Myselves

言葉と音楽に隠された魔法を探して放浪中。
そんな『自分自身』たちの旅の様子は?

芸術論?

2007-01-07 21:22:11 | 独白
いろんなことをさぼり気味の今日この頃。水2のレポートもそろそろ手をつけなきゃなあ。リードも買いに行かなきゃならないし。


さて先日、関西旅行の帰りに晃弥と百人一首を思い出していたという話を書きました。で、ふと思い出したこと。

高3のとき、比較的大手の予備校に通って受験準備をしていたんですが。そこのメインコースが東大受験用のクラスで、私もそこにいたんです(それなのになんで外大に来たのかというのはまた別のお話)。
それで冬期講習のとき、古文・漢文特講かなんかでいつもとは違う先生のところで講習を受けたんですね。で、どういう経緯かは忘れましたが和歌の話になったんです。
古典っていきなり歌がでてくるような印象を持ったことのあるひとが多いと思います。中には『伊勢物語』のように「歌を詠め」とあったり、歌合はせの場面だったり、と歌が出てきてもおかしくない状況もありますが。で、そうじゃないときの話。
その先生曰く、感情が高ぶったときに歌を詠むんだそうです。嬉しいとき、悲しいとき、ひとは歌に自分の思いを託したとのこと。
なんで「昔のひとは」とその先生が言わなかったか。それは現代にも通じるところがあるからだそうです。その先生は「東大に合格したとき、その場では冷静さを装うけど、やがて笑いがこみあげ、もっと気持ちが高まると鼻歌がでる。それと一緒だ」みたいなことを言ってました。なるほどなあと当時18歳だった私は思ったわけです。

で、その話を思い出したときに別のことも思い出しました。

私の好きなミュージカル俳優で、岡幸二郎さんという方がいるんですが。
その方が『ひめゆり』という、全編歌のミュージカルに出演してたとき、同じようなことをプログラムに書いていました。「感情が高まったとき歌やダンスとなってそれが表現される」と。
ミュージカルも歌やダンスが唐突に出てくるようでも実は違う、ということなんだと私は解釈しました。


感情が高まったとき、そしてそれを誰かに伝えようとするとき。
ある人は歌を詠み、別の人は絵を描く。音楽を作る人もいれば彫刻に残す人もいる。料理で表現する人も、詩を書く人も、散文で著す人もいる。
後世まで残る芸術とは、そうして生まれるのかもしれません。



今日久々に小学校時代の大親友たちと行ったカラオケで歌った曲も、いくつかはそのような芸術作品となるかもしれませんね。









もしあるものが本当に自分に属するものだったら、それは自分のところに帰ってくる。
もしあるものが本当は自分に属さないものだったら、それはいつか自分から離れていく。
そんなことを実感した一日。

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