どんなときも。
すぅ です。
現実と向かい合わせ。
ここでも紹介した私の親友のお母さんが月曜日に亡くなられました。
急な話で、私も動揺してしまいました。
その話を聞いたのが、昨日の昼休みに、弟からのメールでした。
友達、Kちゃん。
Kちゃんの弟と私の弟も中学時代の仲のいい友達同士だったので情報は筒抜け。弟は私に連絡する時も、てっきり知っていると思っていたらしいのです。寝耳に水でした。
急いで友達の携帯に連絡を入れると、普段どおりの声のトーン。
「あ~バレてたかぁ~」
元気を装ってるのがバレバレで。
落ち着いてから連絡しようと思ってた、と言ってました。
私は、怒りましたが・・・。
昨日がお通夜だということだったので、仕事終わりに弟と合流して一緒に大阪まで出かけました。
かなり遅れたので、到着した頃には終わっていました。
会場には、弟の友達Mくんも東京から帰ってきてました。
Kちゃんの弟が、私が来ていることをKちゃんに伝えると
Kちゃんは飛んで来ました。
私の顔を見るなり、「黙っててごめんな」と崩れるように泣き始めてしまいました。
一番最初に頭に浮かんだのは、私だったようで、連絡しようと思ったけど・・・
やっぱりしとけばよかった、と泣いていました。
他の弔問客の応対もあるので、少し待っててと言われて待っていましたが、Kちゃんは毅然とした態度で対応してました。
本当は泣きたいだろうに。
一通り用事を済ませて戻ってきた友達は、またいつもどおりのKちゃんでした。
「あのさぁ~」と始まった話は、こうだった。
Kちゃんが勤めている会社の上司が来てくれたとき、喪主でもある友達のお父さんが挨拶に来たそうです。そのとき、
「遠いところ、わざわざありがとうございます。
わたくし、○○(Kちゃんの名前)の兄です」
と言ったらしいのです。
いつもの、おもろいお父さんや。
「こんなところで、ボケはいらんねん(笑)」とKちゃんはつっこんだそうで。
「ボケるなら、ここではせめて『ダンナです』やんなぁ~」
Kちゃんは笑ってました。
いつものKちゃんや。
それからKちゃんは話続けました。
「もっといろんな事をしてあげたかった、とか、いろんなことを考えるけど、もう何もしてあげられへん。もういないことが、私には理解できん。これからやと思ってたのに・・・でも、立ち止まってられへんしな」
私たちが、もう、こういう現実があるということを覚悟しておかなければならない歳になってきたのだということを二人で話しました。
いつかは来る、避けられない現実が常に隣り合わせだということを痛感しました。
この話を二人にさせるために、友達のお母さんは私をここへ呼んでくれたんだと思いました。
「あなたもいつかは同じことを経験するんだよ」と。
私たちは、悲しいからと言っていつまでも立ち止まってられない。
守らないといけないものがあるから。
そのためにお互い強くなろうな、がんばろうな、と誓いあいました。
「おかあさん、大事にしたってや」
おう、Kちゃんの分まで親孝行するから!
自慢の娘じゃないけど、心配かけないことが一番やと思います。
帰り際、「来てくれてありがとう」と私の手を握ってきたKちゃん。
Kちゃん「落ち着いたら連絡するから・・・って、いつも連絡遅くなるけど(笑)」
すぅ 「そんなん、今に始まったことちゃうやん(爆)待ってるわ」
私が人生でこの上なく苦しいことがあったとき、一番の味方はKちゃんでした。
あんたは何も間違ってない、堂々としていればいい。
なんなら、私が怒鳴り込んでもええんやから、いつでも言いや
私が相手になったるわ(激怒)
オトコマエのKちゃんが常に言ってくれてた言葉。
夜中とか仕事帰りで疲れてるとか、全然関係ないって。
今でもずっと覚えてるで。
中学のころからの、長電話コンビはまだ解消してませんから。
ウチらはいつでも、ええコンビやで
Kちゃんのお母さん、お疲れ様でした。
ウチらはまだまだ電話すると長いですけどええですよね?(笑)
これからもずっと友達ですから~
お母さんの声と笑顔、忘れませんからね
すぅ です。
現実と向かい合わせ。
ここでも紹介した私の親友のお母さんが月曜日に亡くなられました。
急な話で、私も動揺してしまいました。
その話を聞いたのが、昨日の昼休みに、弟からのメールでした。
友達、Kちゃん。
Kちゃんの弟と私の弟も中学時代の仲のいい友達同士だったので情報は筒抜け。弟は私に連絡する時も、てっきり知っていると思っていたらしいのです。寝耳に水でした。
急いで友達の携帯に連絡を入れると、普段どおりの声のトーン。
「あ~バレてたかぁ~」
元気を装ってるのがバレバレで。
落ち着いてから連絡しようと思ってた、と言ってました。
私は、怒りましたが・・・。
昨日がお通夜だということだったので、仕事終わりに弟と合流して一緒に大阪まで出かけました。
かなり遅れたので、到着した頃には終わっていました。
会場には、弟の友達Mくんも東京から帰ってきてました。
Kちゃんの弟が、私が来ていることをKちゃんに伝えると
Kちゃんは飛んで来ました。
私の顔を見るなり、「黙っててごめんな」と崩れるように泣き始めてしまいました。
一番最初に頭に浮かんだのは、私だったようで、連絡しようと思ったけど・・・
やっぱりしとけばよかった、と泣いていました。
他の弔問客の応対もあるので、少し待っててと言われて待っていましたが、Kちゃんは毅然とした態度で対応してました。
本当は泣きたいだろうに。
一通り用事を済ませて戻ってきた友達は、またいつもどおりのKちゃんでした。
「あのさぁ~」と始まった話は、こうだった。
Kちゃんが勤めている会社の上司が来てくれたとき、喪主でもある友達のお父さんが挨拶に来たそうです。そのとき、
「遠いところ、わざわざありがとうございます。
わたくし、○○(Kちゃんの名前)の兄です」
と言ったらしいのです。
いつもの、おもろいお父さんや。
「こんなところで、ボケはいらんねん(笑)」とKちゃんはつっこんだそうで。
「ボケるなら、ここではせめて『ダンナです』やんなぁ~」
Kちゃんは笑ってました。
いつものKちゃんや。
それからKちゃんは話続けました。
「もっといろんな事をしてあげたかった、とか、いろんなことを考えるけど、もう何もしてあげられへん。もういないことが、私には理解できん。これからやと思ってたのに・・・でも、立ち止まってられへんしな」
私たちが、もう、こういう現実があるということを覚悟しておかなければならない歳になってきたのだということを二人で話しました。
いつかは来る、避けられない現実が常に隣り合わせだということを痛感しました。
この話を二人にさせるために、友達のお母さんは私をここへ呼んでくれたんだと思いました。
「あなたもいつかは同じことを経験するんだよ」と。
私たちは、悲しいからと言っていつまでも立ち止まってられない。
守らないといけないものがあるから。
そのためにお互い強くなろうな、がんばろうな、と誓いあいました。
「おかあさん、大事にしたってや」
おう、Kちゃんの分まで親孝行するから!
自慢の娘じゃないけど、心配かけないことが一番やと思います。
帰り際、「来てくれてありがとう」と私の手を握ってきたKちゃん。
Kちゃん「落ち着いたら連絡するから・・・って、いつも連絡遅くなるけど(笑)」
すぅ 「そんなん、今に始まったことちゃうやん(爆)待ってるわ」
私が人生でこの上なく苦しいことがあったとき、一番の味方はKちゃんでした。
あんたは何も間違ってない、堂々としていればいい。
なんなら、私が怒鳴り込んでもええんやから、いつでも言いや
私が相手になったるわ(激怒)
オトコマエのKちゃんが常に言ってくれてた言葉。
夜中とか仕事帰りで疲れてるとか、全然関係ないって。
今でもずっと覚えてるで。
中学のころからの、長電話コンビはまだ解消してませんから。
ウチらはいつでも、ええコンビやで
Kちゃんのお母さん、お疲れ様でした。
ウチらはまだまだ電話すると長いですけどええですよね?(笑)
これからもずっと友達ですから~
お母さんの声と笑顔、忘れませんからね