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『忠臣蔵』の赤穂浪士47士による吉良邸討ち入りは仇討ちでなく「追い討ち」

2015-05-17 15:01:00 | 延宝~貞享~元禄~宝永~正徳、綱吉前後
この2人は「大岡越前と遠山の金さん」でもありますね。
大石内蔵助・・・北大路欣也
柳沢吉保・・・高橋英樹
「大石が吉良を討つのは仇討ちではなく、追い討ち」という視点が重要です。

大石内蔵助ら赤穂浪士四十七士も単なるテロリストですがね。歴史上有名な人の伝記で1年見させるドラマは飽きられる運命にあり、北条政子、北政所、春日局、篤姫、江など周辺の女性に重点を移しても脚本次第で不自然になります。大河の存在意義も問われるでしょうね。

吉良上野介は浅野内匠頭を殺していないので、大石内蔵助らが吉良を討っても仇討にはなりません。吉良上野介は浅野に斬りつけられ大石に殺害された被害者です。仇討でなく追い討ちですね。内匠頭に切腹を命じたのは綱吉なので、本当の仇討なら大石は将軍と戦うべきでした。

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令和4年BLOG
2022-01-31 00:41:17



赤穂浪士吉良邸討ち入り312年

2015-01-31 23:53:00 | 延宝~貞享~元禄~宝永~正徳、綱吉前後
312年前の1703年1月31日、和暦では元禄15年(1702年)12月15日、吉良上野介没。大石内蔵助ら赤穂浪士47名の犯罪者集団が吉良邸に押し入り、多くの住人を殺傷、吉良上野介を殺害した。
13:22 - 2015年1月31日

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/平成27年1月/

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吉良上野介没後312年 - Yahoo!ブログ

AmebaBLOG>吉良上野介没後312年/
<平成27年>2015-01-31 23:28:34

2015january - Yahoo!ブログ

『水戸黄門』は守るべき文化か?

2014-11-27 10:24:00 | 延宝~貞享~元禄~宝永~正徳、綱吉前後
春日太一氏は『水戸黄門』がマンネリ化し対象を高齢者に特化して一時的に人気が出たもののそれが終了を招いたと言っている。
若者向けにシフトして「失敗」したことになっているが、高齢者向けを続けていてもパナソニックの赤字が増えるだけだっただろう。
春日太一氏は時代劇のマンネリ化を批判しながら、一方でテレビの連続枠でないと若手俳優や撮影所のスタッフが育たないからスペシャル枠移行にも批判的だった。
しかし連続枠に残したままでマンネリ脱却、若手育成ができたか疑問だ。
むしろマンネリ打破、若手俳優起用のためのスペシャル枠以降であろう。

春日太一氏の論は「時代劇の連続枠でのマンネリ化・高齢者向けはダメ」「しかしマンネリ打破・若者志向のスペシャル枠移行もダメ」として、批判してばかりで、どうすべきか代案がない。
春日太一氏が時代劇のスペシャル枠移行を批判するのは「京都の撮影所の仕事がなくなる」という個人的感傷によるものだが、京都の撮影所など潰れるなら潰れればいいのだ。
新しい時代劇は水戸や日光、鎌倉、東京で撮影ができればそれでいい。

さて『水戸黄門』の終了を理由に逸見稔没後のスタッフや出演者(中尾チーフ、石坂浩二、里見浩太朗)を批判する人たちは、「『水戸黄門』は日本人が守るべき文化だ」という頭で考えており、「それなのに中尾らが『民放最後の連続時代劇』(2011年の時点)を潰した」ということで怒っているのだろう。しかし『水戸黄門』を守る義務は日本人にはない。
終わるなら終わればいい。

春日太一氏も「よくぞここまで持ちこたえた」としている。
るが一方で春日太一氏は「『水戸黄門』終了が世の中にマイナスの影響を与えた」としているが、その理由は「京都の撮影所の仕事がなくなる」というだけの話。前述のとおり、京都の撮影所など市場原理主義の中で潰れれば潰れればいい。
時代劇で食っていけない人は別の仕事を探せばいい話だ。

では時代劇関係者が『水戸黄門』を守るならどの時点までのスタイルを守るべきか。
逆に『水戸黄門』がダメになったのは逸見の時代か中尾の時代か。

逸見稔の代でダメになったのなら、映画の時代か、少なくともマンネリ化する前の東野黄門初期に戻せばいい。
中尾チーフの代でダメになったのなら、逸見の時代に戻せばいいはず。

実は石坂・里見黄門の時もスタッフは東野黄門初期の再現を狙っていたようだが多くの視聴者はそれに気付いたかどうか疑問。
また、里見浩太朗は石坂黄門を批判し、自分の代で逸見存命時の水戸黄門に戻したつもりだったようだが、それも受け入れられなかったようだ

逸見の時代では『水戸黄門』の1時間枠になってマンネリ化し、印籠が、続いて入浴シーンが定番化した。これは月形龍之介の時代にはなかったことだ。月形黄門はテレビドラマにもなったようだがメインは映画であった。
一方、月形龍之介の時代から逸見存命時の東野~西村~佐野黄門まで守られた原則は「光圀を脇役(西村黄門までは脇役かつ悪役)俳優が演じ、助三郎を主役級が演じる」ということだ。石坂・里見黄門では光圀役に主役級が起用されて原則が崩れた。

從って『水戸黄門』の「高齢者への特化」を排除した上でこれを存続するには「印籠、入浴のマンネリを排除」または「連続枠から撤退し映画やスペシャル枠に移行」した上で「光圀役を脇役、助三郎を主役級が演じる」ということだ。

例えば、もし佐野黄門が終わった時点で『水戸黄門』が連続枠から撤退し、ナショナル劇場が全て現代ドラマになり、『水戸黄門』が年に1度のスペシャル枠になっていたらどうだったか。それで光圀役が笹野高史で助三郎役が東山紀之あたりだったら、『水戸黄門』は存続しただろう。
おそらく笹野高史は里見浩太朗の後の水戸黄門役として候補に挙がったかも知れないが、もし打診を受けても本作が連続時代劇である限り断っただろう。もし『水戸黄門』がスペシャル枠に映っていればこの配役が実現したはず。
スタッフが助三郎に主役級を起用できなかった理由として、春日氏も「有名な若手を擁する事務所が俳優を長い間、京都に拘束されることを嫌った」ことを理由に挙げていた。
だったら京都での撮影をやめればいい。あるいは連続枠でなくスペシャル枠であれば京都での撮影でも主役級を起用できた。

要するに21世紀の『水戸黄門』は例えば「連続枠でなく年に1度のスペシャル枠で、笹野高史のような名脇役が黄門役で、東山紀之のような『若手』が助三郎役」なら存続した。これで撮影所が京都でなく東日本だったらベストである。

もし佐野浅夫降板以降の『水戸黄門』が「水戸光圀:笹野高史、佐々木助三郎:東山紀之、撮影所は関東で年1回の2時間SP」であれば存続した。それが「水戸光圀:石坂浩二、里見浩太朗」で相変わらず連続枠で京都での撮影だから終わった…それでも10年続いたからやはり「よく持ちこたえた」と見るべきだろう。ただ『水戸黄門』について部外者が「スタッフが続けるべき番組を終わらせた」と考えるのは安易である。『水戸黄門』などたかが一つの番組に過ぎない。終わったからといって社会に何の悪影響もない。水戸や京都が騒いだのは自己責任、因果応報である。

『水戸黄門』が民放で唯一の連続時代劇になった時点でこれが終わる兆候は見えていた。
ならば水戸も京都もその時点から「水戸黄門に頼らない策」を考えておくべきだった。

TBSとパナソニックにとって『水戸黄門』はとっくの昔から「存在価値0」だったのだ。

「なぜ時代劇は滅びるのか」にある「水戸黄門」論で注目したのは実質的な主人公が助三郎という配役面の問題と、松下電器にとって主な顧客が30~40代で、高齢者はお呼びでないという点。終了は当然で遅きに失した。京都の撮影所が困る云々は春日太一氏個人の感傷。
0:57 - 2014年11月24日

春日太一氏は逸見稔没後のナショナル劇場のスタッフ(特に中尾チーフ)を「『水戸黄門』を延命させた功労者」と見ているのか、「『水戸黄門』を終わらせた戦犯」と見ているのか、「なぜ時代劇は滅びるのか」を読む限りではページによってどちらにも解釋できる。
1:13 - 2014年11月24日

佐野浅夫降板後の石坂・里見黄門が「失敗」ならどうすべきだったか。例えば光圀役が笹野高史、助三郎役が東山紀之か木村拓哉か堺雅人、撮影場所が京都でなく東京、水戸、日光、鎌倉など関東圏、連続枠でなく年に1度のスペシャルであれば水戸黄門は存続できただろう。
11:07 - 2014年11月27日

水戸黄門の終了を批判する人は水戸黄門をもっと続けるべき「文化」だと思っていたのだろうが、水戸黄門は一つの「番組」にすぎないわけで、企業の判断で終わらせるのは当然である。
11:12 - 2014年11月27日

「水戸黄門」は里見・原田・合田のメンバで、博多座公演で一時、舞台で復活したし、テレビシリーズとは「配役」が違うようだが水戸黄門漫遊一座による活動で存続している。これは撮影所の制約や民放テレビ局の連続枠としての縛りがなくなった結果である。
11:34 - 2014年11月27日

@kyojitsurekishi
水戸黄門漫遊記はもともと講談であった。映画は1910年の尾上松之助主演の作品から始まったようで、テレビ時代に移行してから2011年に里見浩太朗主演の水戸黄門が終わり、水戸黄門の映像化は101年の歴史に幕を閉じた。今後は講談と芝居で存続するだろう。
11:44 - 2014年11月27日

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『水戸黄門』に登場した服部半蔵(演:佐野浅夫)

2014-07-03 06:39:00 | 延宝~貞享~元禄~宝永~正徳、綱吉前後
『水戸黄門』第32部「1000回記念3時間スペシャル/江戸」(2003年12月15日放送)で佐野浅夫が服部半蔵を演じていた。

HPでこう書かれてある。
黄門様は将軍様から薩摩藩が莫大な借財を蓄えているという噂があると聞かされる。服部半蔵が(佐野浅夫)調べているが、放った忍びが誰も帰ってこないという。

「服部半蔵が」の後に「(佐野浅夫)」という俳優名が書かれてある。普通は「服部半蔵」の後に「(佐野浅夫)が」と続くのではないか。

光圀隠居の時代、薩摩藩主は3代目藩主・島津綱貴であった。

服部半蔵はまず安土桃山時代(1573~1603)に出現したらしい(映画『新・影の軍団』)。

半蔵は真田の忍者と闘っていた模様(『サスケ』)。

次に家綱が将軍になった1651年以降に服部半蔵(3代目か)が活動を初め(TV『服部半蔵 影の軍団』)、1657年の明暦の大火の後に多羅尾半蔵が活動(『影の軍団III』)。
1657年当時、光圀は数え年30歳だった。
『服部半蔵 影の軍団』第1話では久米明が光圀を演じていたようだ。

1700年に光圀没。それから60年後の1760年、家重の治世、柘植新八率いる影の軍団が大岡忠光を暗殺。
1821年以降、筒井政憲が南町奉行になった時代、服部半蔵の子孫を名乗る服部孫太夫が中村主水(~もんど)と会っていた(『必殺!5黄金の血』)。
1853年の黒船来航以降の幕末、服部半蔵が活動していた(『影の軍団IV』『~幕末編』)。
20世紀になると服部貫蔵(『忍者ハットリくん』)と服部半平(『人造人間キカイダー』)が登場。
猿飛佐助の子孫・猿飛エツ子も出現(『さるとびエッちゃん』)。
人造人間キカイダー THE ANIMATION』で服部半平が猿飛悦子を助手として使っていたという情報もある。

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2014年6/30 7/3 7月

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服部 ハットリくん(twilog)

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AmebaBlog>〔服部半蔵、補足【人物】〕
2020-11-14 14:24:41

『影の軍団』と『人造人間キカイダー』綜合年表 - Yahoo!ブログ

北大路欣也主演『隠密奉行朝比奈』(元禄の場合)

2014-03-28 14:57:00 | 延宝~貞享~元禄~宝永~正徳、綱吉前後
朝比奈河内守正清…北大路欣也
土屋相模守(1641~1722)…船越英二

第2シリーズ
第7話
榊原政岑:川鶴晃裕
榊原政永:富平和馬

第8話
柳沢吉里:石田登星

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北大路

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『八丁堀の七人』の時代設定について追加