ぐぐぐーっと

ライブの感想か、人に読ませる気のない文章か

2016/05/04

2016-05-04 02:52:36 | 日記
この前Facebookを退会しました。誕生日にコメント寄せられたくないから。
普段見てもいないサイトに誕生日になるとコメントがつくなんて気持ち悪くてしょうがない。

季節は巡るけど人生は一直線だから誕生日ってイベントに違和感を持っていて。
感覚としては「自分のために何かをしてくれる人がいることに感謝する日」みたいなもので。
なので自分から、さも祝って欲しいかのように通知を届けてしまうFacebookが大嫌いだったんですよね。
とはいえ「誰かを祝う口実」としての誕生日は嫌いじゃないんですけど。


そんな心構えだから1年に対しての思い入れは薄いと思っていたんですけど、
もう会えないとわかっている人への1年という区切りは、誕生日へのそれよりずっとずっと重かった。


もっとも自分にとって最後の日になったのは4月28日で。
2016年のその日に「もう1年会ってないんだ」って思っても
「短かった」とか「長かった」っていうのは全くないんですよね。
やっぱり「わかんないなぁ」ってことになった。

1年2年会わない友達なんてザラじゃないですか。
なんなら3年とか5年会わなくたって、心の距離は全く変わらないような相手っているじゃないですか。
何がどうなったら「実感」なのか、よくわかんないですね。


そして5月3日が命日で。
人の誕生日とか覚えない自分なのに、何日も前から5月3日が頭から離れなかったのは、その時の実感があるからなんでしょうね。
ツイートを見た時の。授業受けずに家に戻ってきた時の。少しでも近付きたくて武蔵小金井に行った時の。それでもやっぱり訳がわからなかった時の。
もっともそれ自体は3日じゃなくて、その週の金曜日のことなんだけど。

誰かの生まれた日なんて、当人の親類とか、両親に近しい人しか実感ないでしょ?その時の出来事としては。
だから特別視しようがないんですよ。
親が子どもの誕生日を大切にする気持ちは何となく今わかったけど。


3日にはツイートしてる人も沢山いて。
こういう時の言葉や態度には、その人らしさが表れますね。
みこさんも、ショウさんも、ちゃみさんも、もちろんファンの方々も。
直接名前を出して追悼の気持ちを述べる人、名前を出さずに偲ぶ人、もちろんSNSで文字にしない人達の気持ちも含めて、沢山の人の心がミキヒコさんのことを想っていたんだなぁと思います。


1年前には予想していなかった展開があらゆるところで起こっている今だけど、それはみんなが前に進んでいったからこそ。
ふぇのたすは解散したけど、こんな風に世界が動いていっていることが本当に嬉しいです。
結局生きてる人は生きてるんだから全力を自分や誰かのために費やせってことですね。全力じゃなくても良いけど。費やさなくてもいいけど。


心残りが一生心残りとして残ってしまうかもしれない、ってことはちょっと寂しいです。
でももしかしたら、それも含めて思い出かもね。


ミキヒコさんと仲良くなれた人生で本当に良かった。ありがたす。
また武蔵小金井に行きますね。待っててください!

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