木造校舎を訪ねて

私が訪ね歩いた木造校舎を、写真と文章で紹介していきます。

№9三浦市立三崎小学校城ヶ島分校

2009-10-26 17:47:09 | 旅行



木造校舎データ
校名:神奈川県三浦市立三崎小学校城ヶ島分校
創立:明治5年 校舎竣工:昭和6年 部類:転用(昭和45年閉校)
現状:「海の資料館」として活用(三浦市有形文化財)
所在地:神奈川県三浦市三崎町城ヶ島411
撮影年月日:平成14年8月20日(火)

創立は日本の近代教育の幕開けである明治5年、三崎郷学校として始まる。現校舎は昭和6年竣工の平屋建て、寄棟(よせむね)造り、外壁は白色下見板と縦板張りで、屋根瓦は貴重なフランス瓦を使用している。それまで渡し舟で行き来していたのが、城ヶ島大橋の開通を機に交通が容易となり、次第に分校の必要性が無くなったため、昭和45年に本校へ統合となる。



現在校舎は、漁労用具と分校の歴史を展示した資料館として転用されている。三浦半島に残る数少ない木造校舎で、文化財に指定されているのは大変意義深いものだと私は思う。


№8鎌倉市立御成小学校

2009-10-25 21:48:33 | 旅行



木造校舎データ
校名:神奈川県鎌倉市立御成小学校
創立:昭和8年 校舎竣工:昭和8年・平成9年 部類:現役
現状:校舎として活用
所在地:神奈川県鎌倉市御成町19-1
撮影年月日:平成14年8月16日(金)

昭和8年、御用邸敷地跡に校舎を建設し開校。聖人へレン・ケラー女史が鎌倉に立ち寄った際、旧校舎の貴賓室でお茶を召し上がったという逸話も残る。平成に入ってから鉄筋三階建て校舎の建設計画が持ち上がり、校庭の測量をしていたところ、鎌倉時代の遺跡が見つかり一時中断。平成9年、旧校舎は取り壊され、新たに木造で復元した形で新校舎が竣工。旧校舎と同年に建てられた講堂は、その下に遺跡が未だに眠っているため、かろうじて残されている。だが新校舎竣工とともに、新たな多目的ホールが出来上がったため、今では旧講堂は倉庫として使われているようだ。



校舎は、まだ木肌が初々しい色合いをみせ、これから子供たちや先生方に大切に使われながら、味わい深いものになっていくのだろう。洒落た尖塔を二本載せた講堂は、歴史ある鎌倉の地に相応しい落ち着いた佇まいをみせる。


№7鹿沼市立北小学校

2009-10-25 19:55:37 | 日記


木造校舎データ
校名:栃木県鹿沼市立北小学校
創立:昭和10年 校舎竣工:昭和10年 部類:現役
現状:校舎として活用
所在地:栃木県鹿沼市泉町2457
撮影年月日:平成14年8月12日(月)

鹿沼は日光東照宮の建設に携わった大工たちが、多く住んでいた町である。そのため建具の産地としても知られる。そんな大工・建具で知られた町に相応しい、立派な木造校舎がこの鹿沼に残されている。
鹿沼市立北小学校の建設に当たっては、当時使用される材木の2~3割の納入しか認められず、別名「鹿沼の泣き学校」と呼ばれた。木造校舎の規模としては関東一の広さを誇り、毎年県内外からの視察が絶えないという。そしてこの校舎の知名度をさらに上げたのが、平成元年~同5年の5ヵ年計画で行われた、大改修工事である。総工費は6億円。卒業生や在校生、地域の人たちの熱意により、この校舎に新たな息吹が吹き込まれた。何と幸せな木造校舎であろうか。いつまでも地域の誇りとして、愛され続けてほしいと思う。


№6栃木県立真岡(もおか)高等学校

2009-10-24 21:24:15 | 日記



木造校舎データ
校名:栃木県立真岡高等学校
創立:明治33年 校舎竣工:明治36年 部類:現役
現状:真岡高校記念館として活用
所在地:栃木県真岡市白布ヶ丘24-1
撮影年月日:平成14年8月12日(月)

創立時は栃木県第三中学校として男子101名で発足した。一階が職員室と教室、二階が講堂という構造。昭和43年、新校舎建設のため校舎としての役目を終えたが、講堂は今でも同校の式典などに使用されているという。
訪ねた日は、同校の教頭先生が校内を案内してくれた。窓ガラスは校舎竣工当時のもので、斜めにガラスが張られた貴重なものであるという。また年代物の人体模型が非常に生々しく、本物に近い精巧な代物であった。


№5馬頭町立小口小学校

2009-10-24 18:35:29 | 日記

木造校舎データ
校名:栃木県那須郡馬頭町立小口小学校
創立:明治10年 校舎竣工:明治36年 部類:転用(平成13年3月閉校)
現状:美術館として活用
所在地:栃木県那須郡那珂川町大字小口1181
撮影年月日:平成14年8月11日(日)

平成13年3月、小砂(こいさご)小学校と統合し閉校。現在は「もうひとつの美術館」という名称で活用しており、私が訪ねた日は、主に関西地方の知的ハンディキャップを持った人たちのアート作品を展示していた。明治時代の貴重な木造校舎が、このように転用されているのは嬉しい限りで、普段あまり見ることのできない、ハンディキャップを持った方たちの作品を目にする、貴重な場所でもあった。
どれも創造性豊かな作品で、うまく作ろうとする見栄は感じられず、どれも思い思いの自由な感性に私は強く惹かれた。



私はその後の平成19年7月、同21年6月に小口小学校の再訪を試みた。だが年々敷地の手入れが悪くなっていき、特に木々の葉っぱが校舎に覆いかぶさるようになってきている。数多くの木造校舎を見てきた中でも、私のお気に入りのひとつだった小口小学校。このブログという場所で、こんなことを書くのも申し訳なく思うが、もうちょっと手入れを心がけてほしいと思う。