みなさん、ご無沙汰しておりました、ホーリーです。
約8年ぶりの投稿となります。
久々の投稿、そしてこれが最後の【 モヒッとねっ! 】です。
自分の覚書でもありますが、読者のみなさんにも読んでいただきたいです。
2019年10月16日 16時25分頃、
ジョーは “最期の闘い” を終えました。
17歳と328日(17年9ヶ月24日)の生涯でした。
今頃は虹の橋のたもとに到着し、元気な頃のジョーに戻って、毎日クンクンしながらお散歩していることでしょう。
まだまだ先になるかもしれないけれど、パパとママどっちと先に会えるかわからないけれど、いつか再会する日まで待っててね。
みんなで一緒に虹の橋を渡って天国に行くから。
約束だよ。
--------------------
●病状の経緯
2015年の春先、下痢が続いて体重が 4.7kg から 4.2kg まで落ちました。
かかりつけの病院では原因不明ということでまともな治療をしてもらえなかったため、仲良しワン友さんの紹介で別の病院に変えました。
ちょっと遠い場所にあって、クセの強い院長の病院でしたが、ハマれば “名医” の病院です。
そこでの診断は「小腸の吸収不全」ということでした。
小腸が上手く機能していないから下痢をして栄養を吸収できていないというものです。
「人間も同じだけど小腸の病気は厄介だよ。原因も特定できないし明確な治療法もないから。治せるという獣医はインチキだから」と言われました。
この時、ジョーは14歳と半年。
この時はステロイド(プレドニゾロン)と抗生剤(フラジール)の服用で下痢はおさまりましたが、ここから小腸の吸収不全との闘いが始まりました。
ちなみに「小腸の吸収不全」は病名ではありません。
体重は一旦盛り返して 4.5kg 前後で安定し、タンパク質吸収の目安となるアルブミンの数値は 2.1~2.3 の範囲で推移。
この頃はまだ、治療を施せば小腸機能もなんとか改善できていたから、体重が増えていたのだと思います。
「アルブミン値は低いけど安定しているし体重も減ってないので、これを維持していくしかないね」ということで、血液検査を毎月おこない、ステロイドと抗生剤を服用し続けることになりました。
定期的に下痢をしては、処方薬の量を変えたり、別の薬を追加したりしながら、年齢的に劇的に良くなることはないまでも、安定した状態で2019年の夏を迎えました。
老化によって少し痩せ始めてはいましたが、春先までは体重も安定して元気いっぱいで「これなら18歳は余裕でクリアできるなぁ」と思っていたのですが・・・
ところが7月に入る直前、また下痢が始まります。
これまでも、抗生剤の量を調整すれば下痢が止まっていたので、またいつものように処方薬でおさまると思っていました。
でも、この下痢はこれまでとちょっと違っていました。
抗生剤の量を調整しても下痢が止まらず、毎日、トロトロの軟便かピーピーの水様便という状態で、体重がみるみる減っていきました。
最初に 4.2kg まで一気に落ちて、そこからジワジワと減っていきました。
そして「小腸で吸収しないので、経口の薬では効かない」という診断で、ステロイド系薬剤の注射に切り替えました。
注射だと5日前後は効果が持続し、便も柔らかいけどまぁまぁの状態になっていましたが、すぐに効かなくなりはじめ、効果が3日も続かないようになりました。
8月に入った頃には「最低でも2週間の間隔を空けないと他の臓器に負担がかかる」と言っていたこの注射を、「3日おきに打ちましょう」と言われ、病院を変えることにしました。
「治療をするわけでもなく、ただ血液検査をして処方薬の調整をするだけなら、近所の病院でもいいのではないか?」と考えたことと、「ここまで生きてくれたから、もういいんじゃないの?」と言われたことが最終的な決め手です。
「あぁ、この院長は、処置するだけで治療する気はないんだな」と。
不信感が芽生えた病院に通うことはできませんので、8月8日からは徒歩5分の地元の病院に変えました。
当初は前の病院の処置を承継していましたが、やはり一向に改善が見られません。
その間にも体重はどんどん減っていきます。
小腸で吸収できないタンパク質を筋肉から補うため、筋肉が日に日に痩せ細り、見た目もガリガリになってしまいました。
ジョーの特徴でもある、ラガーマンのように太かった首も、頭を支えるのがやっとというくらい細くなってしまいました。
9月初旬、ジョーはヨロヨロながらも、まだ自立できるしお散歩もできていました。
でも、筋肉が極限以上に削げ落ち、次第に自立できなく、立たせても崩れ落ちる状態になっていきました。
筋肉のない身体はグニャグニャなので、立てるわけがないんです。
それは例えるなら、首の座っていない新生児のような、そんな身体でした。
身体は骨と皮だけになってしまい、体中の皮膚がダブついている状態です。
頭ですらガイコツのようでした。
栄養失調状態で被毛はほとんど抜け落ち、ツメも伸びません。
新陳代謝もできていないので耳垢すらたまらない、肉球のあの匂いもしなくなりました。
血行も悪くなり、耳、脚先、シッポから温もりが失せていました。
病院では9月5日から、ステロイド注射(プレドニゾロン)を打ち始め、21日からは毎日打つことになりました。
この病院のステロイド注射は、前の病院のものより優しい成分なので、毎日打っても大丈夫ということでした。
でも優しい分、あまり効果が見えません。
9月中旬頃は、寝ている時に誰かが動くと頭を上げて確認していましたが、月末くらいにはそれもできなくなりました。
身体を支えて立たせても、首に筋肉がないので頭がダランと垂れ下がり、ハナが地面についてしまうのです。
9月18日から10日間の水様便により、体重が 3.4kg から 3.1kg まで減り、いよいよこれ以上は減らないというところまで来ました。
その後は旅立ちの直前まで 3.08kg ~ 3.16kg の範囲で推移していたので、この3.1kgというのが、ジョーの骨と皮と内臓だけの体重(たぶん体脂肪ゼロ)だったのだと思います。
9月29日からは、最後の切り札として、広い範囲に効果があるという抗生剤注射(バイトリル)をステロイドと併用で毎日打ち始め、下痢による脱水症状も進んでいたので、乳酸リンゲルの点滴も一日置きに打ちました。
嚥下も困難になりだしたので30日からは完全に流動食に切り替えました。
その効果は顕著で、10月1日には便が粘土質の形のあるものになり、時にはごく普通の立派な便が出るようになったので、少しだけ光が見えたのですが・・・
10月1日、病院の帰り道でほんの少しだけ歩いたのが、屋外で立って歩いた最後のシーンです。
たまたま仲良しのワン友ママさん(ハンカチ王女ルナちゃんの)が通りがかってそこにいたので、気丈なところを見せて歩いたのかもしれないですね。
それ以降は寝たきりとなり、最期まで一度も立つことができませんでした。
10月4日の夜、突然の全身痙攣を起こしました。
初めて見るジョーのそんな姿に、血の気が引いたのを憶えています。
翌日、血液検査をしたところ、臓器の数値は発作を起こすほど悪くなっておらず、唯一原因と考えられるのはカルシウムの低下という診断でした。
「身体は、不足したタンパク質を筋肉から補うように、カルシウムが不足したら骨から補います。その貯金も底をついたのではないか・・・」ということでした。
タンパク質もカルシウムもほぼ無くなりました。
これだけステロイドと抗生剤の服用と注射を続けていたのに、腎臓も肝臓も大丈夫だったことに「痴呆もないし、獣医師の折り紙付きの丈夫な心臓、他の臓器も丈夫、筋骨も頑丈。小腸さえまともなら・・・」という気持ちが強くなり、悔しくてしかたがありませんでした。
この日からカルシウムを補うビタミン剤(カルシトリオール)を服用開始となりましたが、吸収されないので期待はしませんでした。
全身痙攣の日から排便が2日に1回のペースとなりました。
便が普通の固さになったことで、筋肉がないジョーにとっては便を送り出すことすら大変な状態だったのでしょう。
オシッコを出すのも3分くらいかかってやっと出るという感じでしたから。
--------------------
●当日
夜半過ぎから30分間隔で呼吸が早くなり、全身で呼吸をするようになりました。
これまでで一番体調が悪かったです。
午前4時頃、看病しながらウトウトしていたときに、かすかに「キャン!」と鳴き声が聞こえて目が覚めました。
気のせいかと思ったけど、今思えば鳴いていたと思います。
朝9時過ぎに容態が悪化し、かすれた声で横になったまま「キャン、キャン」と鳴いていました。
発作のようなものが起こり、舌が白くダランとなり、瞳孔も開き気味だったのですぐにも逝くのかと思いましたが、そこから夕方まで果敢に闘ってくれました。
もう無理なのに、生きよう生きようとしていたのだと思います。
16時25分頃、最期は目を見開いて一点を見つめ、初めて体験する「死」に、何が起こったのかわからない・・・といった表情で静かに旅立ちました。
昨夜から深呼吸のように深く大きくなっていた呼吸が止まり、あんなに丈夫だった心臓もゆっくりと鼓動を止めていきました・・・。
最期までピクピクッと動いていたけど・・・。
呼吸は止まっても心臓と脳はまだ生きていると思い、抱き上げて、すっかり遠くなっていた耳に「ジョー!」と大声で呼びかけたら、一度だけ口をハフッと開いてかすれた息で応えてくれました。
「バイバイ」なのか「ありがとう」なのか、最期に何か言ってくれたんだと思います。
この瞬間のジョーの顔は、一生、僕の脳裏から消え去らないでしょう。
--------------------
朝の段階で病院に連れて行かなかったのは、9時過ぎの発作を見た時に「もうダメだ」と悟ったからです。
ずっとジョーを見てきたからわかります。
それにジョーはもうすぐ18歳。
病院に連れて行って血液検査して、注射や点滴を打って延命したとしても、年齢からしてこの先何年も生きられるわけではありません。
ミイラのように痩せ細って、立てない歩けない頭も上げられないシッポも振れない。
そんな寝たきりの状態で数日、数ヶ月だけ命を延ばすことに意味があるのか・・・
「だったらこれ以上キツイ治療をするのはやめて、最期は二人で看取ってやろう」と決断したからです。
この約4ヶ月、身体に針を刺してばかりだったので、いくら痛みに強いジョーでも、もうかわいそうだ・・・とも思いました。
もちろん、ジョーが若ければこんな対応はしていません。
焦りまくって延命に必死になったはずです。
そこは誤解なく・・・。
そして、小腸の病気は怖いです。
真綿で首を絞めつけられるような感じで、ジワジワと蝕まれていきます。
腫瘍などと違って油断しがちですが、原因の特定もできない、明確な治療法もない厄介な病気です。
若いうちなら治療の選択肢がいろいろあるのでしょうけど、シニアになってからではなかなか難しいです。
みなさんのワンちゃんも十分に気をつけてあげてください。
--------------------
最期は笑顔で見送ってやろうと思ってました。
ジョーの最期の闘いの最中は涙も出ず、「これなら笑顔で見送れる」と思ってましたが、その瞬間は堪えきれませんでした。
「我慢する」とか「笑顔で」とか、そんなこと関係なく涙がボロボロ落ちました。
いい年して、声をあげて泣いてしまいました。
ジョーの前で初めて泣いたのがこんな大号泣だったので、ジョーに「パパ、なんでそんなに泣いてんのぉ?」って、ドン引きされたことでしょう。
でも今日わかりました。
愛犬を亡くして涙を堪えられる人なんかいないと。
涙ってこんなに出るんだ、どこからこんなに出るんだ?
ってくらい泣きました。
これを書きながらも涙を拭っています。
--------------------
12月22日が18歳の誕生日でした。
先述したように、春先までは「この感じだと18歳は余裕でクリアできるなぁ」と思ってたのに、6月末からの3ヶ月で生死の境をさまようほどに衰弱してしまい、最期の2週間はどうにもできなくなりました。
病院でも、経口の薬や食事がほとんど吸収されないということで、通常考えられる治療では手の施しようがないという状態でした。
あーすればよかったのでは?
こーすればよかったのでは?
そういう意見はいろいろあるでしょうけど、二人がジョーにしてあげられること、やれることはやってあげた、やりきったと思っているので悔いはないです。
「あの時こうしていれば・・・」というのは考えたくありません。
それは直接、後悔につながるからです。
ジョーを迎えたときから今まで、どうしたって短い生涯を遂げるジョーが幸せでいられるように、精一杯の愛情を注いできたので後悔はしたくありませんし、後悔したら「ボクの一生はなんだったの?」って、ジョーが悲しみます。
--------------------
いつもそばにいてくれた、本当にいつもそばにいてくれた最愛の友に先立たれた喪失感は計り知れない大きさですが、この先もたぶんずっと、仕事をしている僕の後ろでジョーはいつものようにスヤスヤと寝ていると思います。
そんなジョーを僕の悲しみで目覚めさせないように、少しずつ前を向いて歩いて行こうと思います。
人間だっていつか死ぬんだ。
ちょっとだけ、ジョーが先に走って行っただけ。
たくさんの幸せを運んできてくれて、本当にありがとう。
たくさんの人たちとつないでくれて、本当にありがとう。
ジョーがいなかったら、今の生活はなかったよ。
ジョーのこと、絶対に、絶対に、絶対に忘れない。
ジョーと過ごした日々は人生の宝物。
--------------------
●最後に
【 モヒッとねっ! 】終了後も、この日が来たら報告しようと決めていました。
これがその投稿になります。
もうこのブログ自体、気づかない人もいるでしょうけど、かまいません。
10歳で【 モヒッとねっ! 】を終わりにしたときは、トイ・プードルの寿命の感覚がわからず、早い段階でこの日が来るのだろうなと考えていました。
でも、そこから8年近くも長生きしてくれました。
もっと【 モヒッとねっ! 】を続けられたなぁと思いますが、ちょうどブログの時代も終焉を迎えていましたから、それはそれで良かったとします。
最近は18歳、19歳のトイ・プードルもよく見るので、ジョーが、あのジョーが18歳の誕生日を迎えられなかったという現実が残念ですが、十分長生きしてくれたと思います。
ジョーらしく、立派な最期の闘いも見せてくれました。
心からの感謝しかありません。
ジョーの最期の闘いを見守ってくれていたみなさん、ありがとうございました。
ずっとジョーを愛してくださったみなさん、ありがとうございました。
ジョーがつないでくれたご縁。
これからもずっと大切にしていきます、いや、大切にしていかなくてはジョーに叱られます。
ダラダラ長文、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
旅立つ3日前に書いた、ジョーの言葉にアレンジした「最期の闘い」です。
約8年ぶりの投稿となります。
久々の投稿、そしてこれが最後の【 モヒッとねっ! 】です。
自分の覚書でもありますが、読者のみなさんにも読んでいただきたいです。
2019年10月16日 16時25分頃、
ジョーは “最期の闘い” を終えました。
17歳と328日(17年9ヶ月24日)の生涯でした。
今頃は虹の橋のたもとに到着し、元気な頃のジョーに戻って、毎日クンクンしながらお散歩していることでしょう。
まだまだ先になるかもしれないけれど、パパとママどっちと先に会えるかわからないけれど、いつか再会する日まで待っててね。
みんなで一緒に虹の橋を渡って天国に行くから。
約束だよ。
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●病状の経緯
2015年の春先、下痢が続いて体重が 4.7kg から 4.2kg まで落ちました。
かかりつけの病院では原因不明ということでまともな治療をしてもらえなかったため、仲良しワン友さんの紹介で別の病院に変えました。
ちょっと遠い場所にあって、クセの強い院長の病院でしたが、ハマれば “名医” の病院です。
そこでの診断は「小腸の吸収不全」ということでした。
小腸が上手く機能していないから下痢をして栄養を吸収できていないというものです。
「人間も同じだけど小腸の病気は厄介だよ。原因も特定できないし明確な治療法もないから。治せるという獣医はインチキだから」と言われました。
この時、ジョーは14歳と半年。
この時はステロイド(プレドニゾロン)と抗生剤(フラジール)の服用で下痢はおさまりましたが、ここから小腸の吸収不全との闘いが始まりました。
ちなみに「小腸の吸収不全」は病名ではありません。
体重は一旦盛り返して 4.5kg 前後で安定し、タンパク質吸収の目安となるアルブミンの数値は 2.1~2.3 の範囲で推移。
この頃はまだ、治療を施せば小腸機能もなんとか改善できていたから、体重が増えていたのだと思います。
「アルブミン値は低いけど安定しているし体重も減ってないので、これを維持していくしかないね」ということで、血液検査を毎月おこない、ステロイドと抗生剤を服用し続けることになりました。
定期的に下痢をしては、処方薬の量を変えたり、別の薬を追加したりしながら、年齢的に劇的に良くなることはないまでも、安定した状態で2019年の夏を迎えました。
老化によって少し痩せ始めてはいましたが、春先までは体重も安定して元気いっぱいで「これなら18歳は余裕でクリアできるなぁ」と思っていたのですが・・・
ところが7月に入る直前、また下痢が始まります。
これまでも、抗生剤の量を調整すれば下痢が止まっていたので、またいつものように処方薬でおさまると思っていました。
でも、この下痢はこれまでとちょっと違っていました。
抗生剤の量を調整しても下痢が止まらず、毎日、トロトロの軟便かピーピーの水様便という状態で、体重がみるみる減っていきました。
最初に 4.2kg まで一気に落ちて、そこからジワジワと減っていきました。
そして「小腸で吸収しないので、経口の薬では効かない」という診断で、ステロイド系薬剤の注射に切り替えました。
注射だと5日前後は効果が持続し、便も柔らかいけどまぁまぁの状態になっていましたが、すぐに効かなくなりはじめ、効果が3日も続かないようになりました。
8月に入った頃には「最低でも2週間の間隔を空けないと他の臓器に負担がかかる」と言っていたこの注射を、「3日おきに打ちましょう」と言われ、病院を変えることにしました。
「治療をするわけでもなく、ただ血液検査をして処方薬の調整をするだけなら、近所の病院でもいいのではないか?」と考えたことと、「ここまで生きてくれたから、もういいんじゃないの?」と言われたことが最終的な決め手です。
「あぁ、この院長は、処置するだけで治療する気はないんだな」と。
不信感が芽生えた病院に通うことはできませんので、8月8日からは徒歩5分の地元の病院に変えました。
当初は前の病院の処置を承継していましたが、やはり一向に改善が見られません。
その間にも体重はどんどん減っていきます。
小腸で吸収できないタンパク質を筋肉から補うため、筋肉が日に日に痩せ細り、見た目もガリガリになってしまいました。
ジョーの特徴でもある、ラガーマンのように太かった首も、頭を支えるのがやっとというくらい細くなってしまいました。
9月初旬、ジョーはヨロヨロながらも、まだ自立できるしお散歩もできていました。
でも、筋肉が極限以上に削げ落ち、次第に自立できなく、立たせても崩れ落ちる状態になっていきました。
筋肉のない身体はグニャグニャなので、立てるわけがないんです。
それは例えるなら、首の座っていない新生児のような、そんな身体でした。
身体は骨と皮だけになってしまい、体中の皮膚がダブついている状態です。
頭ですらガイコツのようでした。
栄養失調状態で被毛はほとんど抜け落ち、ツメも伸びません。
新陳代謝もできていないので耳垢すらたまらない、肉球のあの匂いもしなくなりました。
血行も悪くなり、耳、脚先、シッポから温もりが失せていました。
病院では9月5日から、ステロイド注射(プレドニゾロン)を打ち始め、21日からは毎日打つことになりました。
この病院のステロイド注射は、前の病院のものより優しい成分なので、毎日打っても大丈夫ということでした。
でも優しい分、あまり効果が見えません。
9月中旬頃は、寝ている時に誰かが動くと頭を上げて確認していましたが、月末くらいにはそれもできなくなりました。
身体を支えて立たせても、首に筋肉がないので頭がダランと垂れ下がり、ハナが地面についてしまうのです。
9月18日から10日間の水様便により、体重が 3.4kg から 3.1kg まで減り、いよいよこれ以上は減らないというところまで来ました。
その後は旅立ちの直前まで 3.08kg ~ 3.16kg の範囲で推移していたので、この3.1kgというのが、ジョーの骨と皮と内臓だけの体重(たぶん体脂肪ゼロ)だったのだと思います。
9月29日からは、最後の切り札として、広い範囲に効果があるという抗生剤注射(バイトリル)をステロイドと併用で毎日打ち始め、下痢による脱水症状も進んでいたので、乳酸リンゲルの点滴も一日置きに打ちました。
嚥下も困難になりだしたので30日からは完全に流動食に切り替えました。
その効果は顕著で、10月1日には便が粘土質の形のあるものになり、時にはごく普通の立派な便が出るようになったので、少しだけ光が見えたのですが・・・
10月1日、病院の帰り道でほんの少しだけ歩いたのが、屋外で立って歩いた最後のシーンです。
たまたま仲良しのワン友ママさん(ハンカチ王女ルナちゃんの)が通りがかってそこにいたので、気丈なところを見せて歩いたのかもしれないですね。
それ以降は寝たきりとなり、最期まで一度も立つことができませんでした。
10月4日の夜、突然の全身痙攣を起こしました。
初めて見るジョーのそんな姿に、血の気が引いたのを憶えています。
翌日、血液検査をしたところ、臓器の数値は発作を起こすほど悪くなっておらず、唯一原因と考えられるのはカルシウムの低下という診断でした。
「身体は、不足したタンパク質を筋肉から補うように、カルシウムが不足したら骨から補います。その貯金も底をついたのではないか・・・」ということでした。
タンパク質もカルシウムもほぼ無くなりました。
これだけステロイドと抗生剤の服用と注射を続けていたのに、腎臓も肝臓も大丈夫だったことに「痴呆もないし、獣医師の折り紙付きの丈夫な心臓、他の臓器も丈夫、筋骨も頑丈。小腸さえまともなら・・・」という気持ちが強くなり、悔しくてしかたがありませんでした。
この日からカルシウムを補うビタミン剤(カルシトリオール)を服用開始となりましたが、吸収されないので期待はしませんでした。
全身痙攣の日から排便が2日に1回のペースとなりました。
便が普通の固さになったことで、筋肉がないジョーにとっては便を送り出すことすら大変な状態だったのでしょう。
オシッコを出すのも3分くらいかかってやっと出るという感じでしたから。
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●当日
夜半過ぎから30分間隔で呼吸が早くなり、全身で呼吸をするようになりました。
これまでで一番体調が悪かったです。
午前4時頃、看病しながらウトウトしていたときに、かすかに「キャン!」と鳴き声が聞こえて目が覚めました。
気のせいかと思ったけど、今思えば鳴いていたと思います。
朝9時過ぎに容態が悪化し、かすれた声で横になったまま「キャン、キャン」と鳴いていました。
発作のようなものが起こり、舌が白くダランとなり、瞳孔も開き気味だったのですぐにも逝くのかと思いましたが、そこから夕方まで果敢に闘ってくれました。
もう無理なのに、生きよう生きようとしていたのだと思います。
16時25分頃、最期は目を見開いて一点を見つめ、初めて体験する「死」に、何が起こったのかわからない・・・といった表情で静かに旅立ちました。
昨夜から深呼吸のように深く大きくなっていた呼吸が止まり、あんなに丈夫だった心臓もゆっくりと鼓動を止めていきました・・・。
最期までピクピクッと動いていたけど・・・。
呼吸は止まっても心臓と脳はまだ生きていると思い、抱き上げて、すっかり遠くなっていた耳に「ジョー!」と大声で呼びかけたら、一度だけ口をハフッと開いてかすれた息で応えてくれました。
「バイバイ」なのか「ありがとう」なのか、最期に何か言ってくれたんだと思います。
この瞬間のジョーの顔は、一生、僕の脳裏から消え去らないでしょう。
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朝の段階で病院に連れて行かなかったのは、9時過ぎの発作を見た時に「もうダメだ」と悟ったからです。
ずっとジョーを見てきたからわかります。
それにジョーはもうすぐ18歳。
病院に連れて行って血液検査して、注射や点滴を打って延命したとしても、年齢からしてこの先何年も生きられるわけではありません。
ミイラのように痩せ細って、立てない歩けない頭も上げられないシッポも振れない。
そんな寝たきりの状態で数日、数ヶ月だけ命を延ばすことに意味があるのか・・・
「だったらこれ以上キツイ治療をするのはやめて、最期は二人で看取ってやろう」と決断したからです。
この約4ヶ月、身体に針を刺してばかりだったので、いくら痛みに強いジョーでも、もうかわいそうだ・・・とも思いました。
もちろん、ジョーが若ければこんな対応はしていません。
焦りまくって延命に必死になったはずです。
そこは誤解なく・・・。
そして、小腸の病気は怖いです。
真綿で首を絞めつけられるような感じで、ジワジワと蝕まれていきます。
腫瘍などと違って油断しがちですが、原因の特定もできない、明確な治療法もない厄介な病気です。
若いうちなら治療の選択肢がいろいろあるのでしょうけど、シニアになってからではなかなか難しいです。
みなさんのワンちゃんも十分に気をつけてあげてください。
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最期は笑顔で見送ってやろうと思ってました。
ジョーの最期の闘いの最中は涙も出ず、「これなら笑顔で見送れる」と思ってましたが、その瞬間は堪えきれませんでした。
「我慢する」とか「笑顔で」とか、そんなこと関係なく涙がボロボロ落ちました。
いい年して、声をあげて泣いてしまいました。
ジョーの前で初めて泣いたのがこんな大号泣だったので、ジョーに「パパ、なんでそんなに泣いてんのぉ?」って、ドン引きされたことでしょう。
でも今日わかりました。
愛犬を亡くして涙を堪えられる人なんかいないと。
涙ってこんなに出るんだ、どこからこんなに出るんだ?
ってくらい泣きました。
これを書きながらも涙を拭っています。
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12月22日が18歳の誕生日でした。
先述したように、春先までは「この感じだと18歳は余裕でクリアできるなぁ」と思ってたのに、6月末からの3ヶ月で生死の境をさまようほどに衰弱してしまい、最期の2週間はどうにもできなくなりました。
病院でも、経口の薬や食事がほとんど吸収されないということで、通常考えられる治療では手の施しようがないという状態でした。
あーすればよかったのでは?
こーすればよかったのでは?
そういう意見はいろいろあるでしょうけど、二人がジョーにしてあげられること、やれることはやってあげた、やりきったと思っているので悔いはないです。
「あの時こうしていれば・・・」というのは考えたくありません。
それは直接、後悔につながるからです。
ジョーを迎えたときから今まで、どうしたって短い生涯を遂げるジョーが幸せでいられるように、精一杯の愛情を注いできたので後悔はしたくありませんし、後悔したら「ボクの一生はなんだったの?」って、ジョーが悲しみます。
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いつもそばにいてくれた、本当にいつもそばにいてくれた最愛の友に先立たれた喪失感は計り知れない大きさですが、この先もたぶんずっと、仕事をしている僕の後ろでジョーはいつものようにスヤスヤと寝ていると思います。
そんなジョーを僕の悲しみで目覚めさせないように、少しずつ前を向いて歩いて行こうと思います。
人間だっていつか死ぬんだ。
ちょっとだけ、ジョーが先に走って行っただけ。
たくさんの幸せを運んできてくれて、本当にありがとう。
たくさんの人たちとつないでくれて、本当にありがとう。
ジョーがいなかったら、今の生活はなかったよ。
ジョーのこと、絶対に、絶対に、絶対に忘れない。
ジョーと過ごした日々は人生の宝物。
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●最後に
【 モヒッとねっ! 】終了後も、この日が来たら報告しようと決めていました。
これがその投稿になります。
もうこのブログ自体、気づかない人もいるでしょうけど、かまいません。
10歳で【 モヒッとねっ! 】を終わりにしたときは、トイ・プードルの寿命の感覚がわからず、早い段階でこの日が来るのだろうなと考えていました。
でも、そこから8年近くも長生きしてくれました。
もっと【 モヒッとねっ! 】を続けられたなぁと思いますが、ちょうどブログの時代も終焉を迎えていましたから、それはそれで良かったとします。
最近は18歳、19歳のトイ・プードルもよく見るので、ジョーが、あのジョーが18歳の誕生日を迎えられなかったという現実が残念ですが、十分長生きしてくれたと思います。
ジョーらしく、立派な最期の闘いも見せてくれました。
心からの感謝しかありません。
ジョーの最期の闘いを見守ってくれていたみなさん、ありがとうございました。
ずっとジョーを愛してくださったみなさん、ありがとうございました。
ジョーがつないでくれたご縁。
これからもずっと大切にしていきます、いや、大切にしていかなくてはジョーに叱られます。
ダラダラ長文、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
旅立つ3日前に書いた、ジョーの言葉にアレンジした「最期の闘い」です。
2019.10.23
ホーリー、ひ~、そして最愛なるジョー
ホーリー、ひ~、そして最愛なるジョー