所詮、シパや下ネタ妄想族に限らず誰もが承認欲求を満たしたくなるのか。賛同者が増えることへの恐怖より、もっと支持されたいという欲求が勝ってしまうのか。
そんなに推しを人格者にしたいのか。
そんなに美談にしたいのか。
自分が好きになる対象は素晴らしい人間でなくてはならない?素晴らしいに決まってる?
そういう「押しつけ」が彼らには重かったんじゃないのか。
音楽が好きだから聴く。
ダンスが好きだから見る。
それだけじゃダメだったのか。
確かに、彼らはまるでプライベート的なものも商品として売り出していた。そこに惹かれてファンになった人も多いのだろう。でもなぜそれをまるっきり「素」だと思うのか。
カメラは回っているのだ。
目の前で。
人間性が好き。
わたしにはとても言えないセリフ。
メディアに上がってくる姿に、わたしは幻想は抱かない。
カッコいいなと見惚れることもあれば、楽しそうな姿に思わず声を出して笑ってしまうこともある。
でも、それだけ。
いったんカメラが止まってしまえば、そこでどんな人間模様が繰り広げられているかなんて、1ミリも分かるはずは無いのだ。
7人揃って9周年を迎えたということだけが絶対的な事実。
それ以外のことはファンである以上、憶測を言っているに過ぎない。
あのブイラ。
あれを改めて見るとなんとも不思議な気持ちになる。
お酒を飲んで涙ながらに熱弁をふるい、辛かった自分たちの心情を吐き出した、それがそのまま世界中に配信されると分かっていてのあのみんなの様子。
考えられないのだがひょっとすると…
アミがここまで悲鳴を上げることが想定できていなかったのではないだろうか。
大声で泣き喚けばその声が通ると言われているお国柄。
もしかしたらあそこまで感情を昂らせるのは予定されていたのか?
ここまで言えばアミは何も言わず受け入れてくれるだろうと踏んでいた?
それこそ、あの会食撮影のカメラが止まった瞬間、現場にはどんな空気が流れていたのだろう。
ひねくれ過ぎだろうか。
こんなことを言いつつわたしは、ジミンやナムジュンの涙は嘘ではなかったとも思っている。
とくにナムジュンは本当に、気の毒にさえ感じた。
リーダーとしてここまで語らなくてはいけないものなのか、と。
でもあれが、BTS含めハイブとして認めた商品なんだなとも思っている。
そして自分の中のひねくれ者を認めながらも、今日もBTSを聴いている。
単純に彼らの歌が好きだから。
我ながら矛盾している。
そうそう、もうひとつ。
あのブイラでテテに対して大声をあげたジンに、ジンペンのわたしとしてはささやかに感動した。
わたしのセンサーではあれは素に近いジンということになっている。
いつもおちゃらけているようで時おり神経質さが顔を出す、という。
我ながら勝手である。
最後に。
機転は利く、のです。