たしかなこと (3)
時々視線が合うと白川さんは目元に笑いジワができる
書類を持つあの手が私の頬に
あの唇が…
いけないっ
つい色々と思い出してしまう、、
変なことばっか考えてるから顔が熱い(笑)
… ん? あれ? ほんとに熱い…
私は本当に高熱を出しかけていた
あんなに白川さんが風邪をひかないようにと気にかけてくれたのに
白川さんが責任を感じてしまいそうで私は平然と業務をこなしていた
でも夕方になるといよいよ体温が異常に上がってきたことを実感してきた
喉が凄く痛い
でも定時まであと1時間…
もうちょっとだから頑張らないと…
「笹山君、ちょっと。」
白川さんに呼ばれた
「手を出してください。」
「え?」
厳しい表情に変わった
「手を出して。」
手を出すと私の手を握った後 立ち上がって耳の下に手を充てた
「どうして… 」眉をしかめた
白川さんにバレてしまった ーー
「今から直ぐに病院に行ってください。」
同じ部署の女性が歩み寄ってきた
「どうかしました?」
「あぁ、植草君。笹山君が高熱を出しているようなので、すまないが今から病院まで付き添ってあげてもらえないだろうか。私はどうしても今は出られないから。」
白川さん…
あぁ、、心配かけさせてごめんなさい
植草さんに付き添われ近くの内科の個人病院に向かった
点滴を受けることになったので植草さんには感謝を伝え、先に帰ってもらった
点滴を受けている間 私は2時間ほど眠ってしまっていた
点滴が終わると少しだけ熱が下がった気がした
受付に向かうと白川さんが心配そうに待ってくれていた
「香さん。風邪でしたか?」
「急、性…」
あ、声が出なくなる
「扁桃、炎、で、す」
私は昔から数年に一度 急性扁桃炎になる
高熱が出てこんな風に声が出なくなる
疲れて免疫が落ちてたんだ…
病院を出ると白川さんは直ぐにタクシーを止め一緒に乗り込んだ
一人で帰ると伝えたけれど家まで送らせて欲しいと心配そうな表情をした
あぁ… 本当に申し訳ないです…
「点滴を、打って、少し楽になり、、ましたから、部長は、近くの駅、から帰ってくだ、」
白川さんは小さく頭を横に振った
「駄目です。こういう時こそ一緒にいたいんです。僕のわがままだと思ってくれても構わない。それに、」
窓側にもたれていた私の頭を優しく自分の肩に寄せた
「こうだろう?」
その声はちょっと怒っているように聞こえた
窓が冷たくて気持ち良かったのになぁ
「怒って、ま、す(か)?」
「ええ。怒っています。」
え?
「何も言わず黙って仕事をしていたことにです。どうして具合が悪いのに何も伝えてくれなかったのかと。」
近所まで帰ってきてタクシーの運転手さんに場所を伝え白川さんに寄り添われて自宅に戻った
「この辺りにスーパーマーケットは?」
もう大丈夫だから帰っていただいてもと言う私の言葉を無視して私の部屋の鍵を持ち買い物に出掛けてしまった
着替えてお風呂に入っていると玄関が開いた音が聞こえた
お風呂から上がると白川さんがお粥を作ってくれていて驚いた
「こんな時に風呂に入るなんて。悪化したらどうするんですか。全く。貴女は… 」
さっきより怒っている様子
「ごめんな、さい… 」
「これを飲んで今すぐ布団に入ってください。」
言われるがまま手渡されたスポーツドリンクを飲んで布団に入ると枕には冷たいアイス枕がのせられていた
私の部屋に白川さんがいる…
いつも仕事してる格好でキッチンに立ってる…
不思議な光景… だなぁ…
「起きられますか?」
その声に目が覚めた
「は… い…」起き上がると
お粥と梅干しに病院で貰ってきた飲み薬を持っていた
「食べられそうですか?無理なら一口でも構わないよ。」
「食べら、れ、ます。」
そう言うと食べさせようとしてくれたから照れくさくて自分で食べると器を受け取った
「香さんはこんな時でも僕に甘えてくれないんだね。」
白川さんはそういう風に思ってたんだ…
「きっと僕の器量不足なんでしょう… 」
残念そうに視線を落とした
「違い、ます、 照れるから、です」
照れ隠しでお粥を食べた
「そうか… 照れ屋さんだったんだね。早く良くなってくださいよ?(笑) また一緒に何処かに行きたいから。」
微笑みながら私の頭を優しく撫でる大きな手はとても温かった
「今は何も考えず体調を治してください。明日熱が下がっていたとしても念のため一日は休んでください。僕は貴女から休みの報告を受けた事にしておきますから。わかりましたか?」
部長の顔になった
「ありが、とう、ございま、す… 大好き、です 」
少し驚いたように何度かまばたきをした
「… ありがとう(笑) 僕も香さんが大好きだよ(笑)」
白川さんはホッとしたように微笑んだ
ーーー
薬を飲むとまた眠ってしまっていたようで
目が覚めると朝になっていた
白川さんは昨夜の内に帰ったようで枕元にはメモが置いてあった
“お粥の残りは冷蔵庫に入れておきます
必ず食べておいてください
それと薬を飲み忘れないように
冷蔵庫には昨日買い物をしてきたスポーツドリンクや消化に良い物を入れてありますから
元気になったら美味しいものを食べに行きましょう
香さんなら焼き肉でしょうか?
白川 宣隆 ”
焼き肉(笑) 中華でもいいんだよ(笑)
「(くひゅひゅ)(笑)」
変な声になっていた
ーーー
僕は早々に仕事を終わらせ腕時計を確認した
香さんはちゃんと寝ているだろうかと心配でメールを送ると熱は下がって家にいると返事が返ってきた
昨日熱があるのに風呂に入っていたから悪化してはいないかと心配したけれど熱が下がっていて良かった…
あぁ… 若いから治りが早いのか
今から向かうからとメールを送るとわざわざ来なくても明日は出社するから大丈夫ですと返ってきた
会社ではまともに話せないから会いたいんですと返すと じゃあ待ってますと返ってきた
まだ遠慮がちな香さんにどうすればもっと心が近付けるのだろうか、フランクに接してもらえるだろうかと電車の中で考えた
年齢差があるからだろうか
それとも僕が堅苦しいのだろうか…
スーツの胸ポケットに入れた携帯にメールが入って開いてみると会社からだった
“明日 緊急会議を行うことになりましたので13時から第2会議室に集合してください”
緊急って… なんだ?
もしかして役員交代の話か?
役員交代の噂は聞こえてはいたが…
香さんの住む街の最寄り駅で降り外に出ると雨が降ってきた
蒸し暑いな…
ネクタイを緩ませシャツのボタンをひとつ開けた
傘を開き 香さんの元へと歩き始めた
派閥争いが激しいうちの会社は役員次第で随分と内省も変わるだろう
派閥争いなんて僕にとっては本当に迷惑で馬鹿馬鹿しい話ではあるけれど
引き抜きの条件として派閥に巻き込まないで欲しいという条件を出してこの会社に入った
けれど それももう20年近く昔の話だ
きっと僕も無関係でいられる立場では無くなってしまっているだろう
「はぁ…」
地方への転勤ぐらいは覚悟をしておく必要があるかもしれないな
僕には背負う家族もいないから…
背負う… 家族…
ふと香さんの顔が浮かんだ
彼氏の転勤であんなに泣いていた香さんがまた…
胸が痛む…
香さんの部屋のチャイムを押したら昨日より顔色の良い香さんがドアを開けた
「熱は下がったかい?昨日より随分顔色は良さそうに見えるけど。」
「(お陰さ… で元気に… (笑) まだ鼻水は出… けど(笑) )」
昨日よりも声がかすれて聞き取りにくくなっていた
「昨日より声が出なくなっているじゃないか。」
香さんはお茶を入れてくれた
「お茶なんかいいのに、、それに無理して喋らなくてもいい。」
「(変な、声、で、すみ…ませ 」
「それでも香さんは香さん。どんな香さんでも可愛いんです。そのままで良いんです(笑)」
「(また、そういう、こと) (笑)」
こんなかすれた声が聞けるのも貴重だな(笑)
「香さん。熱はもう出ていませんか?」
うんうんと頷き
「(ぅしゅしゅしゅ!(笑)) 」と声にならない笑い方をした
それが可愛いくて可笑しくて
「ふっ、、はははははっ!(笑)」
堪らず思い切り笑った
香さんがまるで小動物みたいに見える
「これでは明日も仕事になりませんねぇ~(笑)」
「(行き、ます!)」
「寝込ませてしまってすまない。」
違う違うとジェスチャーしてきた
「香さんには早く元気になってもらわないと。僕は本当に心配をしているんです。それに… 」
それに貴女がこれから僕との未来をどこまで考えているのか…
貴女の望む未来を知りたい…
「(それ、に?)」
「それに… 香さんのことをもっと知りたいんです。」
すると驚いた表情になり見る見る顔を赤くした
「… ? なぜそんなに驚くんですか?」
“知りたい”って意味を勘違いしてる?
「僕の言い方がまずかったようだ(笑)」
香さんは目をパチパチとさせた
「貴女はどうも勘違いをしてるようですねぇ(笑) でも、貴女が思った“そのこと” についても知りたいんですよ。 僕も一応 “男” ですから。そういう欲求はこの歳でもありますので。」
「( しょ…! しょ… ふぁ!!)」
表情と挙動不審な動きを見るとかなり動揺しているようだった
「な、なにを…言って… (笑) ふははは(笑)」
また可笑しくて爆笑すると香さんは苦笑いをした
「無理強いはしませんよ。香さん(笑)」
気まずそうに上目遣いになった
「声はあまり出さない方がいいので、書いてください。」
香さんに僕の手帳とペンを手渡したら何かを書き始めた
“白川さんの「知りたい」こととは何ですか?” と書かれていた
「それはまた近々に聞きます(笑)」
“私も白川さんに聞きたいことがあります”
「聞きたいこと?」
“休日家にいるときは何をしてますか”
“嫌いな食べ物を教えてください”
“自分のことについてどんな性格だと思っていますか”
“どんな人間が好きですか”
“どんな人間が嫌いですか”
“信念はなんですか”
“一番 大切にしているものはありますか(物でも物ではなくても)”
“再婚は考えないのですか”
「おや? 質問多いね(笑)」
ーー “再婚は考えないのですか” か…
「香さんはこういうことを知りたかったんですか(笑)」
うんうんと小さく頷いた
僕は順番に答えていった
「家にいる時はベランダで観葉植物とプランターで野菜を育てているからその手入れとか… 」
「(へぇ~!)」
「土とか植物に触れると癒されます(笑) 疲れた人間に触れられる植物達にしてみるといい迷惑かもしれませんが(笑)
次の質問は… 嫌いな食べ物? 基本的にありませんが、真っ赤な激辛系は食べられませんねぇ。一般レベルの辛さであれば食べます(笑) それは嫌いではないです。
それと、”自分のことについてどんな性格だと思っていますか”ですか。そうですね… じっとしてはいられない性格ですね(笑) いつも何かをしています。何かを考えていたり。でも自然な物に触れている時は何も考えていないですね(笑) それと真面目な性分でしょうか。貴女には面白味はないかもしれません(笑)」
香さんはそんなことはないと頭を横に振った
そんな風に ひとつひとつ質問に答えていった
「再婚について…これは難しい質問だね。全く考えないこともないですが、これは相手の人生も関わってくることなので一人では決められない。相手が結婚を望むなら考えるかもしれませんが… 」
香さんがまた書き始めた
“結婚を望んでいる相手なら?”
香さん…
貴女は結婚したいのですか?
「それが本意なら考えます。今は、、まだわからないですね(笑)」
香さんは複雑な表情をした
「とにかく早く良くなってください。貴女の声が聞きたいし、“僕が知らない貴女” を僕に見せてくれるんでしょう?(笑)」
目が泳いだ後 小さく頷いた
「今、約束しましたよ(笑)」
ーーー
帰りの電車の中で僕は考えていた
今、会社の上層部では派閥による覇権争いで大荒れしている
困窮した今の日本経済でただのイチ企業がしょうもない内部の覇権争いをやっている
そんなことをやっている状況じゃない事はわかっているだろうに
覇権争いとは関係なく企業自体の生き残りをかけて人員削減案もその内出てくるだろう
その時 早期退職を促されたら今の僕なら潔く辞める選択を取る
僕一人なら生きていけるだろうが もし家庭を持ったらそういう訳にはいかなくなる
男には家庭を守る責任があるからどんな形になってでも会社に残れるような選択をするしかなくなる
我慢を強いられるのが僕一人ならまだいいが、香さんまで我慢をさせるかもしれない
これから自分がどうなるかなんて誰もわからない
だからこそ 簡単に結論を出せる問題じゃない
車窓に雨が強く打ち付け
今夜は嵐になりそうな予感がした
ーーー
翌朝 雨の中
香さんは出社した
相変わらず声は出ていなかったが書類を作成したりまとめることはできるとメモで見せた
「決して無理はしないように。」
香さんが微笑みで返事をした
貴女が… 香さんが好きだ ーー
こんな年齢になったのにまた恋に落ちるなんて思いもしなかった
こんなに幸せな気持ちになったのは何十年ぶりだろう
でも貴女の将来を考えるともっと将来性のある若い男と家庭を持った方が貴女のためではないのか… と
昨夜から思うようになっていた
第2会議室前
時計は12時55分を指し各部署の部長が集まり始めていた
ドアを開くと予想通り重苦しい空気が漂っていた
13時 定刻通り会議は始まったーー
会議は4時間にも及んだ
日本経済と会社の現状について
それとやはりリストラによる人員削減と組織改革だった
企業が生き残るにはもうこの道しかないことは誰もが分っている
リストラ候補の人選を期限までにおこなうよう各署部長に命じられた
“肩叩き候補のリストを作れ” …か
人員 “整理” …
人間は物のように簡単に整理したり切り捨てられるようなものではない
それでも会社の意向通り遂行しなければならないのがサラリーマンの宿命だ
本当に… キツい
僕一人が辞めて済むどころの問題ではない
部署に戻るとまだ皆 残って業務をおこなっていて香さんもPCに向かっていた
うちの部署は23名
ここから12名まで絞るーー
半数に減らなければならないというノルマ
「はぁ… 」頭痛がしてきた
男性の部下 山下君が報告に来た
「部長が不在中、こちらの方からお電話がありましたのでよろしくお願いします。」
あぁ… 付箋メモもあったな
「わかった。連絡してみます。」
重くなった頭を切り替え 会議中に溜まった業務に集中した
ーーー
気がつくともう20時を回っていた
香さんも他の社員も退社して部署には僕一人になっていた
携帯を確認すると香さんからのメールが入っていた
“お疲れさまです。大丈夫ですか?お仕事終わったらメールください。”
もう直ぐ帰るとメールで返信した
“差し入れを買って行こうと思ったんですがもう帰るんですね”
え?もしかして…
“今 会社の近くにいるんですか?”
“はい、近いです。”
どうして…
まだ声も出ないほど体調も戻っていないのに
“もしかして待っててくれてたんですか?”
“いえ、近くに用があったので。”
本当だろうか…
“食事は済ませていますか?”
“軽くは。”
本当か?なら…
“食事しませか?”
“はい!喜んで!”
ほらやっぱり… 食事もせず待ってたんだな
なんでこんなに健気なんだ
全く貴女は…
嬉しいけど胸が痛い…
夕方まで降っていた雨はもうやんでいた
白い傘を持った香さんが僕を見つけると嬉しそうに手を振った
「今夜は肌寒いのに。まだ体調が万全ではないんだから早く帰って養生してくださいよ、全く貴女は(笑)」
まだ声の出ない香さんは僕に微笑んだ
「本当に困った人だよ(笑) 」
香さんの手を握ったら照れくさそうにうつむいた
この人との この幸せを手離したくない
泣かせたくない
一体 何が “正しい選択” になるんだろうか
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