karibu sana

育児しながら卒業した看護学校。で、今、看護師してます。

向いてないのか?

2011-06-27 | Weblog
最近。私は性格が悪くなったような気がする。
なんかヒドイ事を言われても、前なら気にしなかったり、
本心はそういうことじゃないんだろうとか、
自分にとっても相手にとっても良いように考えていちいち
ムカついたりしなかった。

近頃は本当に文字通り受け取って、なぬ?! と怒ったり
している。

なんでだろう?

看護師の勉強を始めてからのような気がする。

看護師は患者さんの言うことをとてもよく聞いています。
で、患者さんが言ったことにたいして、それはどういうことか
と考えます。
意味づけをする作業をするんだよね。そういうことを考えながら
患者さんの話を聞くのが習性になります。

どういうつもりでこの人はこんなことをいうのか?

一字一句集中して聞き取ります。

そういうことはさー仕事中にだけするといいよね。
普段は聞き流して、自分が聞いてうれしいことだけ
聞いてればいいんだよね。

あたし看護師に向いてないのかもしれないなあ。

前世とか因縁とか

2011-06-17 | Weblog
前世とかそういうのって本当にあるのかなと思いだしたのが佐藤愛子さんの本「私の遺言」を読んでから。
「血脈」も合わせて読むとちょっと恐ろしい。
で、佐藤さんの本に江原さんが出てくるので江原さんの言うことも本当なのかなあとちょっと思ってた。
そうしたらば「人生はめぐる輪のように」という本でキューブラー・ロスが江原さんと同じことを
書いていた。キューブラー・ロスとは看護師ならばたぶん聞いたことのある人で、死の受容のプロセスで
有名な人。キューブラー・ロスの言うことなら本当だと思ってもいいんじゃないか。

「血脈」を8年ぶりくらいで再読した。
佐藤家の因縁を浄化する・・・ううむ。愛子さんが書くことで浄化が始まったというのは、
佐藤家のみなさんそれぞれ書かれたかったのか? いろんなことが明らかにされて、
「そうあったのだ、そうだったのだ」と認められたかったのか?

佐藤家の因縁を浄化するために、「霊たち」はいろいろ試しているように読めてしまう。
たとえば、シナさんの長男 六郎が赤ちゃんのうちに死んでしまうのは偶然だろうか?
シナさんの男の子が成長していたらどんな子になっていたのだろう。
他の佐藤家の男の子のように、まっとうには生きなかった? 
それともシナさんの「血」でなんとかまっとうになった?
佐藤家とシナさんの間に挟まって自己矛盾によるレゾン・デートルの欠如、とか
そんな不幸なことになってたのではなかろうか・・・などと推測してしまったりする。

愛子さんに「この人ならば浄化させる力がある」と霊たちに見込まれて、
そういう人が幸せな結婚生活をしていたらば力を発揮できない、頑張ってもらわねば、と
ダンナさんたちは麻薬中毒になったり、借金する人になったり、「させられた」のかも
しれない。

忠さんも「ちょっと予科練にでも入れてみたらどうだ? もしかしたら力のある男に
化けるのでは?」と予科練に「行かされた」のかもしれない。



この世のことはすべて魂の修行だという。

人生がどう動いていくかというのは、自分で選択しているようにみえて、自分だけじゃない
力が及んでいるのかもしれない。

まあ、すべてを明らかにする必要はないし、どれが正しいっていうわけでもないのですが・・・・

だからこそ日々のことに感謝して過ごすことが大事になってくるんだろうなと思うのですが・・・


スゴイ本です「血脈」。


地震から三カ月。

2011-06-14 | Weblog
地震から3カ月がたった。
その間におきたこと。

・地震から4日目、北海道の実家に帰った。
「こっちにおいで」と言う両親の言葉に甘えたわけだが、
帰ったら次の日に母がギックリ腰になり。・・・この母は前から
私と子供にたいしてすごく冷たくてほとんど口もきかない人で、
「ギックリ腰になってまで私らの相手をしたくないってことか!」と
私はぶち切れた。(←これも思いやりのない発言ではあるが・・・)
それで結局買い物など、赤ちゃんをスリングに入れ、リュックを背負い
私が行った。産後10日の私が!
父も3月中は時間があるとのことだったが、なんやかんやと出歩いたりで
小学生の相手をあまりしてくれない。初日に銭湯へ行き、次の日に
図書館へ行き、その次に用事で隣町へ行くのに一緒に連れて行き・・・
終了。初めは「ドラえもんの映画でも行くか」と言っており、子供は
たいそう楽しみにしていたのに。
後日、「いつ連れて行ってくれるの?」と聞いた子供に対し、
「映画館はつぶれたよ」の一言で済ませた父に私は怒りで口もきけなかった。
・・・そんなこんなで両親と大げんかし、絶縁状態。
今、当時のことを思うと涙が出る。
ダンナは栃木に残ったわけだが、それだってこの後大きな余震がきて、
運が悪ければ死ぬかもしれない、ダンナとはこれが本当に別れになるかもしれない
という思いで私と子供たちで北海道に来たわけなのに。
親からは労りの言葉もあったようなないようなで、結局は邪魔にされ・・・
もういい。もう実家には行かない。私に親はいない。

・地震から1ヶ月半、引越しをした。
引越し先もなかなか見つからず。子供の学校も変りたくないため、ぎりぎりまで
校区内でさがしたのだがどうにもダメで。
その引越し先も二転三転し、ようやく引越しできたのが4月下旬。それから
5月連休は引越しの片付け。
これはほとんどダンナがやった。毎日何かとホームセンターでこまごましたものを
調達してきてくれた。ありがとう。ダンナを見直した。
そのちょっと前に火災保険の地震特約で家財にたいする保険金がおりた。
これは大変ありがたかった。引っ越し代と、もろもろ買いなおさなくてはならない家電等
のお金になった。引っ越し後疲れているときに「ご飯食べに行こう!!」と言えるのも
ありがたかった。


 そんなふうにしてそれなりに落ち着いてきたこの頃。
原発はまだまだ落ち着かず、放射能に対して怖いと思いつつも様子をみている。
関東は放射能が微量であるにせよ、ふりつづけているわけである。今すぐは
影響なくても、ここに10年~と住み続ければどういう影響が出てくるかわからない。
私はまだよい。赤ちゃんが大人になって、結婚して、・・・子供がなかなかできないとか、
流産するとか、障害児を産むとか・・・そういう可能性を考えると関東にはいないほうが
いいのかなあと思う。
原発はやめればいいのになあと思う。そのためにいろんな便利なものを手放してもかまわないと思う。
水筒を持って歩いて、自販機なくすとか。深夜放送やめるとか。