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パニック障害もんきちのウツパニッ記

新婚2週間でうつ病とパニック障害と診断されたもんきちの闘病(?)つれづれ日記

自己紹介

2007年結婚とほぼ同時に仕事上の人間関係からPDとうつ病を発症。退職、リハビリパートを経て、正社員として復職。2011年離婚、退職。今は田舎に帰り療養&再就職活動中。

「人生」について

2009-10-03 01:22:15 | 想うこと
先日のジークさんのコメントに、こんなことが書いてありました。


「私は月曜からの会社のことを考えて、ついつい日曜の午後は寝てしまいます。
最近は土日とも引きこもっていることが多く、自分でも、人生それで楽しいか?
と疑問に思ってます。」

これを読ませていただいて「人生」というものについて想いをめぐらせて
みました。

人生は何でできているのか?
これは何となく簡単に答えが思いつきました。
たぶん
「かつて『今』と呼ばれていた、今は『記憶』と呼ばれる時間の断片」
だと思います。

きっと「今」っていうのはこの世にはなくて「今に限りなく近い過去」のことを
人は「今」と呼んでいるんじゃないかと思います。

でも「今」をどれだけのスパンで考えるかは、時と場合と気持ちによって
まるでゴムのように伸び縮みするものだっていうのが一般的な捉え方じゃ
ないかな?
その人にとって「現在進行形」と捉えることができる時間は、仮に昨日であっても
「今」かもしれない。

じゃ、記憶ってなに?
これはちょっと難しい……まだ、これって思えるものは無いのですが
「美化・形骸化・陳腐化のいずれかの形をとって残っている『過去』になった
『今』の断片」
という感じが近いように思われます。
どんな記憶でも、それは断片に過ぎません。

例えば、僕がやがて嫁さんになる女性と行った「愛・地球博」。
エピソード記憶はたくさんあるし、全体的に「楽しくハッピーな時間だった」と
思えても、その日彼女と過ごした十数時間をスタートからゴールまで
同じ十数時間をかけてチクイチ思い出すことは到底できません。

そういう意味で「断片」だと思うわけです。

じゃ、何が記憶として残るの?
「記憶」を上のように定義付けたとしたら、これは割りとシンプルなものに
思えます。それは
「喜び・憎しみ・驚き・切なさ」
短い時間の中で突き詰めていくと、この四つなんじゃないかなと。
もっとシンプルに言えば「喜怒哀楽」ですね。
良くも悪くも、心に刺さったこと、それが断片=記憶として残るんじゃないかな。

で、結局人生とは何ぞや?
僕はそれを
「記憶が散らばった、ある限りのあるスペース」
だと感じます。

なぜか「線」じゃなくて「面」に思えるんです。

記憶を「線」と捉えるには、その前後関係、順番はあまりにもあてになりません。
それどころか幼い頃に親から聞かされた生まれる前のことを実体験として記憶する
くらい人のノウミソはいい加減なものなんだそうです。

そう考えると人生が、「前後」も「夢か現か」も当てにならない記憶が
バケツをひっくり返したように無秩序に散らばっている「面」に思えて
なりません。

で、要は何が言いたいわけ?
それは……それは……(*O*)難しい。

でも、書いたことをガッチャンコすれば
「『今』と思っている時間の中で、記憶のばらまかれた面を俯瞰すること」

そうそう!
人生は名詞じゃなくて動詞だということです!

自分で記憶をかき集めて、今まで生きてきた時間をネンド細工のように
ペタペタモリモリと形にする作業こそが人生なんじゃないか!……と。

少なくとも
「ペタペタモリモリと形にする作業の結果できあがったもの」
ではないような気がします。

「サヨナラだけが人生さ」と言った人は誰でしたっけ?
サヨナラ、それはまさに過去、記憶。

人は「人生」の輪郭をより鮮明にしたくて、写真を撮ったり、日記を付けたり
こうしてブログを書いたり、歌を作ったり、小説を書いたり、映画を撮ったり
体を傷つけたり、悩んだり、求めたり……そんな営みを日々続けているような
気がします。

面に散らばる記憶を、より多く、より正確なものにするために。


「もんきち・なつめのおまけコーナー」

僕の膝の上で、コシタンタンとサンマを狙うなつめ嬢。



おっ!かすかにもんきちの素顔が!!


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太宰治について

2009-09-19 22:04:24 | 想うこと
僕が初めていわゆる「純文学」を読了できたのが太宰治の「人間失格」でした。
たぶん中学1年か2年の冬のことです。

人間が怖くて仕方が無いあまりに、常に周囲の人間の顔色を窺い、彼らが
喜びそうなお道化をして、愛情を享受し「生」を凌いできた主人公の「葉蔵」
中学校で、その彼のお道化を見抜き「ワザ、ワザ」の一言で彼にとてつもない
恐怖をもたらした「竹一」

なぜ「人間失格」を読み通すことができたのか。

いま思うと、葉蔵と自分をだぶらせていたところがあったからということが
大きな理由の一つのように思います。

葉蔵が大人に囲まれて育ったのと同じように、両親が営む小料理屋の
常連さんたちに囲まれて育ち、不恰好に大人びた心を持った僕には
周りの友達がとても「子供」に見えていたように思います。

それは、家族以外の大人との接点を多く持ち、それを持たない友達に対して
「優越感」という醜い感情を持っていたということのように思います。
どこかで友達を見下ろし、友達の喜ぶことを「こうしたら笑う」というような
計算ができてしまっていたことのように思います。

だから葉蔵が竹一に言われた「ワザ、ワザ」の一言が自分の心に突き刺さって
読みたくないのに、手放せない。

いま自分のその時を俯瞰するとそんな風に見えます。

それから太宰治を読み続けました。
で、太宰治は僕が始めて「天才」だと思う人になりました。
そのきっかけは、ある一文。

最近は読み返すことも少なくなって、どの作品の中の言葉だか思い出せませんが
それは「怖さ」を形容した一文でした。

彼はある「怖さ」を、牛が何でも無いような様子でいながら自分にたかる蝿を
しっぽの一撃で叩き殺す、ということで表現していました。
(他の作家の文章と取り違えて無いですよね?なにぶん古い記憶なもんで……)

それは「凄い」という意外に言葉も感情も出ないような一文でした。

大学に入り、太宰治の墓のある寺の息子と友達になり、初めてお参りをした時の
感動は今もよく覚えています。
(これも不思議な縁ですね)

墓地に入り路地を右に曲がりすぐまた左に曲がる。
右手に森鴎外の墓を見ながらさらに進むと、湿っぽい墓地の奥に
無骨でまるで飾り気の無い墓があります。

その墓石に深く刻まれた「太宰治」の三文字。
本名の「津島修治」ではなく「太宰治」と刻まれた墓石。

きっと太宰治は最後の心中の時も、本当は死ぬつもりはなかったのだと
思えてなりません。

「恥の多い生涯を送って来ました」なんて平気で書けるような人が
自分が若くして世に出した処女作品集に「晩年」なんてタイトルを
つけるような人が、命がけでお道化をすることを楽しんでいたに違いない人が
本気で心中をするとは。

けれど、その死に方のおかげで、本当はペンネームだった「太宰治」が
彼の本名になり、彼の命がけのお道化は皮肉にも彼の想像以上の結果を生むことに
なったのだと、墓石を見たその日に思いました。

20年来のファンとして、生誕100周年の太宰ブームになぞ乗るものかと
思っていつつ、映画も雑誌の特集も気になってしょうがないアマノジャクの
もんきちの、太宰治についての想いでした(笑)


「もんきち・なつめのおまけコーナー」

嫁さんの足に顔を乗せて眠りこけるなつめ嬢。



まるで「猫饅頭」です(笑)

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なぜそんなになつめの写真を撮るのか?

2009-09-08 23:12:45 | 想うこと
今日、ご飯を食べた後にデジカメでなつめの写真を撮っていると嫁さんに
言われた。

「なんで毎日そんなになつめの写真を撮るの?」

おっしゃる通り。
言われてみれば自分でもそう思う。

「なんで毎日こんなになつめの写真を撮るんだろう?

そこで「なんで」を考えてみた。

一番表面的な理由はやっぱり
「かわいいから」「愛おしい家族だから」
だと思う。
これはきっと「親」の感覚に似ているんじゃないかなと想像する。
たぶん同じではなくても「同種」の感覚なんじゃないかな。

でも
「きっとそれだけじゃない」
と、何となく確信があった。

じゃ、なぜ?

自分のこと、人間のことを考えてみる。

生まれてから小学校くらいまでは、イベントごとにたくさんの自分や
自分と家族との写真がある。
でも、それは成長と共にだんだん少なくなっていき、やがて家族との写真よりも
友達や恋人との写真が多くなっていく。

多くの人がだいたいそんな感じなんじゃないかなと思う。

それは、なぜ?

たぶん、言語と記憶によって思い出を共有できるようになるからだと思う。

人間同士であれば
「おまえあの時は楽しそうだったね」
「うん、あの時は緊張したけど時間が経つにつれてなんかすごく楽しくなって
きてさ、結局めちゃめちゃ楽しんじゃったよ!」
こんな会話と一緒に多少の食い違いはあっても似たような映像を思い描く
ことができる。

でも、なつめとは絶対にできない。
彼女が何歳になっても同じ言語を使ってコミュニケーションをとることは
絶対にできない。
ということは、写真に頼らずに記憶にぶら下がった映像を思い出す
という作業が人間同士の場合に比べてとても難しい。

僕がなつめの写真をたくさん取る理由。
それは、共通言語で思い出(記憶)を引き出しそれにぶら下がった共有している
映像を思い描くことができないから、というところに行き当たった。

彼女がおばあちゃんになって死を目前にしても
「なつめ、あの時はなつめはこんなだったね」
「そうだね、あの時もんきちはこんな顔して私を見てたね」
「なつめだってあんな顔してたじゃん」
こうして一つの映像を共有することができないから。

それは想像しただけで、とても淋しい。

不安神経症的なところのある僕は、なつめがいなくなる日を想像しただけで
とても淋しくなる。
しかも、彼女とは基本的には何物をも共有することができない。

さらに、僕は自分の記憶に自信が無い。
とても大事なことをいとも簡単に忘れ、忘れたことも忘れ、結局なかったことと
同じになってしまうことが、たぶん間違いなくほかの人より多い。

だから余計に写真に頼ってしまうのだと思う。

今日もまた、たくさんの写真を撮ってしまった。



「もんきち・なつめのおまけコーナー」



毎日同じような顔で転寝をしているのに、ついつい今日も……

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クローゼットとノウミソ

2009-09-06 23:16:00 | 想うこと
今日は早起きをして午前中に用事を済ませ、午後は嫁さんとウォークイン
クローゼットの中を大掃除をしました。

無駄にスカスカな箱や「かつて思い出の品だったもの」とか僕が名古屋に
引っ越してきた時に突っ込んでそのままになっていた箱などなど。
三畳くらいのクローゼットの中の物を全部出してみると八畳の部屋の真ん中に
一山できるくらいの荷物が……

ゴミといるものに分け、使う頻度順に分け、重いもの軽いものに分け
これから入れるときに分けるルールを作り……
半日かかって、今までが嘘のようにクローゼットの中はスッキリ整理整頓
されました。

ふと
「ノウミソの中身もこんなふうにできたらなぁ」
なんて思ったりしました。

どこかへ記憶をダァーッと広げて、ゴミといる記憶に分け
思い出す頻度順に分け、大切な記憶ととりあえず覚えておく記憶に分け……

ま、それはさておき、部屋の中がキレイに整頓されると、自分のどこかの何かも
少しスッキリとするような気がします。

今日はいい気分です(^-^)


「もんきち・なつめのおまけコーナー」

今日は昼間のうちバタバタとしていて、一緒に過ごさなかったせいか……



ふと見たなつめの後姿が、なんとなく物憂げな感じに……?


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総選挙 大勢判明

2009-08-31 01:00:27 | 想うこと
いま、ちょうど午前一時。
衆議院議員選挙の態勢が大方見えました。
民主党が300議席越え、自民が100議席ちょい。
ソノタモロモロは軒並み議席減。

さっき田原総一郎さんは「民主の勝ちすぎ」と言っていましたが
実際その通りだと思います。

でも、前回の選挙でただの自民党総裁の持論である「郵政民営化」を
国民が信任するかどうかみたいな訳のわからない、本当に国民をバカにした
選挙よりはずーーーっとマシだなというのがいまの印象です。

だって、唯一の立法府である国会で審議すべきものを、ドーンと衆議院を
解散して「さあどっち?」みたいな「どっちの料理ショー」みたいな選挙
だったんですから。

今回は少なくとも、マニフェストの内容はともかく、それを元に
どっちの政党に政権政党として日本を動かして欲しいかということを
国民が判断できるんですから、改めてずーーーーーーっとマシだなと
思いました。

この4年間、民主党のお手並み拝見というのが実際のところだと思います。
「どっちにしてもダメなら、新しいところにやらせてみた方がまだ
『何となく』期待感が持てる」
今回の選挙結果はそんなところだと思います。

要は、次の衆議院議員選挙(その前に参議院議員選挙もありますが)が
本当の「政権選択選挙」だと思うんです。

この4年間の民主党政権と、それまでなんだか分からないけどなんとなく
ずーーーーっと続いていた自民党政権と、どっちにこれからを任せたいか。
民主党が本当の与党を担う力量のある政党なのか、やっぱりナンダカンダ言って
自民党じゃないと国政は回らないのか。

投票したものの責任として、きちんと注視していきたいと思います。


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テレビは信用ならん?

2009-08-20 23:21:20 | 想うこと
この前、2016年のオリンピックでゴルフと7人制ラグビー(セブンズ)が
採用の見通しになって、野球とソフトボールの復活が見送りになりました。

ラグビー大好きの僕としては、めちゃめちゃスピーディーでスリリングな
セブンズがオリンピックの場で行われるのは大大大歓迎です(^O^)/
面白いですよ!ぜひぜひ観戦してくださいね!!

それはさておき、ソフトボール。
見送りになったことについて、日本のエース・上野投手のインタビューが
ニュースで流れました。

夕方のNHKのニュースでは
「(オリンピックに賭ける想いの大きさは)そのへんのプロスポーツ選手より
ずっと強い」
という趣旨のインタビューを流していました。

ところが、夜の民放のニュースでは「そのへんの」の部分がカットされて
いました。

「そのへんの」という言葉のネガティブなイメージを嫌ってのことなので
しょうが、これでは上野投手の想いは大きくスポイルされてしまうと思うんです。
これでは彼女の落胆、失望、憤り、やり切れなさ、ひいては彼女のソフトボールに
対する愛情といったものが伝わらないんじゃないかと。

なぜ「そのへんの」をカットするのか?
余計なおせっかい?
彼女が叩かれたらかわいそうという思いやり?
コトナカレ主義?
ソフトボール協会からの圧力?
(だとしたら伝えるべきは、その依頼があったことであるはずだし……)

いずれにしても、腑に落ちません。

テレビが「事実を受け止めて自分の価値観で判断する」という僕の大事な
権利・自由を勝手にかっさらっていっているようで、すごく嫌です。

テレビってやっぱりこんなもんなのかなーと思いました。
何かしらのフィルター(意図)を通されたことしかテレビからは届かない。
そう思って見るべきなんだろうなーと。

ま、ほとんどテレビ見ないんですけどね

今日のなつめのコォナァ~



ゴーヤのグリーンカーテンの後ろのチェスとの上が、なつめのリラックス
スペースのひとつなのです。

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シャツ作りに挑戦?

2009-08-16 23:30:23 | 想うこと
僕は柄シャツが大好きです。
特に70年代80年代風の幾何学模様のような柄が好きなんです。

が、しかし。

女性のワンピースやブラウスでは嫁さんと買い物に行ったときなどに
良く見かけるのですが、男物ではなかなか見つかりません。
それをいうと嫁さんは「需要が無いからじゃない?」とミモフタモナイ答えを
返してきます。

ま、実際そうなんでしょうね。

古着屋とかではたまに見かけるものの、なかなか気に入ったものは
見つかりません。

という前置きの後に……

ウチでは年末に「ドリームマップ」というものを作ります。
翌年の年末にこんな自分になっていたい、こんなことができるようになっていたい
そういうことを、翌年の年末に振り返った「過去形」として
翌年に実現したいことを書いていきます。

例えば「今年は外国人の友達ができた!」というふうに。


そこに、僕は「お気に入りの柄シャツを手作りした!」というようなことを
去年の年末に書いたのです。


ミシンもまともに使えず、裁縫といえばボタン付けと雑巾縫いくらいしか
できないのに、オオブロシキを広げてみたわけです。

で今日、本を返しに行った図書館で目に付いた「洋裁・和裁」のカテゴリー。
その「洋裁」のところをツラツラと見ていると、なんとこんな本が!


ズバリ「男のシャツの本」

初めはシャツについての「ファッションウンチク本」かと思ったのですが
開いてみると、シャツの種類の説明から、採寸方法、型紙の書き方、縫う順番など
事細かにイラスト入りで書かれている上に、なんと標準型の型紙までが
添付されているじゃありませんか!

気に入った柄の生地を購入し、この型紙をコピーし、自分を採寸して型紙を
アレンジし、手順の通りに縫っていけば、ジャストフィットの柄シャツが
縫いあがるわけです!

すぐに取り掛かれるわけじゃないのですが、まずは一度読んで勉強して
みようかなと思い、借りてきてみました。

内容はかなり高度ですが、気に入る柄シャツが無い以上、生地を買ってきて
自作する以外に、それを着る手段は無いわけです。

ミシンは全く使いこなせないので、最悪は手縫いで仕上げるという途方もない
作業になりかねないのですが、パラパラと読んでみようかと。

無いものは作ればよい!という、松下幸之助的精神でやってみようかと……

でも、自信ないなぁ~(*_*)

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いい朝

2009-08-13 00:15:32 | 想うこと
今朝起きて、なつめのトイレ掃除と水と餌の支度をして、ベランダ農園に
水をやるべく外に出てみると……

チビゴーヤが!!



7月の始めに苗を植えたときは

こんなふうだったのが……



緑色のムック状態(笑)


今では陽射しを遮ってくれるゴーヤの後ろ、ガラス越しに見えるチェストの上が
なつめのお気に入りのゴロゴロスポットになっています。

最初のうちは、花が咲いても雄花ばかりで咲いては落ち咲いては落ち……を
繰り返すとは本で読んで知りつつも、葉が茂っていくばかりで花は落ち続ける
ゴーヤを見ていると、やっぱり心配になりました。

しかもミニトマトが日照不足なのか、長雨のせいなのか、はたまた手入れの
不足なのか、実の付きが異常に悪くて、余計に心配が募っていました。

だから今朝このちっちゃなチビゴーヤを見つけた時の感動もヒトシオでした!
このチビゴーヤが少しずつ膨らんできて、食べられるようになったら
スパムと島豆腐を買ってきて、ゴーヤチャンプルーを作るぞと、朝っぱらから
心に強く刻み込んだのでした(笑)

ゴーヤといいなつめといい、スクスクと育ってくれる生き物は
元気と温もりを与えてくれます。
(反対にシオシオのミニトマトを見ると……これ以上は言わないでおきましょう)

ゴーヤに水をやり、なつめのトイレの掃除をする。そのことで元気や温もりを
もらっていると、この「生き物の世話」をすることも「魂の世話」なのかな
なんて思ったりしました。

今朝はいい朝でした。

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心に響いた言葉

2009-08-11 22:57:45 | 想うこと
先日出版された池田晶子さんの三部作
「死とは何か」「魂とは何か」「私とは何か」
のうちの「魂とは~」を読み終えました。

この「魂とは~」は僕が今まで読んだ池田さんの本の中で、一番感じ取りにくい
本でした。
それは、本の中でも触れている通り、池田さんご自身が「魂」という概念を
まだ完成できておらず、いま考えていることを「魂」という概念を使って
展開してみよう、というような暗中模索感が文章に現れているからかなぁと
読んでいて感じました。

本の中の池田さんの言葉にも心を動かされたものがあったのですが
自分にもう一度刻み込もうと思わせてくれたソクラテスの言葉を
紹介したいと思います。

一つ目は、かの有名な
「無知の知」
「私は自分はそれを知らない、ということを知っている」
自分の心に素直になること、行動すること、話すこと。
虚勢、無理、知ったかぶり、羞恥心、恐怖感、猜疑心、妥協、逃避……
素の自分を恥じることなく飾ることなく、ただ「在る」ということ。
難しいけれど、意識していたいなと思いました。

二つ目は
「ロバにいななかれて腹を立てるものがあるかね」
これは一見傲慢な言葉にも見えますが「無知の知」と同様、自分が自分として
ただ「在る」ことができていれば「無知」を知らない人から何を言われても
自分が揺らぐことは無いというようなことだと思います。
「芯」を持つこと。とても難しいことです。

三つ目は、ものすごく心の響きわたり、突き刺さった言葉です。
「人生の目的は魂の世話をすることである」
この言葉を僕はこの本で初めて知りました。
この本の別の場所で、河合隼雄さんの「子どもと悪」という著書からの引用が
あります。
『敢えて一般化して言うなら、売春は〈魂に悪い〉ということにでも
なるだろう』

人を妬むこと、悪口を言うこと、ズルをすること、悩むことから逃げること
問題を後回しにすること、思いやりを忘れること……魂を汚すことは
僕の中にも溢れています。
できるだけ魂に悪いことをせず、ソクラテスの言うところの「人生」を
生きていきたいと思いました。

まずは思いやり、感謝、平常心。

明日からもう一度、大きく息をして、自分の中を広くして過ごすことから
やり直したいと思います。

魂とは何か さて死んだのは誰なのか
池田 晶子
トランスビュー

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なつめとの暮らしの中で

2009-07-29 23:42:46 | 想うこと
今日なつめにおもいっきり手を引っ掻かれました(TOT)
抱っこをしようとして抱き上げた時、そういう気分じゃなかったのでしょう
手の甲をガリリと。
小さな傷が六つできました。

でも、不思議と腹は立ちません。
なぜか?

もちろんかわいいからということもありますが、もともとコミュニケーションを
とることがほとんど不可能だからかなと思います。
しっぽの動きや様子や泣き声で多少の感情は読み取れますが、それもカンです。
意志の疎通もままならない中で、同じウチのなかで暮らしている。
その距離感がいいのかなとも。

人間同士だと、共通の言語を持っています。
でも「言葉」にぶら下がっている「心の重さ」というか「言霊の大きさ」は
同じ言葉でも人それぞれ。

例えば、僕の「眠い」と嫁さんの「眠い」は、睡眠を欲しているという意味では
同じだけれど、同じ感覚かどうかは分かりません。

でも同じ言葉だから理解できたような気がしてします。
この「気がしてしまう」というのが、曲者なんじゃないかなと。

人は基本的に他者と理解しあいたい、ナニモノかを共有したい、そう思っている
生き物だと思います。
そのために言葉を使います。外国語まで覚えようとします。

そして、言葉を使ってコミュニケーションをとり「理解しあえた」と
共通認識を持つことで、安心するんじゃないかと。

でもそれはたぶん「理解しあえた」のではなく「理解しあえたという感じを両者が
持てた」だけなのかなって思います。
それはとても危険なことだと思うんです。

別に「人はしょせん独り」という感じで悲観しているわけじゃないですよ。
ただ、そう簡単に理解はできないし、簡単に理解できたと思うことは
思いやりをなくすことになりかねない。
理解しようと思うこと、思い続けることが、そして良かれと思うことを
し続けることが思いやりなのかな。

なつめに引っ掻かれてそんなことを思いました。
生まれて3ヶ月くらいのチビネコに教わりました。

テクテクとソファに向かって歩いていって、ちょっと頭を下げれば
くぐれるのに、そのままポコッと顔面をソファにぶつけて軽くよろけるような
アホなチビネコに……

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