本屋さんに行って、ふと目に付いた「人生のほんとう」というタイトルに
魅かれて手に取ったことで出会った、池田晶子さん。
ベストセラーになった「14歳からの哲学」の著書であることを知ったのは
その本を買ってからでした。
池田さんの考え方、捉え方は僕にはとてもシックリくるもので
それ以来、池田さんの本を少しずつ読んでいます。
最近読み終えたのがこの作品。
池田さんは「死とは?」「生きるとは?」「人生とは?」「私とは?」という
ことを考え続けて亡くなりました。
それは、簡単に答えられそうで答えられない、深い問いです。
この本の中で、強い共感を覚えた一節を紹介します。
「孤独は空虚なものかということですが、自分が何者でも
ないということを空虚だと感じる人に、それが空虚なもので
あるのは決まっています。何者でもないから、他人に証明
してほしい、そのことでようやく自分は何者かであると証明
されたように思う。しかし、そういうふうに感じて為される
自己証明など、ウソッパチに決まっているのだから。何者でも
ないところの自分は、やっぱり何者でもないのだから」
一般的に、人は他人に認識されることで自分のことを認識する生き物だと
思います。
でも、それはとても相対的でアイマイモコなものでもあります。
僕のことを10人の人が「優しい」と言ってくれても、僕が「優しい」かどうかは
分かったもんじゃありません。
だって、10人の人にとって「優しい」ということが意味するものは多少なりとも
違っていて、かつ、僕にとっての「優しい」ともきっと違うはずだからです。
僕は僕の認識で僕を知らなくちゃいけないのだと思います。
「他者評価・他者認識」で自分を「こういう人だ」と思っていては
オシャレな服で着飾った「マネキン」と同じになってしまう。
哲学的にもそうですが、現実的にもやっぱりそういう部分ってあると思います。
僕の大好きな藤原正彦さんの「国家の品格」の中に「国際人」ということに
ついて書かれた部分があります。
そこでは自身の
「夏目漱石の『こころ』の中の先生の自殺と、三島由紀夫の自殺とはなにか
関係があるのか」
と問われた経験を元に
「英語がしゃべれても、日本の文化や芸能に関しての知識・教養がなければ
それはただの『英語のしゃべれる日本人』でしかない」
というようなことが書いてあります。
つくづく「おっしゃるとーり!」と思います。
自分を磨くってことは、外側をツルツルピカピカにすることじゃなくて
自分の「芯」を太く強くかつ柔軟にすることなんだと思います。
池田さんは「常に考え続けて生きること」を「よく生きること」と
表現しています。
「よく生きること」はとても難しいことですが「90点を目指して90点は
取れない。100点を目指すから90点まで届くんだ!」的な感じで
「よく生きよう」と心がけたいと改めて思ったもんきちでありました。
(「改めて」と言う段階で、すでに「よく生きよう」という心がけを
忘れていたことが証明されてしまいました……)
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