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▲悟空が釋迦に敗れ、三蔵と出会うまでの間、人間界は『三国志』の戦乱

2008-02-24 16:14:00 | 太古~『西遊記』の時代
悟空が釋迦に敗れ、三蔵と出会うまでの間、人間界は『三国志』の戦乱(『西遊記』天界編、『三国志』)

もう一つ、京劇の題材になっているもので
「孫悟空大閙天空(Sūn Wù-kōng Dà-nào Tiān-kōng)」がある。
孫悟空は、サルはサルでも猿(尾のないape)でなく
猴(尾があるmonkey)である。

孫悟空が天界を荒らしまわったあと、天帝が天竺の釋迦に救いを求めた。
1978年に放送された日本テレビ版で釋迦は悟空の前で自分に尊称を使って「わたしは西方極楽世界の釋迦牟尼尊者、南無阿無駄佛です」と名乗っていた。悟空は「自分は72とおりの変化の術など、各種の妖術を心得たから天帝になっていいはず」という近代的実力主義だったが、釋迦は「万物には与えられた場所がある」と述べ、いわば、出生、先祖の血統を絶対視していた。このあたり、やはり、釋迦はインドの王子であったように見えるが、最終的に釋迦が悟空に与えた立場を考えると、悟空の実力を評価していたのだろう。

有名な「てのひら」のエピソードのあと、釋迦は悟空を五行山に拘束。釋迦は山に「唵嘛呢叭𠺗吽」という真言が書かれた「押さえ札」を貼って孫悟空を封じた。この札は500年たっても暗いところでも光るようで、灯台のような便利なもの。
Google 唵嘛呢叭𠺗

【画像】唵嘛呢叭𠺗


この釋迦と悟空の「対決」は歴史上、いつのことか。

釋迦牟尼は紀元前五世紀の人間だが、悟空と会ったときは佛陀(ブッダ)、佛(ほとけ)であったから、没年後であっても不思議はない。
悟空は500年間、五行山に拘束され、助けられたのは玄奘が経を取る旅に出た年。玄奘の旅が始まった年には諸説ある。

玄奘の長安出立は西暦何年のできごとか

太宗(たいそう、Tài-zŏng)皇帝の年号は貞觀(ぢゃうぐわん→じょうがん、Zhēn-guān)である。
前嶋信次(まえじましんじ)氏の『玄奘三蔵-史実西遊記-』(岩波新書、1952年)では「貞觀元年(西暦627七年)」説で、前嶋氏は「貞觀三年説とする説もあるが、とらない」としている。その「貞觀三年」のほうは西暦629年。日テレ版第1作の第2話ではこれを採用しており、太宗も「余が即位して三年」と言っていた。一方、原作では貞觀十三年(西暦639年)で太宗が即位して13年たった時代になっている。
ここでは、西暦629年とする。
629年から500年さかのぼると、「お釋迦様のてのひら」の話は西暦129年。これは後漢(東漢、西暦25~220)の時代である。

釋迦の命(めい)により、謹慎中の孫悟空は鉄の玉と銅の煮汁を飲まされていた。1978年放送の日本テレビ版によると、これを与える役だった土地神は悟空拘束の最後の年となった西暦629年にも来ており、「3年後また来てやろうぞ」と言っていた。最終的に土地神が、また、悟空に鉄球を食わせる必要はなくなったのだが、この悟空の「食事」が500年の間、常に3年おきだったすると、500の前後で、3で割り切れる数は498と501になる。最初の「食事」は孫悟空の「解放」から498年前で、西暦131年、拘束開始から2年後になる。悟空は拘束されてから2年間、飲まず食わずで、おあずけを食らっていたことになる。あるいは「500年」が概数で、幽閉が501年続き、始まったのが西暦128年とも考えられる。

のちに悟空は玄奘と旅をした後、食糧が尽くと空腹で妖術を失うことがあった。五行山では3年間の断食に166~7回も耐えられたが、悟空でも旅は体力を消耗するようだ。

釋迦によると、孫悟空が静かになったあと、悟空に代わって人間たちが争い、500年の間、非道を繰り返していたらしい。この500年の戦乱は後漢との間なので、三国南北朝、唐にあたる。日本では邪馬台国から佛教導入をめぐる蘇我・物部の戦い、遣隋使の時代である。6世紀に百済から日本に佛教が傳来(傳は傅ではない)した。

つまり、釋迦が嘆いた人間界の乱世はの戦乱だったわけで、諸葛亮劉備曹操も孫悟空に代わる暴れ者、好戦主義者にすぎない。それで、どれだけの人命が失われたか。

火の鳥黎明編』は2世紀後半の神話時代から3世紀ごろの邪馬台国の時代のようで、イザ・ナギ、イザ・ナミ、ヒミコが出てくるらしい。将軍・猿田彦が出てくるが、子孫らしき人物が多くの時代に出現したらしい。
220年、後漢(東漢)滅亡、魏(Wèi)が成立(~265)。
221年、蜀(Shŭ)が成立(~263)。
222年、呉(Wú)が成立(~280)。
3世紀ごろ、弥生時代から古墳時代へ。

▼弥生→ヤマト時代、そして飛鳥時代、中国唐代(『西遊記』取経編)
手塚治虫の『火の鳥・ヤマト編』では五世紀の日本が描かれ、ヤマトの王、王子のヤマト・オグナ、さらに川上タケルが登場。

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孫悟空と釋迦の話は歴史上、いつのことか

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▲後漢、弥生時代(『打金磚』、『ドラえもん』)

2008-02-24 13:46:00 | 太古~『西遊記』の時代



ヤマタノオロチを始末したのはスサノオノミコトでなく、ドラえもんと野比のび太(『ドラえもん』・「タイムマシンがなくなった!!」)
紀元後25年、後漢(東漢)建国。
光武帝・劉秀(前6~57)が紀元後25年から在位。
京劇『打金磚』で光武帝の時代が記録されており、馬武が光武帝を殴ったとか、馬武が金磚を使って己の頭を殴って自殺、光武帝が家臣の霊にたたられて死んだとか、いろいろな説が乱れ飛んでいる。

1~2世紀ごろ、(おそらく天竺から)漢に佛教傳来。西暦105年ごろ、
蔡倫(Cài Lún、?~107?)が製紙法を完成させた。
カール・セーガンが『コスモス』で解説したところによれば、2世紀から6世紀にかけて、中国で紙とインク(墨)、版木による印刷技術が發達。当時、遅れていたヨーロッパがこれに追いつくのに千年かかったという。
一方、中国人と韓国人はいずれも世界の活字印刷の發明国は自分だと信じている。「東アジア共通の歴史観の構築」など、実現不可能な空論であるし、一種の全体主義である。
のちに、紙に書かれるようになった経典のために、僧侶が命を掛けた旅に出る時代が7~8世紀にやって来る。

ヤマタノオロチの物語の真相
一方、この時期、日本でどうかというと、『ドラえもん』では、弥生時代の日本に八岐大蛇(ヤマタノオロチ←作中でヤマタのオロチ)が出現。村人は恐怖におびえていた。これはドラえもんの道具「モンスターボール」が出した幻で、20世紀にこのボールで遊んでいたのび太がタイムマシンのブレーキをかけ忘れた結果、無人のタイムマシンがモンスターボールを乗せて暴走し、弥生時代についたらしい。のび太は「頭が八つなら股は七つのはず」と主張。結局、オロチはモンスターボールを發見したドラえもんとのび太によって回収された。
中国版ではヤマタノオロチが「山田的落日」と譯されてしまった。

この話はてんとう虫コミックス単行本の第22巻に収録された「タイムマシンがなくなった!!」での記録で、ドラえもんの台詞によると、弥生時代は「今から千八百六十六年前」となっている。第22巻は 1981年に出たので、1980年~81年の作品とすると、この古代は西暦114~115年である。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の尾から草薙の剣が出てきて、日本武尊がその剣を使ったらしい。
三船敏郎主演の東宝映画『日本誕生』では、古代の日本で日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が大和朝廷の刺客として抵抗勢力と戦ったが、これも熊襲など他の諸民族から見れば「大和民族からの侵略」である。天下統一は失敗したら「侵略」で、侵略は成功したら「天下統一」と称される。
日本では玄奘三蔵法師を女が演じるのが定着しているが、日本武尊と源義経を女が演じる作品がたくさんあってよさそうなものだ。三蔵はそろそろ、日本でも男が演じていいと思う。

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▲始皇帝の「侵略」=「天下統一」の時代

2008-02-24 13:38:00 | 太古~『西遊記』の時代
▼始皇帝の「侵略」=「天下統一」の時代(『衛湯湯』、『項羽と劉邦』、『朱蒙』)
秦王暗殺は「天下」の大儀で回避された(『英雄』
紀元前5世紀ごろの釋迦の時代は手塚治虫の『ブッダ』で描かれている。
釋迦の誕生日とされるのは四月八日の灌佛会(くわんぶつゑ)である。釋迦が生まれてすぐ七歩ほど歩いて「天上天下唯我独尊」と叫んだという話は、孫悟空でも知っていたようだ。
人間としての釋迦は紀元前に入滅したが、その後、佛(ほとけ)となって、紀元後の後漢(推定)、さらに唐の時代にも出現し、孫悟空や玄奘の前に現れることになる。

映画『墨攻』『英雄HERO』は紀元前の東アジア大陸を描いている。
映画『英雄』が描いているのは、秦王・嬴政(Yíng Zhèng・前259生~前247即位~前210没)が紀元前221年にシナ大陸を統一して始皇帝となる前の戦国時代。
刺客「無名(現代北京音でWú Míng)」が秦王暗殺を謀って接近。秦王は大群で趙(前403~前222)を攻め、の書道の塾にまで雨のような矢を降らせた。師匠は弟子たちに「うろたえるな。趙の国は滅んでも趙の文字は滅びぬ」と一喝し、塾生たちも逃げず、矢の雨の中、書の練習を続けた。
この「統一」とは、言い換えれば、「秦趙併合」、「秦韓併合(「韓」はシナ大陸の国名、朝鮮ではない)」、「秦斉併合」、「秦楚併合、「秦燕併合」、「秦魏併合」である。趙国人は秦王に復讐を考えたが、秦王が六国を滅ぼしたのは「天下統一」という大儀で正当化された。国が国を滅ぼす戦争が、あるときは「侵略」と呼ばれ、あるときは「天下統一」と言われるのが歴史の曖昧さである。
『機動戦士ガンダム00』によると西暦2307年になっても人類は一つになれていないようだが、一つにするというのは、否定的に人から「侵略」、「植民地支配」と言われるのが常である。
「無名」は趙国人の書による「剣」の字(「」に近い)を献上した。

当時、「剣」という漢字には20とおりほどの字体があり、秦王は「ばかげたことだ。余が六国を滅ぼし、外に打って出るときは、無駄な字体を廃止してみせる。天下の言語を統一するのだ」(和譯の要約)と豪語していた。「無名」は六国だけで終わらない王の野望に驚いていたが、中国大陸政府の簡体字政策はそれを受け継いだものだろう。残念ながら、東アジアでは漢字の統一ができておらず、日本という東洋の島国では普通は「剣」を使いながら、地名の「剱岳」を特別扱いするように、地名と人名で多くの異体字が独立した別々の漢字のように扱われ、メチャクチャである。

秦王は「剣を使わないのが真の英雄」と述べ、それを信じた「無名」は暗殺を寸前で断念、秦王の家臣たちから多数の矢を受けて絶命した。

歴史は「侵略」を「天下統一」と言い変えて正当化するもの(『項羽と劉邦』、『朱蒙』)
秦の話は映画『THE MYTH 神話』でも出てくる。Wikipediaによると舞台は紀元前220年らしい。
この始皇帝が21世紀になって、テレビCMで吉永小百合と競演していたように想うが、幻かも知れない。
始皇帝が求めた不老不死の霊薬を探す仕事は、日本でも平安時代から江戸時代まで繰り返されることになる。

「謀叛は決して成功しない。もし成功したらだれも謀叛などとは呼ばないから」という格言があるが、「侵略も決して成功しない。もし盛行したらだれも侵略などをは呼ばないから」とも言える。
企業買収や市町村合併は国の併合、つまり植民地支配、「侵略」の縮小版である。
今では、人々は口では「国境など無意味」、「グローバル」などと言いながら、日本が「銃社会」になりかかると「国が規制を」などと、国境内だけの法に頼り、農薬の入った餃子や核兵器、原子力空母、在日朝鮮人などを「国境」の外に追放して安心しようとする。さらに国境をなくそうとした過去の先人の行為を「侵略」、「植民地支配」として全面否定する。このような状況では「世界を一つに」など、当面は実現しないほうがいい。
秦に併合された(植民地化)楚の人間は始皇帝を恨んでいた。

項羽劉邦
『史記』『項羽と劉邦』は多くの漫画で題材になっている。
久保田千太郎作、久松文雄画の『史記1項羽と劉邦・上』によると、紀元前210年、始皇帝が5回目の巡行に出たとき、始皇帝の行列を目にした項羽(かうう、Xiàng Yŭは「ここはもともと、われら項氏一門が代だい将軍職をつとめたの土地」と言って悔しがっていた。

始皇帝の圧政は批判の的だったが、その秦の政府に批判的な者たちも建物を破壊、罪のない人たちを殺しまくっていたようだ。
紀元前210年、始皇帝が没すると、多くの女官や労働者が殉死させられた。秦王朝の打倒を叫ぶ反乱が多發。現代で言えば自爆テロのようなもの。中国の反日暴動も義和団の乱(暴動)も日本による真珠湾攻撃も同じ感覚だっただろう。

劉邦は濮陽城を攻め、項羽軍七万は城陽城(せいやうじゃう、
Chéng-yáng-chéng)を攻撃、つまり器物破損、おそらくは放火、そして殺人罪を犯した。その結果、城陽城は紅蓮の炎をあげて燃え盛り、久松文雄画の漫画によると、兵士だけでなく多くの民衆が殺された。

さらに、項羽の叔父・項梁(かうりゃう、Xiàng Liáng)が
定陶城(ていたうじゃう、Dìng-táo-chéng)で章邯(しゃうかん、Zhāng Hán)軍の総攻撃を受けあえない最期。項羽が定陶城についたときは、章邯は河北(Hé-bĕi)に向かった後で、城には罪のない町人のみ。しかし、項羽は定陶城に火を放ち、無辜の町人をも虐殺した。

沖縄の集団自決が問題になっているが、始皇帝死去直後のこうした歴史の風化を防ぐこと、大虐殺の原因の検証、国家による謝罪、責任者への処罰、被害者への賠償も考えるべきだろう。戦争への反省というと第二次大戦だけを考えているようでは意味がない。過去を清算するなら、100年前、
1000年前、2000年前の戦争もすべて清算すべきである。
反権力の独立運動は、まず、結果が出ない間は犯罪、テロリズム(恐怖主義)である。
紀元前208年閏(うるう)9月、項羽)と劉邦(りうはう、Liú Bāng)は軍を率い、二手に分かれて関中(くわんちゅう、Guān-zhōng)を目指した。
当時の人々にとって「楚」や「趙」は滅んでも一時的なもので、いつか独立するものであり、1910年から1945年まで日本に統治された朝鮮のようなもので、つまり、始皇帝による「統一」は「植民地支配」であった。「歴史から学ぶ」、「過去の清算」は重要だが、それなら始皇帝、項羽、劉邦など、あらゆる「侵略者」、「戦争指導者」の戦争責任を考えるべきであろう。

秦が古朝鮮を「侵略」
『朱蒙Ju-mong~Prince of the Legend』によると、紀元前108年、漢の「侵略」によって古朝鮮が滅亡、多くの人が国を失った。日本がおこなった日韓併合だけでなく、唐による高句麗への「侵略」など、中国が朝鮮におこなった「侵略」も後世につたえ、戦争責任者を罰し、外交の場で謝罪し、被害者に賠償をすべきだろう。
そして主人公・朱蒙が高句麗を建国したらしい。中国への古朝鮮への「侵略」の過去は清算されただろうか。被害者に謝罪しただろうか。中国の歴史教科書はどうなっているか。東アジア共通の歴史観構築は極めて難しく、不可能と言ってよく、必要はないし、むしろ、歴史観の統一など、全体主義である。
日本では「終戦」前、高句麗を「高麗」と書いて「こま」と振りがなをつけ、鎌倉時代の「高麗」には「かうらい」という振りがなをつけて、同じ漢字、別の読みで区別していた。中国人は唐代の高句麗を「高麗(Gāolí・麗の声調は例外的)」、元朝の高麗を「帖戦(Cháoxiān)」と呼ぶ傾向がある。また、中国製の新華字典では「高麗」は「朝鮮の歴史上の王朝」としているが、「高句麗」については「高句驪」という表記でGāogōulíと読み、「古国名」とだけ記してある。

紀元前後、修羅の国(推定)で北斗神拳が成立(『北斗の拳』)。北斗神拳は中国から日本につたえられたが、修羅の国では梵語や梵字が使われ、中国かインドかよくわからない。ケンシロウは1970年代に生まれたが、出身地が「修羅の国」か、それとも「日本」かはっきりしない。

『火の鳥・エジプト、ギリシャ、ローマ編』の舞台は古代ギリシャ・ローマ時代らしい。

『デビルマン』によると、サモトラケのニケはデーモン族だったらしい。飛鳥了によって斬殺された、飛鳥了は神を裏切り、悪魔に味方した天使・サタンで、このとき、サタンは記憶を消して人間・飛鳥了になりすましていたが、このときはさすがにデーモンたちもサタンを敵だと想ったのではなかろうか。

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▲地球誕生~古生代~中生代~人類の誕生

2008-02-24 13:35:00 | 太古~『西遊記』の時代

地球誕生~古生代~中生代~人類の誕生(『ドラえもん』、『ダイナソー』など)
3億年前に犬と猫の文明があった
手塚治虫の『マグマ大使』によると、今から46億年前、地球は「アース」という神のような人物によって作られたらしい(円道祥之=えんどうまさゆき『空想歴史読本』)。

それから43億年後。今から3億年前の古生代
魚類が陸上に上陸して両棲類になり、爬虫類はまだいるかどうかという時代。
藤子・F・不二雄の『ドラえもん』の「のら犬『イチ』の国」によると、新生代からタイムマシンで訪れたドラえもん(2112年製造)と野比のび太(1964~)が犬と猫の群れを残して去り、この犬猫が進化放射線で進化し、1000年で文明を設立。場所はアフリカの奥地。ただ、気象の大きな変化を予測し、犬猫たちは宇宙に逃れた。
20世紀にこの犬猫たちの町の遺跡が發掘され「3億年前に文明があった」ということで、人類学、考古学などの定説を覆す大ニュースになった。タイムパトロールは黙認していたのか?
この作品における「現代」は、「のら犬『イチ』の国」では20世紀であろうが
2004年に公開された映画版『ドラえもん・のび太のワンニャン時空伝』では「21世紀」になっているようだ。西暦2004年にはのび太が40歳になり、息子・ノビスケも小学校六年くらいになっているはずである。

ドラえもんは22世紀に作られる予定の猫型ロボットで、21世紀初頭の科学で言えば、おそらく、犬型ロボットAIBOのようなペット用ロボットか、あるいは子守ロボット花粉監視ロボットなどの進化形であろう。
もし、犬猫たちが新生代まで進化していたら、人類が生まれたかどうか、疑問である。

永井豪の『デビルマン』の漫画および実写映画によると、デーモンが古生代中生代初期に知的生命体になって二足歩行。恐竜全盛期になると、デーモンは恐竜に対して生き残るために知性を發達させて文明を築き、三畳紀に超大陸パンゲアの誕生、南北大陸の分裂の時期にデーモン一族の文明が始まり、新生代にシリコンカプセルの中に眠ったらしい。

また、『ドラえもん・のび太の恐竜』によれば、恐竜たちが栄えた中生代、ドラえもんとのび太が20世紀からタイムトラベル。彼らはフタバスズキリュウの卵の化石をタイムふろしきで蘇らせ、育てたあと、中生代に送りに来たが、日本でなくアメリカに来てしまった(源静香飼い犬が「死んだ」と見なされたとき、ドラえもんは「死んだものを生き返らせることはできない」という主旨の台詞をのび太に言ったことがあるが、タイムふろしきを使えば可能である)。
ドラえもんたちはこの首長竜(ピー助)を日本に送ることにするが、タイムマシンの空間移動機能が壊れただけで、中世代の地球上を歩くことにした。どこでもドアには中生代の地図がインプットされていないらしい。しかし、そんなことしなくてもタイムマシンで20世紀のアメリカに戻って、どこでもドアで日本に帰国すればよかった。
最終的にドラえもんたちは、タイムパトロール隊のタイムマシンで20世紀の日本に帰還した。
のび太の学友・静香、ジャイアン、スネ夫は当初、のび太が「本物の恐竜を育てた」と言ったことばを信じなかったが、一緒に白亜紀を訪れ、のび太の育てた首長竜を見て納得した。しかし、厳密には首長竜は「恐竜」ではない。ドラえもんと学友たちが、誰一人としてその点を言わなかったのは、彼らの無邪気さか、寛大さか。
ドラえもんたちが訪れた白亜紀の地球では、白亜紀の恐竜・ティラノサウルス(Tyrannosaurus)だけでなく、ジュラ紀にいたはずのブロントサウルス
(Brontosaurus)
、別名アパトサウルス(Apatosaurus)のような恐竜もいたようで、おまけに肉食恐竜と草食恐竜で歯の形が違うはずが、映画では同じだった。

もっとも、『のび太の恐竜2006』では各場面の恐竜の描写が、新説によって改められているようだ。

6500万年前に恐竜は滅亡、一部は人類誕生後も存続
恐竜が栄えた時代は6500万年前に終わった。
恐竜の絶滅は「彗星の衝突による」との説が有力である。ディズニー映画『ダイナソー(Dinosaur)』によると、当時、彗星衝突直後、一部の恐竜が群れをなしてオアシスを探す旅に出たようで、このときから哺乳類のキツネザルがいたことになっている。
また、『ドラえもん・のび太と竜の騎士』によると、恐竜の一部が地下に逃れ、地上に人類が出現する時代まで、地下で進化していたらしい。ドラえもんたちは「ほんやくコンニャク」という体内摂取型の自動翻譯装置(食品)で、恐竜人間と意思疎通をした。このコンニャクは音声入力および出力のできる電子会話帳の進化したものだろうが、竜人のことばや現代ドイツ語だけでなく、7万年前の人類のことば、平安時代の日本人のことばもインプットされていたらしい。驚くべき高機能だが、日本語を話すドラえもんの電子頭脳にこの翻譯機能がインプットされていないのは不思議である。ドラえもんは猫の鳴き声は理解できるが、犬の鳴き声になると「動物語ヘッドホン」に頼る。現代社会では犬の鳴き声から犬の心裏を読み取り、文字化する機械がある。

漫画に出てくる「原始時代」は石器時代人と恐竜が同居している場合が多く、人類が中生代からいたのか、恐竜が新生代まで生存していたか、そこは不明。
石森章太郎(のちの石ノ森~)の『原始少年リュウ』によると、石器時代にも恐竜など中生代の爬虫類がいたらしく、「人類が誕生したとき、恐竜はいなかった」という定説を覆している。地下の「恐竜帝国」から一部が地上に舞い戻っていたか。
『Dr.スランプ』によると原始時代にはライター(lighter・点火器)も持ち込まれた。原始人はそれを面白がっていたが、内部の燃料がなくなれば役に立たない。文明の利器とはそれを支える社会のシステムなしには成り立たないことの証明である。

『ドラえもん』の「石器時代の王さまに」では、のび太がタイムマシンで10万年前の石器時代を訪れ、英雄になろうとするが、持ってきた20世紀の道具が役に立たず、逆に現地の子供のペットにされそうになる。巨大なマンモスに襲われたところを最終的にドラえもんに助けられ、石器時代の人たちはドラえもんを王より偉い「神」としてもてなした。この時代の地球には、のび太の先祖、スネ夫の先祖(スネル)、静香の先祖、ジャイアンの祖先らしき人間もいた。
狩猟、最終文化を持っていた先祖たちから見れば、文明に慣れきった現代人のほうが劣った動物に想えたことは、文化的、民族的な偏見が「お互い様」であることを示す歴史的教訓になる。このことは『猿の惑星』『猿の軍団』で描かれた未来の地球でも繰り返される。

続き。

117

園山俊二の『はじめ人間ギャートルズ』によると、石器時代の人間はマンモスの肉が主食だったらしい。また、当時の人間はサル(猿または猴)に果物を食わせ、吐き出させて酒を造っており、石の貨幣もできていた。
そして、『ドラえもん・のび太の日本誕生』によると、今から7万年ほど前、日本列島が大陸と地続きだったころの東アジアに住んでいたヒカリ族がドラえもん、のび太と遭遇、日本人の先祖になったらしい。「明石原人」がこの時代にあたり、実際は原人と新人の間の旧人に属する模様。作中では日本における旧人は滅んでいて、今の日本人の先祖はヒカリ族の末裔らしい。

漫画『王家の紋章』は20~21世紀の人間が古代エジプトにタイムスリップする話。

「イチ」の国の場合、国ができたのが「3億年前」で、犬や猫たちが地球から去ったのがそれから1000年後。すると単純計算で「2億9999万9000年前」になるが、これは四捨五入して「3億年前」と呼んでもいい時代だ。

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