月岡芳年 月百姿
『雨後の山月 時致』
明治十八年届
曾我時致(そがときむね)は平安末期・鎌倉初期の武士。
承安4年(1174年)~建久4年(1193年)5月29日
『曽我兄弟の仇討ち』で知られる。
見上げる空に暁月と杜鵑
国立国会図書館デジタルコレクション 088
これより17年前の安元二年(1176年)伊豆奥野で行われた巻狩の際
曾我兄弟の父河津祐泰(かわづすけやす)は
従兄弟の工藤祐経(くどうすけつね)によって殺されていました。
伊豆の所領争いによる恨みから起こった殺人事件でした。
河津祐泰が殺された後、その妻満江御前は
相模国の住人曾我祐信と再婚します。
二人の息子一萬丸と箱王丸はそれぞれ成長し
曾我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり)、
曾我五郎時致(そがごろうときむね)となったのでした。
そして父の恨みを晴らそうと、仇討ちの機会をうかがっていました。
建久4年5月28日 源頼朝が富士野で巻狩を行ったときに
兄祐成と共に神野の旅営を襲い、工藤祐経を討ち果たすが
兄の祐成は新田四郎忠常に討ち取られてしまいます。
さらに頼朝を襲うが小姓の五郎丸によって捕縛され、翌朝取調べとなり
夜討ちの本意を聞いた頼朝は一旦は助命を考えるが
工藤祐経の子息犬房丸の訴えにより処刑された。
曾我兄弟の仇討ち/日本の歴史 より転用