今週の土日は、絶好の花見日和でした。
私は、家事の合間に、嵐山へ写真素材を撮影すべく、自転車を走らせました。
昼の大枝垂桜
そして・・・夜は、幽玄の桜。
夜の大枝垂桜
見事に咲き誇りました。
今年の桜は、いつになく美しいです。
先週は、寒すぎて、5分咲きでストップした後、週末からこの土日にかけて一気に暖かくなったせいでしょうか。
縮んでしまっていたサクラの蕾がいっきに開きました。
嵐山の桜は、中景から遠景に眺める、「山笑う」風景がすばらしいのです。
原生林で埋め尽くされた山肌が、春になって若葉が芽吹き、淡く明るい黄緑色になり、その合間にサクラの薄ピンクがまだらに混じる。
これがなんとも素敵なのです!
この嵐山がなぜ、多くの人に好まれる美しいとされる風景なのか?
実はこれには景観学的な裏付けがあります。
「視線入射角」つまり人の目線の見上げる、または見下げる角度の事です。
これが見る対象と目線のとの関係を裏付けており、この角度が大きい程見やすい、目につきやすくなります。
嵐山(岩田山)は、約35度の斜面がその視覚の先に壁のようにそびえ立ち、目の前、視野いっぱいに占めて立ち上がる風景が、美しく流れる「大堰川」を挟んで望むことができるからです。
しかも、その嵐山(岩田山)の斜面に亀山上皇が吉野山の桜を植樹し、また、足利尊氏が吉野から白桜を、竜田から紅楓を移し替えたと言われており、
この景観学的な分析が当時あったかどうかは定かではありませんが、亀山上皇、そして足利尊氏の風景に対するセンス、着眼点、発想力は、見事であったと言えましょう。
(樋口忠彦「景観の構造」より)
と、蘊蓄をたれるのはこの辺でおしまいにして。
見事な桜をどぞ!
そして、おなじみ、広沢の池にも足を運びました。
対岸の、茅葺き屋根の庵のあるお庭では、毎年恒例の野点が
と、ところがですね・・・・。
嵐山で食べようと楽しみにしていた
「桜ソフト」
今回は食することが出来ず仕舞いでした。(;´д`)トホホ
とにかくスゴい観光客で、しかも、初夏を思わす様な、汗ばむくらいの暑さ。
当然、どのお店も満員御礼。
ソフトクリーム屋さんの前は自ずと知れた長蛇の列。
時間の余裕があまりなかった私は、桜ソフトを流れ作業で受け取る人達の顔を羨ましそうに眺めながら、
今回は諦めてまた来る事にしました。
それにしても、
今年の「桜ソフト」は、去年に比べバージョンアップ!
なんと、「「抹茶ソフト」と「桜ソフト」のミックス」ってのがあるんです!
(; ̄_ ̄)ぅ !
食べたかったぜ!
緑とピンクの怪しいハーモニー。
そそられます・・・・。
今度は絶対、たべるんだっっ!(行けるんかいな~)
さて、もう一つのサクラの名所ですが。
たしか、「みずほ節」でもコメントの中に書いたかな?
数日前のここにも書いた覚えがありますが(コメントの中で)
嵐電、◯◯野白梅町~◯◯ノ辻間での間に、一寸した桜のトンネルがるのですが。
桜のトンネルの中を嵐電が走りぬける
今年は、桜が咲く少し前から、経過を追ってアップしたかと思います。
今は、満開で、このように桜並木の間を嵐電が走り抜けます。
そして、
さらに夜にはライトアップがあります。
そこを通る時は、この時期だけ、室内灯と消灯した上、徐行運転、という粋な計らいがあります。
幻想的な風景に皆、うっとり~。
こうして見ると桜って色っぽい!
だから魅せられてしまうのでしょうか?
そう言えば、
日本では、年度が替わるのは、「春」ですね。
つまり、学年も変り、新しい学校、新しい会社、新しい生活が始まるとき。
桜が咲き誇り、散りゆくこの時期に、こんな風に「新しい何かを始めるための節目」があることに何だか感激してしまうのは私だけでしょうか?
なぜか、桜の華やかさとそして桜吹雪が「新たな門出」をお祝いしてくれている様な、そんな気分になるのです。
そして・・・
今年、私の身の回りでは、いつになく多くの人が、自分の中でひと区切りをつけ、「新たな門出」を迎えています。
娘達の友達とその家族。
離婚して新天地で新しい生活を始めた親友。
自分の仕事にひと区切りをつけた知人。
そして・・・
長年、身をおいた事務所を辞め、新たな出発をした、高杉瑞穂くん。
「行春や鳥啼魚の目は泪」
別れが辛い春ですが、そこには新しい出発があります。
私は何も変る事なく、不器用にそれでも一生懸命に突っ走っていますが、
思い切って新しい環境へ飛び出していった彼らの「新しい門出」を祝し、
行く先々に幸あらん事を祈ります。