Myselves

言葉と音楽に隠された魔法を探して放浪中。
そんな『自分自身』たちの旅の様子は?

8月15日

2006-08-15 23:36:39 | 独白
毎年この日が来ると泣きそうになる。

終戦記念日、というけれど、実際は『敗戦記念日』なんだよね。確かに戦争が終わった日ではあるけれど。
ずいぶん昔に、日本が最後に降伏した、という話を姉としていた。姉いわく「結局日本が一番バカなんだよ」とのこと。そうなのかもね。島国ということもあってか周りが見えていないんじゃないでしょうか。同じ島国のほかの国、たとえばグレートブリテンやニュージーランドなどと比べると、日本がいかに幼稚なのかわかると思う。
そんな日に参拝したんだよね、この国の総理大臣は。何考えてるんでしょう。心の問題とかなんとか言ってるみたいだけど、それって公の場に持ち込むものなの? 完全に私事だと思うんだけど。彼がいつ参拝しようと勝手です。私人としてはね。だけど、『内閣総理大臣』という立場で行って良いものなのかね。合祀の是非はともかくとしても、政教分離の原則に反してやいませんか?


どうして世界は平和にならないのかね。
みんながほんの少しずつ、相手のことを考えたら絶対戦争なんかなくなるはずなのにな。
自分がされて嫌なことは相手にもしないってのは基本中の基本でしょう。
それを大人が、それも一国を代表するような人が平気で破って良いんでしょうか。
戦争って相手国はもちろん、自国の人も傷つけ苦しめるものなのに。
そして、普通の人が平気で残酷なことを行う。
誰もが被害者なのだ、戦争の。


宗教戦争、という言葉がある。
個人的な意見だが、宗教って本来対立しないものなのではないだろうか。
どの宗教だって、その宗教の信者が一番偉いだの善だのいう。
しかし、どの宗教も、他の宗教を信じてる人を悪だとか排除しようだとか、そういうことは教えてないと思うのだ。
どの宗教も自分を、そして他人を救うことを目的してるのならなおさら。
少なくとも私は誰がどんな宗教信じてたってちっとも構わない。
それでその人が救われるならそれでいいじゃないか。
だから、ほかの人の宗教には干渉しない。
その人のやり方でさらに善くなればいいと思う。
いろんな宗教があるけれど、それぞれ『善』を目指しているという点では変わらないのだから。

結局、人間同士の争いを宗教の名を使っているものが宗教戦争なのではないだろうか。


私は戦争を知らない。
でも、世の中には家の外に出るだけで命の危険が伴う国もあることを知っている。
満足に食事もできない国があることも知っている。
住むところさえない人たちがいることも知っている。
勉強したくても勉強できない人たちがいることも知っている。
明日生きられるかどうか、おびえながら暮らしている人たちがいることも知っている。
たまたまこの時代のこの国に生まれたから平和に生きているけれど、それはとてもありがたいことなのだ。

乾いたところで眠り、穴の開いてない清潔な服を着、ある程度満足に食事ができる。
すべての人が、そんな当たり前のことを当たり前にできるようになるにはどうしたらいいのだろう。



Imagine all the people living life in peace

―from “Imagine ” by John Lennon

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