土曜日の夜に嫁さんと群馬の実家へ行き、日曜日にばあちゃんのお見舞いに
行ってきました。
日曜日には東京に住んでいるいとこの家族4人も来るということで
ばあちゃんはずいぶん楽しみにしていたようです。
(余談ですが「休日高速1,000円ポッキリ」はありがたかったです。
群馬まで片道約400キロ、新幹線で行けば二人で往復80,000円近くかかるのに
ガソリン代も含めて往復で6,000円くらいでした。)
病室に入ったときは、ちょうど昼食を食べ終えたところでした。
(といってもほんのわずかしか食べられないようでしたが)
昨日はとても調子がよく、食休みが終わったら車椅子で病院の敷地内の
散歩コースへ出られるとのことだったので、ばあちゃんが休んでいる間に
僕らは昼食を食べてくることに。
1時間くらいして戻ってきて、散歩に出かけました。
ポータブルの酸素吸入器から伸びた管を鼻に入れ、車椅子に座るばあちゃんは
小さくて細くて弱々しくて、命が細く細くなっている様子そのものでした。
昨日の群馬(前橋市)はとても陽射しが強く暑い日でしたが湿気はなく
カラッとしていて、風の強い日でした。
散歩コースは大きな木に囲まれていて、日陰にいると風は心地よく
木々の葉が風に撫でられる音が波音のように聞こえました。
そんな中で、車椅子にちょこんと座るばあちゃんを、僕と嫁さんと僕の両親と
六つ上のいとこといとこのだんなさんと二十四歳の娘と十九歳の息子が囲み
思い出話をするでもなく、ばあちゃんを励ますでもなく、みんなそれぞれに
思い思いの距離感と優しさでばあちゃんに接していました。
時間にすればわずか20分程度の散歩だったと思うのですが、ばあちゃんは
それでもずいぶん体力を消耗したらしく、病室に戻るとグッタリと横になって
休みました。
ばあちゃんの姿は、体中の筋肉が縮んでしまっているように小さく丸くなっていて
まるで胎児のようでした。
シックリくる体勢になることも、母親と看護士さんの助けを借りてやっとなんとか
できるという状態で、改めて命の細さを感じてしまいました。
ところが、僕らが名古屋へ帰るときにばあちゃんの手を握ると、思いがけず
強い力で握り返してくれて、僕の小指の骨がポキッと音を立てるほど。
ばあちゃんが「ごめんね」と言った時には、ばあちゃんを笑い声が包みました。
嫁さんがばあちゃんの手を握った時、ばあちゃんは言いました。
「またね。まぁ、次があるか分からないけどね」
不思議なことに、見舞っている時間の中でこの時が一番ばあちゃんが
「生きているんだなぁ」
と思った瞬間でした。
僕らは「またね」と言って病院を後にしました。
病院を出て二時間くらい後、高速道路を走っているときに父親から電話が
かかってきました。
出てみると、付き添っていた父親がちょっと病室を離れている間に
なんとばあちゃんがベッドの上に自力で起き上がり、軽くストレッチを
していたとのこと。
驚くと同時に、それを嬉しそうに話す父親のことを
「ばあちゃんの息子なんだな」
と実感しました。
聞けば「孫に会いたい」と伝えたのは家族にではなく、看護師さんにだった
そうです。
ばあちゃんなりに気を使いつつも、家族ではない人に対してポロリと口から
こぼれた言葉だったのでしょう。
もちろん、ばあちゃんの体が快方に向かったわけではなく「テンションが上った」
という感じの状態になっただけでしょう。
でも、会いたかった孫やひ孫の顔を見て、元気が出て思わず体が動いたのであれば
本当に行って良かったと思います。
ここのところずっと書いている、書く前に考えている「死」について
またいろいろ考えさせられました。
上手く言葉にできるようになったら、書いてみようと思っています。
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