表示板より
昔、中国の貿易船が難破し、船が使用不能になったので、船員はこの地に上陸し仮小屋を建てて住んでいた。彼等は食糧に窮し、附近の甘藷、野菜はもちろん、にわとり、豚等までも盗んで食べるようになった。住民は、これを公事(間切の番所)に訴え出た。公事では遭難した不運の船員に深く同情し、間切の公費でもって食糧を供給した。当地滞在中彼等中国の船員は、この地に祠を設け中国に於いて深く崇信している、航海の安全を守護する「媽祖(まそ)」と称する女神を祀り、故郷中国へ帰る航海の安全と、健康を祈願した。願いがかなって中国へ帰ることが出来た。
帰るに際し、彼等はこの地の住民に、この祠に祀られている神様は、海上安泰、豊漁、豊穣、子孫繁昌、健康を御守りする守護神である。ひとしくこの神の庇護を受けるようにと伝えた。人々はこの神を崇信し、この祠を「唐の船御嶽」と呼ぶようになった。当時、沖縄の人々は中国のことを「唐」と呼ぶ習であった。
具志頭村教育委員会
港川遺跡公園の近くにあります。