ちょっと古い大河のお話ですが~。
2000年に放映されたNHK大河ドラマ、「葵 徳川三代」を最近観ました。
言わずと知れた、瑞穂くんTVデビューの作品です。
「駿河大納言忠長公は、容姿端麗、母お江与方の伯父、織田信長に似ていた。」
などとも言われているそうな。
容姿においては、うん.ぴったりでございますよ。
瑞穂くんが演じる忠長公のおでましは、後半から。
丁度、三代将軍家光公と揃って元服を迎えたところからです。
まあ何と初々しい、
長直垂(ながひたたれ)の礼装姿!
可愛らしい、といった方がよろしいかしら?
で、演技の方はというと、ちょっと緊張気味のぎこちなさは残るものの、
お育ちの良い、武士らしくご立派でございました。
この人は、全く。
何気なく品を漂わせる方ですね。
居るんですよね、何をやらしても「品」が香る方って。
逆に、「役者」としては「いやらしさ、下世話さ」を表現したい時には邪魔になるかもしれませんが。
「美しい罠」の槐なんて、もっと品性下劣気味でも良かった様にも思います。
槐がやっていることは、とんでもないことだったんですからね。
まあとにかく、忠長公、回を重ねるにつれ、演技はだんだん良くなって来るのが分かりました。
この時代の(2000年放送)NHK大河は、未だ台詞がかなり難しい部分がある様ですね。
時代考証を明確にしているのと、時代の雰囲気を害さないようにか、言いにくそうな台詞が飛び交っておりました。
意味が分からない程の文語体にはなってませんが、役者にとっては悩みの種だったでしょうね。
「ござそうらわずや。」(「~ではないのでしょうか?」)なんて言うのが、ひっきりなしに。
現在の造語「~してなくなくない?」に匹敵する程、ややこしい。(笑)
これは、脚本をかかれた、ジェームス三木さんの方針かもしれません。
しかしこの台詞廻し、個人的には大好きです。
なんか、「時代劇」って感じで、凛として美しく。
最近の大河は、視聴者の対象年齢を下げているのか何だか分かりませんが、
かなり「口語体」になってしまっていて、難しい言葉の表現(イヤ難しいのではなく、古い言葉の表現)はあまり聞かなくなりました。
民放にいたっては、呆れる程に現代語訳していますね。
これでは、興醒め・・・・。
特に「日本史サスペンス」。聞いちゃおれません。
役者の姿勢、所作のひとつひとつにもNHK大河ではかなり気を配られていますね。
撮影、大変だったと思います。
しかしこうゆう苦労があってこそ、臨場感が増す訳ですね。
所作や言葉の美しさにおいては、つくづく「礼」を重んじる日本の歴史の深さを実感するのでした。
そしてこの頃のオープニングも美しい日本の四季と代表する日本の風景。
音楽も結構好きです。
この大河、当時も大好きで欠かさず観ていたのを覚えています。
しかし残念ながら、当時「高杉瑞穂くん演じる忠長公」は見いだすことはありませんでした。
さて、話はそれましたが瑞穂くん演じる「忠長公」
お生まれはやんごとなき家柄、お血筋も非の打ち所なく、容姿端麗、文武両道に長けていらしたとか。
次期将軍には、嫡子の家光より、忠長の方がふさわしいのでは?という考えの家臣も居たとか居なかったとか。
しかし、もって生まれた才能と、親からの愛情、取り扱いの不遇さにおいて、兄弟互いに嫉妬しあい、憎みあう仲の確執は、最後まで埋まることなく、
お家おとりつぶしの上、高崎に流罪となった忠長は、兄、家光への最後の抵抗として、自害をしてしまいます。
その最後のシーン。
これがなかなかいいのですよ。瑞穂くん。
あの、嫉妬に歪んだ、というか、
愛に飢えた上に、枯れ果ててしまったあの表情が。
孤独に打ちのめされる、暗闇の中の忠長公。
殺気に満ち満ちており、それで居てとても哀れで悲しげな表情。
悲劇の忠長公役をなかなかすばらしく表現されていました。
良い死に様でございました。
私は、こういう演技がみたいのですよ。
いや、悲劇やシリアスもの、はたまた悪役というわけではなく、
彼の役に入り切っているその演技をみたいのです。
最近のブログは、まあ、ゆるゆるとのんきな話題につきない様ですね。
あれでは、ちょっとコメントする気にもならない程なのですが・・・。
今は、
遺憾ともしがたいフリーな身の上で、身辺色々と大変だとは思います。
でもまあ、事務所云々より、まずはお仕事でしょうか。
あっちこっちのオーディションを受けまくって、良い役をゲットしてほしい。
せっかくの才能を存分に活かす、役が来るといいですね、いや、ふんだくってでも獲ってほしいものです。
こう言っちゃなんですが「槐」以来、琴線に触れる様な印象深い役がないのが気になります。
今は、最近撮られた、大鶴義丹監督の「私の中の8mm」が気になるところですが。
予想するに、主人公の回想に出てくると言う、亡くなった元恋人?だったりして。
この役には大いに期待するところですが、公開が首都圏だけとなるとまたもや
地方の「貧乏ゆるファン」は、蚊帳の外。
お願いします。プロデューサー殿。
関西での興行をお頼申します。
ということで、今後の瑞穂くん。
良きお仕事の有らんことを。
2000年に放映されたNHK大河ドラマ、「葵 徳川三代」を最近観ました。
言わずと知れた、瑞穂くんTVデビューの作品です。
「駿河大納言忠長公は、容姿端麗、母お江与方の伯父、織田信長に似ていた。」
などとも言われているそうな。
容姿においては、うん.ぴったりでございますよ。
瑞穂くんが演じる忠長公のおでましは、後半から。
丁度、三代将軍家光公と揃って元服を迎えたところからです。
まあ何と初々しい、
長直垂(ながひたたれ)の礼装姿!
可愛らしい、といった方がよろしいかしら?
で、演技の方はというと、ちょっと緊張気味のぎこちなさは残るものの、
お育ちの良い、武士らしくご立派でございました。
この人は、全く。
何気なく品を漂わせる方ですね。
居るんですよね、何をやらしても「品」が香る方って。
逆に、「役者」としては「いやらしさ、下世話さ」を表現したい時には邪魔になるかもしれませんが。
「美しい罠」の槐なんて、もっと品性下劣気味でも良かった様にも思います。
槐がやっていることは、とんでもないことだったんですからね。
まあとにかく、忠長公、回を重ねるにつれ、演技はだんだん良くなって来るのが分かりました。
この時代の(2000年放送)NHK大河は、未だ台詞がかなり難しい部分がある様ですね。
時代考証を明確にしているのと、時代の雰囲気を害さないようにか、言いにくそうな台詞が飛び交っておりました。
意味が分からない程の文語体にはなってませんが、役者にとっては悩みの種だったでしょうね。
「ござそうらわずや。」(「~ではないのでしょうか?」)なんて言うのが、ひっきりなしに。
現在の造語「~してなくなくない?」に匹敵する程、ややこしい。(笑)
これは、脚本をかかれた、ジェームス三木さんの方針かもしれません。
しかしこの台詞廻し、個人的には大好きです。
なんか、「時代劇」って感じで、凛として美しく。
最近の大河は、視聴者の対象年齢を下げているのか何だか分かりませんが、
かなり「口語体」になってしまっていて、難しい言葉の表現(イヤ難しいのではなく、古い言葉の表現)はあまり聞かなくなりました。
民放にいたっては、呆れる程に現代語訳していますね。
これでは、興醒め・・・・。
特に「日本史サスペンス」。聞いちゃおれません。
役者の姿勢、所作のひとつひとつにもNHK大河ではかなり気を配られていますね。
撮影、大変だったと思います。
しかしこうゆう苦労があってこそ、臨場感が増す訳ですね。
所作や言葉の美しさにおいては、つくづく「礼」を重んじる日本の歴史の深さを実感するのでした。
そしてこの頃のオープニングも美しい日本の四季と代表する日本の風景。
音楽も結構好きです。
この大河、当時も大好きで欠かさず観ていたのを覚えています。
しかし残念ながら、当時「高杉瑞穂くん演じる忠長公」は見いだすことはありませんでした。
さて、話はそれましたが瑞穂くん演じる「忠長公」
お生まれはやんごとなき家柄、お血筋も非の打ち所なく、容姿端麗、文武両道に長けていらしたとか。
次期将軍には、嫡子の家光より、忠長の方がふさわしいのでは?という考えの家臣も居たとか居なかったとか。
しかし、もって生まれた才能と、親からの愛情、取り扱いの不遇さにおいて、兄弟互いに嫉妬しあい、憎みあう仲の確執は、最後まで埋まることなく、
お家おとりつぶしの上、高崎に流罪となった忠長は、兄、家光への最後の抵抗として、自害をしてしまいます。
その最後のシーン。
これがなかなかいいのですよ。瑞穂くん。
あの、嫉妬に歪んだ、というか、
愛に飢えた上に、枯れ果ててしまったあの表情が。
孤独に打ちのめされる、暗闇の中の忠長公。
殺気に満ち満ちており、それで居てとても哀れで悲しげな表情。
悲劇の忠長公役をなかなかすばらしく表現されていました。
良い死に様でございました。
私は、こういう演技がみたいのですよ。
いや、悲劇やシリアスもの、はたまた悪役というわけではなく、
彼の役に入り切っているその演技をみたいのです。
最近のブログは、まあ、ゆるゆるとのんきな話題につきない様ですね。
あれでは、ちょっとコメントする気にもならない程なのですが・・・。
今は、
遺憾ともしがたいフリーな身の上で、身辺色々と大変だとは思います。
でもまあ、事務所云々より、まずはお仕事でしょうか。
あっちこっちのオーディションを受けまくって、良い役をゲットしてほしい。
せっかくの才能を存分に活かす、役が来るといいですね、いや、ふんだくってでも獲ってほしいものです。
こう言っちゃなんですが「槐」以来、琴線に触れる様な印象深い役がないのが気になります。
今は、最近撮られた、大鶴義丹監督の「私の中の8mm」が気になるところですが。
予想するに、主人公の回想に出てくると言う、亡くなった元恋人?だったりして。
この役には大いに期待するところですが、公開が首都圏だけとなるとまたもや
地方の「貧乏ゆるファン」は、蚊帳の外。
お願いします。プロデューサー殿。
関西での興行をお頼申します。
ということで、今後の瑞穂くん。
良きお仕事の有らんことを。
って、男子の初々しさを愛でるようになったら、立派なおばちゃん槐?
さて、この忠長、屈折感がよく出ていましたね。
(アニメ「シグルイ」の背景が、この忠長公主催の“真剣による”
試合でしたっけね。)
最後はかなり画面も暗くて見づらいのですが、よかった。
あの時一度しか観ていないのに、ここは印象に残りました。
役に自らを投入しきっているとき、この方は実に映えます。
余裕があって、と言うときよりぎりぎりの方がいいのかな?
勿論設定自体にも因りますが、「槙」の時は余裕がお有りになった
ように仰っていましたね。
それが反映しているのかどうかは分りませんが、正直、あの作品では
惹き付けて放さないような物は感じられませんでした。
まだ事務所がと言うこともお有りでしょうが、本当にチャンスを掴んで
いいお仕事に出会って欲しいものです。
そして更に年を重ねていって、内面からも滲み出てくるような
深みのある役者さんになって戴きたい。
それが出来るはずと思ってます。
やはりいい作品の出来は、いいですね。
これがあるから、魅てしまう。(笑)
役に入っているときと、そうでないときのムラがあるのがとても残念なぐらい。
しかし、昨今ご出演の作品では、準主役だった「金色の翼」以外では、出来を判断することさえままならないものなので、困ります。
特に、この「忠長公」や「槐」などのように、スロースターターな彼を活かし、表現しきれるものでないと、判断のしようがないですね。
かといって単純に、出番が多く長けりゃいいってもんでもない。
シバさんも仰る様に「金色の翼」がいい例ですね。
役者の出来不出来は、作品そのものの出来に大きく関わって来るので、評価も難しいところです。
そういえば以前、「金色の翼」放映中にあげたブログの中でも話をしてましたね。
またこんな批判的なことを書くと、どこぞからお叱りを受けるやも知れませんが、そもそも、私が彼に注目し始めたのは、その役に入りきった演技力と彼が生まれながらにもった魅惑的な色気。
生まれながらに備わったものは、放っておいても活かされて行くはずだからいいとして、
演技力については、キャリアや経験で積み上げて行くものでしょ?
特に演技の訓練をなにも受けていない、独学的なものでこなしているとすれば、瑞穂くんは「天性の演技力」をお備えなのかもしれません。「忠長公」は、TVデビューの役とは思えない程、好演だったと思います。(特に最後の場面は)
しかしそれを見せるチャンス(良い役)を掴むのも才能の範疇と言えるでしょうか。
そう思うと鳴かず飛ばずの現在の状況は、残念でならないですね。
見ている私たちの役目としては、「頑張ってね」と陰ながらの応援をするしかないです。
がしかし、真剣に取り組まれた役に対しては、やはり真面目に真剣に、「良かったところ」「良くなかったところ」をちゃんと伝えて然るべきと思っています。
そんな外野の意見を生かすか殺すかについては、ご本人次第。
ですから出番の所だけを観たり、どんな役でもどんな番組でもなんでも「カッコイイ」の一言で終わってしまうのは、瑞穂くんに対してあまりにも失礼かと思っています。
ファンであるとどうしても、彼のすべてをかなりひいき目に観てしまいがちなのですが、特に真剣に取り組まれた作品については、冷静に客観的に観ることを心がけています。
今後は、善し悪しを判断出来る作品についてのみ、ちゃんと真面目に感想を書いて行こうと思います。
表現はどうあれ、一番最初から、私はこう言う気持ちで彼の仕事を観て来ました。
それを分かって頂きたいですね。
あ、えらく真面目腐りましたが、内容的にはレスで書くべきではなかったかもしれませんね(笑)