的透過を試みるようになるだろう。道具は道具を超えやがては天の浮船となり三位を乗せてあらゆる時空を翔び超えることだろう。その日を想定して惑星人は今から『クライン環』の眞實とともにあらねばならぬのである。

過去に「下書き」として記録した記事。 「今日の閃き。」

2025-06-13 09:56:18 | ノンジャンル
今日のうた  2007-08-24  


『洗心』に関する追記

『憎しみ、嫉み、猜み、羨み、呪い、怒り、不平不満、疑い、迷い、心配ごころ、咎めの心、いらいらする心、せかせかする心を起こしてはならぬ』 

上記の心は『ご法度の心』とされ、このような心を出さないようにすること、そして、『強く正しく明るく、我を折り、宜しからぬ欲を捨て、皆仲良く相和して、感謝の生活をなせ』、この『常の心』を一秒一秒(一瞬一瞬)継続していくように諭されています。

心に常駐させてしまうとバランス的に宜しくない振動波エネルギーを『ご法度の心』として峻別し、宜しきバランスを自己振動層に自発的にもたらし、普段から「愛と調和」への志向性を習慣付けることが大切であることが示されているようです。

『ご法度の心』とはそのような不調和状態から体験される『感情と味わい』を具体的に列記したものです。旧い固定習慣に捉われてしまうと、現実に扱う周波数と自己振動層との間に繰り広げられる味わい世界を深く観察、洞察していくことが億劫になってしまいますが、そのような本質洞察を忌避した時空層意識はまるで「操り人形」のように浅い外的要因に衝き動かされる想念生活に終始することになりがちです。

そこで、本質生命体の奉戴する深い情報世界に繋いでいくためには、どうしても本質次元を志向する自分自身の循環原理が動作できるように触発していくことが必須課題となります。そのような効率的な環境を形成しやすくするために、「ご法度の心」を出さないように自覚的に洗心し、先ず自らの『心』が静穏、静謐な調和波動域に還ることが求められて来ているようです。

… … … … … 

(本年のコメント)

この備忘記録は(当時を思い出すに)地球学概念上で宇宙学概念を苦心惨憺し無理やりにでも峻別する自己克己の果ての心境を解析した日々に書き残したものであろうかと思われる。

今現在は 極言ではあるが(つまりどちら側にも捉われない無極無限の心境で言えば)地球学でも宇宙学でもどちらでもよい、どちらでもよいから如何なる心境でも良いから極限まで、更にはその果てまで…つまりは次元を超えて自己観察成し得る時空層位置まで周波数を極めよ!ということである。即ち 『自然クライン環』の自己浮上に尽きるということである。