自分が親になると
親に感謝するようになる。
なんて
世間一般では言われるけれど……
私は自分が親になった時
自分の親を軽蔑した。
もちろん
育ててもらった恩はある。
それでも
私は親が今でも苦手だし疎遠。
前記事で書いたように
どうせお前なんか!
を繰り返したことも許せないけれど
父親が私に言った暴言は
それだけじゃない
お前なんかいらなかった。
死ねば良い。
そんなことも
平気で言う親だった。
兄と弟は
将来稼いでくれるだろうが
女である私はいらなかったそうだ。
デブで不細工で
人見知りで根暗な娘など
死んで欲しかったらしい。
実際私は何度か自殺を試みた。
ためらい傷程度だけれど
今も左手に傷は残っている。
常に兄や弟と比べられて
何も出来ない私は
家族の恥でもあったのかもしれない。
私は自分が親になった時
息子は軽い障害があって
私の親は
普通の子と違う息子も
他人の子と比べて嘆いた。
それを聞いて
私が産んだから息子もこんななの?
と悲しくなったっけ

でも私は
子供に「どうせお前なんか」
などと言ったことはない。
下の子が生まれてからも
息子に「お兄ちゃんなんだから」
と言ったこともない。
意識して言わないようにしてた。
人間の未来にはいつも
可能性がある。
誰かと比べたり侮辱して
その可能性を否定する権利なんて
誰にもないはずだから……

否定の言葉ばかり浴びせられると
自信と希望を失う。
全てを親のせいにするつもりは
ないけれど
私はまともな大人に
育ってはいないと思う。
それなりに社会に適応することは
出来るけれど
人間が嫌いで怖い
いつも
誰かにバカにされているようで
いつも
自分に自信が持てなくて……
弱い犬が強がって吠えているみたいな
生き方をしてる気がする。
それでも私は……
どうせ私なんかとだけは
人前では言わない。
自分がダメなのはわかってても
それを人前で晒してはいけない。
だって今は
私には大切な人たちがいるから。
私が大切な人たちは
私を大切にしてくれるから。
昔、本で読んだことがある。
自分で自分を
「どうせ私なんか」
と言う人は
他人からも大事にされない。って
本人が「どうせ自分なんて」
と、価値を下げてる人を
どうして他人が大事にしようと思うの?
ってことらしい。
良い物なら大事にするけど
持ち主が「こんなもの!」
なんて言ってる物をもらっても
大事しようと思えないしね

私が
自分で自分の価値を下げたら
私を大事にしてくれてる人の価値も
下げてしまうような気がする。
だから。
どんなに私がダメな奴でも
「どうせ」な奴じゃない。
ちゃんと大事にしてくれる人がいる
ひとりの人間。
親の呪縛は永遠に消えないかもしれない。
でもあの時私は
死ななかったから
死ねなかったから
大切な今がある。