母の介護に毎月帰るようになったのは母が82歳の頃に始まりました。
当時は在職中でしたから、金曜日の夕方の便で帰り、月曜日の勤務に間に合うようにしていたのです。
家の内外の掃除や必需品の買い物や支払いなど、認知症の始まりの兆候が見られ始めたので、主に生活支援をしていました。
熊本空港が阿蘇の近くに開港となっていて、実家に帰るには大分空港よりも時間が短縮されていました。
やまびこ号という特急バスが空港から家の近くを通り大分まで走るようになり、1600円という乗車賃で済むし、とても便利になったのでした。
それまでは最寄のJRまでタクシーで1万円近くかかり、そこから電車やタクシーで家に着くまでに5千円は必要でしたからね~
特急バスの路線が出来て、1割負担で済むようになっていました。
阿蘇山の下を通りますから、大きな癒しを雄大な眺めは与えてくれました。
退職してからは毎月の半分を大分で過ごし、残りの半分は奈良で過ごすことになりました。
長男の家族が子どもの入学を考えた時に同居を選んだので、奈良の家族は4世代同居の9人だったのです。
6年前は母も軽い認知症で料理や洗濯や掃除などは忘れていましたが、自分の身辺自立は大まかですができていました。
半日くらいの留守に対応できていたのでした。
阿蘇の野草の撮影会に参加する機会を得て、水を得た魚のように元気を取り戻せました。
人と自然に触れることができます
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悠々と時間を気にせず、野草の追っかけが可能となり、お勤めからの開放を満喫していました
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毎日が日曜日ってありがたいなあ~^^と。
撮影会は草丈が小柄な私の背丈以上になっている草原の中を前の人の足跡をたどって進むのでした。
そんな時突然、ホソバシュロソウと対面することが出来たのでした。
チョコレート色の黒っぽい花の出現に驚きました。
「こんな見たことのない珍しい色のかわいい花があるなんて、なんて名前なんだろう~?」
野草の虜になった衝撃の瞬間だったと記憶しています
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それから名前探しが始まりました。
本屋さんに出かけ「日本の野草」とか「山野草」の本を見るけど出ていません。
「九州の野の花」の中に小さく載っていました。
「阿蘇の野の花」の中に1ページほどの扱いで詳しく出ていました。
とりあえず、必要な分だけのものを買い揃えました。
専門書ですからかなり高価です。
野草の世界に入っていったおかげで、大変な毎日の中に在っても、心をときめかしワクワクできる没頭できる宝物を手に入れることができたのでした。
PCを自由に操作できる知識を与えてもらったことと野草の逞しさ・可憐さに出会えたことが私の元気の源なのだと思えます。
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今日からお盆です。
きれいにお迎えのお供えをして、ご先祖様に平穏な毎日を感謝したいと思っています。
お陰で母も元気です
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あなたもご先祖様に感謝の念を届け、喜びのご挨拶を捧げる日にしてくださいね~
では、また明日~^^