映画「福田村事件」を紹介している番組を見た。以前ここに書いた、あるあめ売りの話しと共通しているに違いないと思い見た。
ひとりひとりは善良でも集団になると人間はどう変わるかわからない。離れたところから見るとあり得ない事態に、いとも簡単に流れていく。異論を唱える少数者はたやすく無視され、大きな流れが「正義」となる。
まだ上映前。
これはわたしのざっくりした感触。
こういうことは日常茶飯事的に、あちらこちらで起こっていると思う。
そもそもわたしは集団が苦手だし、だからこんなところでひとりブツブツ語っているし、友達はもちろんゼロではないし共に活動する仲間だっている、でも集団は苦手だ。
とくに噂話や悪口で盛り上がる「仲良しさん」とはなるべく関わりたくない。
子どもの頃はそれでも何となく調子を合わせて付き合ったこともそりゃあ多々ある。そうしないと陰で自分が言われていそうだから。だけどわたしの経験上どの場合も、悪口好きのトップはいずれ本人も外されていた。
残念ながらこれは、おとなになった今もそう。
実にくだらないと思う。
程度の違いはもちろん弁えているつもりだ。子どもの悪口合戦と震災後の大混乱を一緒にするわけではない。
だけど…根底の根底にあるものはちょっとだけ同じものもあるんじゃないだろうか。
差別して見下して、得られる安心感。
悪意で高まる仲間意識は長続きしないし、壊れるときはあっという間だよ。そしてけっきょく自分も相手も、まわりの人も傷ついて疲れる。もういい加減、やめたらどうだろう。