木造校舎を訪ねて

私が訪ね歩いた木造校舎を、写真と文章で紹介していきます。

№4新治村立入須川小学校

2009-10-24 17:41:33 | 旅行



木造校舎データ
校名:群馬県利根郡新治村立入須川小学校
創立:明治9年 校舎竣工:昭和32年 部類:転用(平成15年3月閉校)
現状:NPO団体に貸与され、体験学習施設として活用
所在地:群馬県利根郡みなかみ町大字入須川1924
撮影年月日:平成14年8月5日(月)

群馬県中之条町との境に聳える「大道峠」の手前に、この小学校はある。
創立当時は新巻小学校の分教場として発足。校舎は二階建て、切妻造り、赤色スレート瓦葺、外壁は白色下見板張りとモルタル吹きである。純朴にして、温もりのあるこの木造校舎を訪ねたのは、入須川小学校最後の夏休みだった。
「ふるさとの学舎」というものが私の心の中にあるとしたら、入須川小の校舎はまさにそれを体現している。
背後の山の緑は深く濃く、側を流れる小川のせせらぎは、清涼たる調べを聴かせてくれる。私は当時、鉄筋校舎で学んでいた小学6年生。「こんな学校で育ったら、きっと素敵なものを学べただろうな」と強く思った。窓辺で遠くの空を見つめていた校長先生が、私にそっと言った一言。「こういう校舎は珍しいかい?」。校長先生の瞳は木造校舎と同じ、温かな眼差しだった。
現在、体験学習施設として転用されているそうだが、私が見た入須川小と今の入須川小は、似て非なるものだと思う。もうあの時には戻れない、校長先生もいないと思うと、一抹の寂しさを感ずる。校庭の砂が夏の陽射しに白く反射していたあの日を、私は生涯忘れはしないだろう。


№3新治村立猿ヶ京小学校

2009-10-23 19:19:37 | 旅行



木造校舎データ
校名:群馬県利根郡新治村立猿ヶ京小学校
創立:明治7年 校舎竣工:平成3年 部類:現役
現状:校舎として活用
所在地:群馬県利根郡みなかみ町大字相俣1731-2
撮影年月日:平成14年8月5日(月)

利根郡旧新治村は林業と養蚕で栄えた村である。またその昔は「笹の湯・湯島温泉」と呼ばれた猿ヶ京温泉、ランプの宿として有名な「法師温泉」など、温泉地としての賑わいもみせる。
猿ヶ京小学校の校舎は平成3年落成。群馬県下では40年ぶりの木造校舎竣工の出来事で、地場産の木材や、養蚕農家の用いる大屋根の上に小さな屋根を載せた「越屋根造り」という技法もみられる。この木造校舎は、村の郷土性を見事に反映させた建物である。


№1東村立花輪小学校

2009-10-22 17:11:58 | 旅行

木造校舎データ
校名:群馬県勢多郡東村立花輪小学校
創立:明治6年 校舎竣工:昭和6年 部類:転用(平成13年3月閉校)
現状:花輪小学校記念館(国の登録有形文化財指定)
所在地:群馬県みどり市東町大字花輪191
撮影年月日:平成14年8月4日(日)

私が5歳のころ、「学校の怪談」という映画を見たとき、幼心ながら木造校舎の醸し出すほの暗い空間、木肌の陰影などにとても興味を持った。「いつか木造校舎をこの目で見たい!」。その想いが実現するのは、7年後の12歳の夏休みであった。

私の父がある一冊の本を私に買ってくれた。「木造校舎の旅」という本で、私は表紙が擦り切れるまで読んだが、とりわけ印象深かったのが、その本に掲載されていた花輪小学校の校舎である。この花輪小学校を、何の調査もしないまま、気軽な旅行気分でふらりと訪ねたのが、そもそもの始まりだった。急カーブの続く山道をひたすら走り、渡良瀬川の川面を見下ろす高台に、その学舎は気品漂う勇壮な姿で建っていた。それはまぎれもなく私が長年求めていた木造校舎との対面だった!

東村は足尾銅山の銅を運ぶ宿場町として栄えたところである。残念ながら現在はみどり市となり、東村の名は消滅してしまった。
花輪小学校の卒業生には、日本鋼管の創設者である「今泉嘉一郎」、また同校の校長を勤めた「石原和三郎」は、童謡「うさぎとかめ」を作詞した人で、多くの偉人たちが花輪小学校を支えていた。

私は木造校舎にずっと憧れていた7年間の欲求が、この日一気に爆発し、日本全国の木造校舎を訪ねたいと強く思った。その原動力は19歳の今日につながっている。


№2東村立杲(ひので)小学校

2009-10-22 16:46:19 | 旅行




木造校舎データ
群馬県勢多郡東村立杲小学校
創立:明治7年 校舎竣工:昭和9・34年 部類:廃校(平成13年3月閉校)
現状:荒れるにまかせた状態
所在地:群馬県みどり市東町大字小中798
撮影年月日:平成14年8月4日(日)

昨年度まで子供たちがいたとは思えないほどの荒廃ぶり。校地は元は借地で取り壊しの話が持ち上がったが、フリースクールの転用が決まった。しかし平成21年7月、私はもう一度杲小学校を再訪したが、以前よりもさらに荒廃は進んでいた。フリースクールの話は実現しなかったものと思われる。

 
校舎は二棟あり、昭和9年竣工の板張り校舎と、同34年のモルタル増築校舎が平行して建っている。往時は集落の誇りとして建っていたかのような、威厳と気迫に満ちた雰囲気を醸し出している。
因みに昭和9年の校舎の設計者は、同村の花輪小学校と同一の大川勇である。彼は関東一円の木造校舎を手がけ、一棟だけ鉄筋校舎を設計したことがある。それは大川の出身地である埼玉県草加市の草加小学校である。大正15年建造のその校舎は、郷土資料館に転用されながら今も保存されている。

 


初めに

2009-10-21 14:56:49 | 旅行
初めまして、ようこそ「木造校舎を訪ねて」へお越しくださいました。
このブログでは、私が12歳から19歳の今日まで撮影した木造校舎の写真と、文章を紹介します。日々失われてゆく木造校舎は、多くのものを私たちに問いかけてくれます。周りの景色に溶け込んだ、まさに郷に愁う風景を創りだす木造校舎を、より多くの方々に知っていただきたく、このブログを作成いたしました。
写真や文章は全て独学ですので、至らぬ点が多数あると思いますが、心に残る校舎が一校でもございましたら、私にとって望外の喜びであります。