もむでんブログ

またまた相撲部屋巡りWalking!

今週も我が家から徒歩で行ける相撲部屋探しWalkingです。
ただ、近いところは行きつくした感があるので、少し離れたところに今日は行ってみます。

まずは京葉道路も総武線も超えて、錦戸部屋を発見。

こういう立看板がある部屋とない部屋がありますが、その理由はわかりません・・・。

入口は半地下になっていますね。

師匠は幕内優勝経験もある元関脇水戸泉。
巨漢力士であったことでも有名です。
その元親方である10代錦戸が、高砂部屋から分家独立して設立した部屋だそうです。
現在の所属力士は残念ながら関取はおらず、三段目中心に8名とちょっと少なめ。
今後の発展が期待されます。

続いては八角部屋。

何と、上の錦戸部屋のすぐ近くで、住所も末尾の枝番が違うのみ。
師匠は元横綱北勝海の8代八角。結構長い間名字の「保志」がしこ名でしたね。
幕内優勝も8回を数え、千代の富士・大乃国らと北海道出身力士ブームをけん引してくれました。
8代八角が1992年引退後、部屋付き親方をしていた九重部屋から1993年に独立して設立した部屋だそうで、幕内の隠岐の海以下28名を抱える大所帯です。

この2つの部屋は大江戸線両国駅の東側で、住宅街真っ只中にありますが、この界隈から先日紹介した清澄白河界隈もほぼすべて住宅街にあり、家と家の間にひっそり存在していたり、建屋自体がマンションの一階だったりで、探すのにちょっと苦労する部屋もあります。

続いては両国を離れ、北に向かって少し歩きます。

蔵前橋通りを超え、アサヒビール本社が見えてきました。

そこで発見できたのが、この片男波部屋。

現在の師匠は元関脇玉春日の14代片男波。
2代前の12代片男波が1961年に部屋付き親方を務めていた二所ノ関部屋から分家独立して設立した部屋だそうです。
所属力士は幕内の玉鷲関以下8名です。

続いては蔵前橋通を東へ。
蔵前橋通南側、三つ目通りの東側にあるのがこの部屋。

ん・・・この銅像はもしや。

もう少し露出を変えて・・・

そう、九重部屋です!
現在の師匠13代九重はご存知元横綱千代の富士。
11代九重の元千代の山、12代九重の元北の富士を継いだわけですが、千代の富士のしこ名がその両名からもらったものである事実も示す通り、必然のように思えます。
しかし、千代の富士は相撲ファンならご存知と思いますが、最初は17代陣幕親方でした。
その17代陣幕と12代九重は、名称交換して現在の年寄名称になったそうで、後に仲違いしたのだとか・・・。
何があったのか知りませんが、元師匠と仲違いとは非常に残念なお話ですが・・・。
元大関の千代大海を育てたことでも知られますが、現在も幕内の千代大龍、千代鳳らが所属し、関取5名を含む総勢14名が所属しています。

少し我が家の近くまで戻ってきました。
墨田区の緑4丁目にも部屋が2つ存在します。

まず、この浅香山部屋。

車で看板が隠れているうえに、本当にここに土俵があるのかと思うほど細い建物だったので、思わず通りすぎるところでした。
昭和初期に一時閉鎖され、1929年に5代浅香山による再興、同親方死去による閉鎖を経て、元大関魁皇の15代浅香山が2014年に友綱部屋から分家独立して再興した部屋だそうです。
分家独立時は内弟子2名だったのが、現在は幕下魁盛王以下5名が所属。
再興後の拡大に手腕を発揮できるか、今後に期待です。

今回のラストは浅香山部屋からもほど近い宮城野部屋です。

はい、言うまでもありません、現横綱白鳳が所属する部屋です。
こんなに我が家から近くにあったとは・・・。
師匠は12代宮城野で、あまりぱっとした成績を残していない元幕内の竹葉山。
関取は白鳳関と十両の石浦関、以下総勢12名と意外にこじんまりした部屋です。
残念ながら耐震構造上の理由で、八広に引っ越すのだとか・・・。

こんな感じで、九州場所中にもたくさんの部屋を回ってみましたが、とにかく人影がなくて残念でした。

次は、初場所の前後で訪れてみたいと思います。
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