今日は朝から大掃除、のはずだったのに、
連日出かけては食べ飲みしゃべり、はしゃいだ疲れがたまったのか、
まったく身体が動きません
クリスマスに買った養命酒を飲んで、今日はこたつむりです。
こんなとき、家にパソコンがあってネットがつながっててよかったなと思います。
さて、この間おはなしの案を書いてからしばらくフヌケ状態だったわたしを、
ガツンとぶん殴ってくれたものがあります。
●「銀河鉄道の夜」 ますむら・ひろし原案
子どものころ、従兄弟の家で見たなあ、ぐらいの記憶しか残っていなかったんですが、
改めて観て驚愕。
原作も何度も読んでいて、現在の版とブルカニロ博士登場版も読んで、
すっかり知った気になってたのに・・・
こんな物語だったなんて、知らなかった
今まで、「宮沢賢治」を見るときにかけていた色眼鏡が吹き飛んだ。
小学校時代から今まで、「宮沢賢治マニア」を自称する先生たちに
幾度となく賢治の素晴らしさを説かれて来たけれど、
肝心のその薦め手の先生たちの「タイプ」がどうも好きになれなかったのです。
多少の例外はあるけれど、みんな同じように傷付きやすくて(生徒にバカにされて職員室で泣いたりする)、「雨ニモ負ケズ」の内容をスポ魂アニメの美談かのように信じていて、賢治っていうのは、途方もなく美しい心の人間なんだ、
そしてそれを好きでいる自分もまた繊細で美しい心の持ち主なのだ・・・
という雰囲気(大幅にわたしの思い込み)がぷんぷんしていて、嫌でした。
つまり、なんかうさんくせーなあ、と思ってたのでした。
そのせいで、「宮沢賢治」に対する印象も、
「独特の幻想的な世界はかっこいいけど、なんかみんなが本当の幸せを求めていて、おりこうな子ばっかり出て来る話を書く人」
という、大幅に偏ったイメージでわたしの中に登録されていました。
(おおお~ もったいないことしたあああ!!!)
ますむら・ひろし版「銀河鉄道の夜」のシビアさは半端なかったです。
逃げ場ゼロ、生理的にくる物語でした。
27歳が観てもトラウマになりそうです。怖い。
でもそれは、不幸な子のお話だから悲しくて怖いんじゃなくて、
意地悪なザネリだって、他の子だって、この映画を観ている自分だって、
誰も変わらず本当はそうなんだ、「そうなるんだ」、
ということを暴力的に叩きこまれるからです。
銀河鉄道がやって来るシーンの恐怖は、キューブリックどころじゃないと思いました。
こういうシビアさというか本気さに、映像で見せてもらうまで、
何度本を読んでも気付きませんでした。
2回観ましたが、ひとつひとつのシーンにきっちり描き込まれたかなしさに、
ため息というか、なんというか、うう・・・となってしまいます。
意地悪な友だちには何も言わず、放課後は大人たちに混ざって無言で仕事をして、
家に帰れば病気のお母さんをいたわって、
全編とおして、ひとりぼっちのジョバンニが無邪気な子どもでいられたのは、
カンパネルラの前だけだったんだと思うと、かなり、苦しい。
カンパネルラにしたって、無邪気に慕うばかりのジョバンニを置いて行かなくちゃならない。
でもしょうがないんだ、いつまでもずっと幸せに、なんて甘い嘘だ、
うーん、わかってるけど、あきらめきれん、
そんな気持ちになる。
そして、ラストの「ほんとうの幸い・・・」で完全に置いて行かれる。
自分のエゴを突き付けられたような気がする。
汲めども尽きぬだなあ。
返すまでにもう一回観よう。
ところで、田中真弓(ジョバンニ役の声優さん)好きだわ~
元気な役が多いけど、脆そうな役のほうがたまらんなあ。
それと、mamaさんに雰囲気が似てると言われた「牛乳屋のマントのおばあさん」。
てっきり、まあ自分を美化しすぎかもしれないけど・・・
「牛乳屋のマントの(やさしそうな)おばあさん」だと思い込んでいたら、
「牛乳屋のマントの(かなり怪しい)おばあさん」でした。
でも納得。顔も似てる
そのシーンだけ何度観ても笑ってしまいます。
連日出かけては食べ飲みしゃべり、はしゃいだ疲れがたまったのか、
まったく身体が動きません
クリスマスに買った養命酒を飲んで、今日はこたつむりです。
こんなとき、家にパソコンがあってネットがつながっててよかったなと思います。
さて、この間おはなしの案を書いてからしばらくフヌケ状態だったわたしを、
ガツンとぶん殴ってくれたものがあります。
●「銀河鉄道の夜」 ますむら・ひろし原案
子どものころ、従兄弟の家で見たなあ、ぐらいの記憶しか残っていなかったんですが、
改めて観て驚愕。
原作も何度も読んでいて、現在の版とブルカニロ博士登場版も読んで、
すっかり知った気になってたのに・・・
こんな物語だったなんて、知らなかった
今まで、「宮沢賢治」を見るときにかけていた色眼鏡が吹き飛んだ。
小学校時代から今まで、「宮沢賢治マニア」を自称する先生たちに
幾度となく賢治の素晴らしさを説かれて来たけれど、
肝心のその薦め手の先生たちの「タイプ」がどうも好きになれなかったのです。
多少の例外はあるけれど、みんな同じように傷付きやすくて(生徒にバカにされて職員室で泣いたりする)、「雨ニモ負ケズ」の内容をスポ魂アニメの美談かのように信じていて、賢治っていうのは、途方もなく美しい心の人間なんだ、
そしてそれを好きでいる自分もまた繊細で美しい心の持ち主なのだ・・・
という雰囲気(大幅にわたしの思い込み)がぷんぷんしていて、嫌でした。
つまり、なんかうさんくせーなあ、と思ってたのでした。
そのせいで、「宮沢賢治」に対する印象も、
「独特の幻想的な世界はかっこいいけど、なんかみんなが本当の幸せを求めていて、おりこうな子ばっかり出て来る話を書く人」
という、大幅に偏ったイメージでわたしの中に登録されていました。
(おおお~ もったいないことしたあああ!!!)
ますむら・ひろし版「銀河鉄道の夜」のシビアさは半端なかったです。
逃げ場ゼロ、生理的にくる物語でした。
27歳が観てもトラウマになりそうです。怖い。
でもそれは、不幸な子のお話だから悲しくて怖いんじゃなくて、
意地悪なザネリだって、他の子だって、この映画を観ている自分だって、
誰も変わらず本当はそうなんだ、「そうなるんだ」、
ということを暴力的に叩きこまれるからです。
銀河鉄道がやって来るシーンの恐怖は、キューブリックどころじゃないと思いました。
こういうシビアさというか本気さに、映像で見せてもらうまで、
何度本を読んでも気付きませんでした。
2回観ましたが、ひとつひとつのシーンにきっちり描き込まれたかなしさに、
ため息というか、なんというか、うう・・・となってしまいます。
意地悪な友だちには何も言わず、放課後は大人たちに混ざって無言で仕事をして、
家に帰れば病気のお母さんをいたわって、
全編とおして、ひとりぼっちのジョバンニが無邪気な子どもでいられたのは、
カンパネルラの前だけだったんだと思うと、かなり、苦しい。
カンパネルラにしたって、無邪気に慕うばかりのジョバンニを置いて行かなくちゃならない。
でもしょうがないんだ、いつまでもずっと幸せに、なんて甘い嘘だ、
うーん、わかってるけど、あきらめきれん、
そんな気持ちになる。
そして、ラストの「ほんとうの幸い・・・」で完全に置いて行かれる。
自分のエゴを突き付けられたような気がする。
汲めども尽きぬだなあ。
返すまでにもう一回観よう。
ところで、田中真弓(ジョバンニ役の声優さん)好きだわ~
元気な役が多いけど、脆そうな役のほうがたまらんなあ。
それと、mamaさんに雰囲気が似てると言われた「牛乳屋のマントのおばあさん」。
てっきり、まあ自分を美化しすぎかもしれないけど・・・
「牛乳屋のマントの(やさしそうな)おばあさん」だと思い込んでいたら、
「牛乳屋のマントの(かなり怪しい)おばあさん」でした。
でも納得。顔も似てる
そのシーンだけ何度観ても笑ってしまいます。