人間賛歌・もっちゃん4649

子どもこそ地域の宝!!

親の命を受け継いで、子どもは枝葉を大きく伸ばして栄えていくのです

自分の根元の大切さに気づいて大事にしていく姿が親孝行ですからね~

Yは誰に教わったのでしょう~
良い道を進んでいるから、きっと安心の毎日だと思います。

丙午の翌年生まれの子どもが入学してきて、学校も受け入れ態勢が整わず、プレハブ校舎を建てましたり、アナライザー教室を普通学級に直して使ったり、ただでさえ落ち着かない毎日の生活が更に無茶苦茶になってしまいました。

息子たちも長男が中1で次男が4年、三男が小学校入学でした。
中学校の入学式は奈良県下で統一されていたし、卒業式もしかりです。

担任の学年も15年間持ち上がりのローテーションでした。
3歳ずつの開きがあるために、私はわが子の晴れがましい姿を見てやれませんでした。

3人ともに中学校の入学や卒業には親が不在だったのです。
今思うと、わき目も触れないくらいに大激動の只中を必死で泳いでいたのかもしれません。

シンナーが非行集団を作り、クラスや学年を超えて市内全域の結束へと広がっていき、そのつながりは固く断つことは不可能に見えていました。

36歳に端を発し、新設校誕生に突破口を見つけようと赤字財政などと放置してはおけない非常事態に「子どもこそ地域の宝!!」だと大人が決意するまでの6年間は悪夢の連続でした~

我が子のことを優先させなかったのはひどい親かもしれないけど、受け持つ子どもに責任を持ちたかったし、わが身を顧みる余裕のない立場に立っていたのでした~

顔で笑って心で詫びて・・・

三人の息子はどの子も文句を言いませんでした。
真剣に働く親の姿を見ていたので、我慢してくれたのだと思っています。

出会いの日こそ大切なんです。
自分の子どもを優先するのはプロではないと自分に厳しいけじめをつけていたし、まさにそれは私の誇れることでもあります。

連れ合いも自分に厳しい人でしたから、父兄と言うのは兄もそうなんやぞ~と独特の説得力で、卒業したばかりの長男を次男の入学式に行かせたのです。

あきれた親だと思うでしょ~?
でも、長男は実行していました~
次男は兄ちゃんが来てくれて心強かったと喜んでいました。

家族の大きな協力があったから仕事に邁進できたのだなあと、恥ずかしいことに今気づいている私です

何を大事だと思い優先順位を決めるのか、そこが大切なんですよね~

入学を祝ってくれる担任と、副担に任せて自分の子どもを優先させる担任と~
もうすでにそこで大きな差が出てきます。

新設校ができ、移転した時は3年担任の年でした。

2年間教師の姿勢を見ていたSが始業式の担任発表の日、終わりの会が済むのを待ちかねて職員室前の公衆電話に走って行き、家に電話をかけていたのです。
まさか私が後ろを歩いているとは知らずに~

「お母さん、お母さん!担任の先生はM先生だったよ~♪」と家に帰るまでの5分間を待てずに早く知らせたいと言う声の弾みだったのですよ~

その後、教師冥利を一日感じていましたね~

36歳の激動の出会いもYとWはそれぞれにそれなりの綺麗な色を残して私の前を通り過ぎていきました

37歳の時は1年生の担任です。
卒業生とのつながりを何としてでも断ち切らねば~と教師が一丸となって取り組みましたが、やっぱり指導困難校であったことは否めない事実でした。

喧嘩が絶えずガラスの破損が多くって、市勢を赤字に導く要因にもなっていました。

当時節電のために教室のベランダ側の蛍光灯は半分取り外されていたほどですからね~
いかに逼迫していたかがわかりますよねえ。

無我夢中で過ごした6年間は数え切れないほどの出会いがあるのですが、双生児のT兄弟のことは忘れられない思いでです!

続きは明日~

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