12月に入りました。長い出張から帰り、紅白のステブレ(ステーションブレーク)に追われながらも一年は過ぎようとしている。
今年は、涙もチョチョ切れる激しい年だった。
とどめが実家の立ち退き問題で、お袋の住むところを探すことである。
少しは、親孝行をと思うが、行政というのは冷たいものだ。
実家のような「借家」には何のケアもない。30年すんでもだ。
母は80歳で一人暮らし、今更見ず知らずの土地や市役所でさえ認める、柄の悪い市営住宅に
ぶち込まれてはかなわない!
何とかするのは、結局行政に頼らず自分で・・・である。
私は、「永住できる目黒区」を目指して区議会議員選挙で闘い、見事落選したが、実家である愛媛県松山市のような塩崎元官房長官のお膝元であり、中村親子市長の「中村城建設」「永住を拒み、公園ばかり作る行政」に目黒区はならないで欲しいと思う。
選挙には敗れたものの、「淡島通り舗道の街灯の設置」「ビル屋上緑化」「ビックスクーター」の騒音問題、固定資産税、剥ぎ取るような相続税の全廃を訴え続けたいと思う。
この写真も遠い過去に感じるが、戦いは始まったばかりかもしれない。
永住とは、こんなに難しいものなのか?
我が国に効く、防腐剤はないものか?
とりあえず働こう。終わらない、このままでは!!!
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