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のんびりと、ゆっくりと、思うがままを綴ってます。

あきれる程真っ直ぐに!な話

2006-08-10 01:32:12 | 日々想々な話
今日は、私の【あきれる程真っ直ぐに走り抜けた時代】を書くとしよう。

高校時代は、書道に勉強に8組に、真っ直ぐに走り抜けました
私が通った高校には、『芸術コース』というのがあり、2年生から、普通科、理数科、芸術科と分かれるのですが、私は、幼稚園の時から、ずーーーっと書道をやってきたので、もちろんこの『芸術科』の『書道コース』を選択しました。
芸術コース2年8組37名。書道コースの他に、美術・音楽コースがあります。
この37名の内の13名が書道コースを選択したメンバー

1年の頃の『書道の授業』とは、ガラリと変わり、『芸術の時間』になったのです。そして、この書道を担当しているH先生は、もちろん書道家。そりゃあもう、怖かった~
普段は、突っ込みどころ満載な先生なのだが、怒ると非常に怖い。
私は、部長も兼ねていたので、13名の誰かが何かミスをすると、それは必然的に、部長の責任になる=H先生の容赦ない説教を喰らうということになる訳です。
コブクロの『同じ窓から見てた空』の歌詞の。
あいつの為、みんなで謝って、結局なにもかも駄目で~
なんて、日常茶飯事だったよ(笑)
でも、この13名は、ほんっと目には見えなくても、すっごい太い絆で結ばれていたんです。

H先生は、ただの書道の先生ではなく、とても勉強熱心な先生で、私達の担任ではないのに『勉強合宿』というのを、中間・期末試験の2週間、開催してくれた…
『勉強合宿』というのは、試験前の1週間と試験中の1週間、学校のセミナーハウスに泊り込み、とにかくひたすら勉強するのです。自分達で予想問題を作り、夕食の前にテストをして、そこで解けなかった問題は、その科目が得意な人に教えてもらったりしました
夕食が終わると、基本的には、自由
H先生も、私達の食事を作ってくれるだけで、後は、何も干渉してきません。
各自、勉強がはかどる場所があって、そこに散らばって、0時まで勉強をする者、23時まで睡眠をとって、朝まで勉強をする者、覚えるまではトコトン寝ずに勉強する者。本当、様々でした。
ここで必要なのが、『笑い』でした

2週間みっちり、テレビも新聞もない世界で、勉強するんです。
自分を保つ為に、いかに楽しく勉強が出来るか
ここでは、勉強の他に、お笑いを鍛えられました
何か面白い事があると、誰かが皆に伝え歩き、セミナーハウスの各部屋から笑いが起こる。
私的には、スエが、夜中の3時なのに、もう制服を着て勉強をしていたのには、びっくりで大笑いでした
あとは、ノリーに、お風呂で大波を立てられて溺れそうになったこと。
ふぅちゃんが、『AM2:00に起こして下さい』って黒板に書いてあったから、起こしに行くと。『誰が起こせって言ったん』って逆切れされたこと…(笑)
いつも朝食が、H先生お手製の雑炊で、これが最高にマズくて(笑)嫌だったんだけど、実は、陸上部の朝連に出るために1番に起きるAちゃんが、この雑炊が好きで、H先生に『雑炊がいいです』って言ってたから、毎朝、雑炊だったこと。
未だに13名の誰かと会うと、必ずこの話は尽きない。

13名だけでなく他の美術・音楽コースのメンバーも最高だった
とにかく37名が『芸術』の粋を超えていた気がする。

現代文の授業中、ふぅちゃんの咳払いで、皆で一斉に、机を後ろ向きにして先生を驚かせたり、全校朝礼の時に、出席番号順に並ばないといけないのに、『あ』の次に『ふ』の人がいたりとか、点呼で、担任のムラちゃんに、『盛子~何人?』って聞かれて、『3624人です』って答えて、結局、ムラちゃんが点呼していたり、水鉄砲で遊んでいたら、私がマチ子に打った水が、たまたま角から出てきたムラちゃんの顔に当って、卒業するまで水鉄砲を没収されたりとか、体育祭のある種目を37名全員で、出なかったりとか…(笑)

あきれる程、真っ直ぐに私達37名は、芸術に勉強に8組に走り抜けました。

この37名と過ごした季節は、盛子の翼になる前の『羽』です
この『羽』があったから、私は今、大きな翼で飛べているのではないかと思う今日この頃です

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