オオカミになりたい(遺言)

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月百姿 雨後の山月

2017-06-23 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『雨後の山月 時致』 

明治十八年届

 

 

曾我時致(そがときむね)は平安末期・鎌倉初期の武士。

承安4年(1174年)~建久4年(1193年)5月29日

『曽我兄弟の仇討ち』で知られる。

 

見上げる空に暁月と杜鵑

国立国会図書館デジタルコレクション 088

 

これより17年前の安元二年(1176年)伊豆奥野で行われた巻狩の際

曾我兄弟の父河津祐泰(かわづすけやす)は

従兄弟の工藤祐経(くどうすけつね)によって殺されていました。

伊豆の所領争いによる恨みから起こった殺人事件でした。

河津祐泰が殺された後、その妻満江御前は

相模国の住人曾我祐信と再婚します。

二人の息子一萬丸と箱王丸はそれぞれ成長し

曾我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり)、

曾我五郎時致(そがごろうときむね)となったのでした。

そして父の恨みを晴らそうと、仇討ちの機会をうかがっていました。

 

建久4年5月28日 源頼朝が富士野で巻狩を行ったときに

兄祐成と共に神野の旅営を襲い、工藤祐経を討ち果たすが

兄の祐成は新田四郎忠常に討ち取られてしまいます。

さらに頼朝を襲うが小姓の五郎丸によって捕縛され、翌朝取調べとなり

夜討ちの本意を聞いた頼朝は一旦は助命を考えるが

工藤祐経の子息犬房丸の訴えにより処刑された。

 

曾我兄弟の仇討ち/日本の歴史 より転用