幸せな無職の日常

27歳にして4度目の無職。
現在腰のヘルニア療養中…
自称「歩く波乱」の私が、人生を振り返りながら自分を見つめ直すブログ

生贄になった長期出張

2020-10-28 00:24:15 | 幸せな無職の日常
上司との絆も深まり、大変ながらも社会人生活を送っていた私。
いろいろ黒いところはありましたが、この会社で頑張ろうと思う自分もいました。


入社2年目になり、あるプロジェクトで長期出張へ行くこととなりました。
2週間、工場でシステムの動作テストをしに行きます。

新幹線に乗って、はるばる遠くまで行くことに不安もありましたが、社会人として少し成長したような気もしました。


しかし、現実は厳しく(何度目かのセリフ)
実はこの長期出張、とんでもないものだったのです。


取引先の企業と合同で進めるため、プロジェクトリーダーは取引先の課長でした。

この時の出張を言葉で表すのはとても難しいです。

私が工場へ来た時、その課長と出向で来ていた私の先輩(女性)が出迎えてくれました。
その課長は下の名前で呼ぶスタイルらしく、私のこともすぐ「まいこ」と呼び、とてもフレンドリーでした。

少し経って慣れてきた頃、その課長が先輩に「おて」「おすわり」と言い、先輩が犬になりきっている姿を見てしまいます。

背筋に嫌な汗をかき、後で先輩に聞くと、「ここでは課長に気に入られないとやっていけない。気に入られるためなら、おてくらいする。」と言われます。

まさに絶対王政で、課長の言うことにみんな従い、みんな課長に気に入られるために何でもしていました。


来たばかりの私はまだお手柔らかにしてもらっていた方だと思います。
犬にもならなかったし、怒らせるようなこともしませんでした。

私も何か気の利いたことを言っては、課長を喜ばせるように努めました。
いつも笑顔で、週に何度もあった接待もこなしました。


後で知りましたが、課長は若い女性が好きらしく、私がこの出張に参加したのも、課長の強いオファーを断りきれなかったからだそうです。
来客用のお茶を運んだ日から、私は課長にロックオンされていたようです。


課長は自分で作ったツールにお気に入りの女子社員の名前を付けます。
新しくできたツールには、私の名前が付いていました。

「まいこをイメージしてここの角を少し丸くしてみたよ。」

嬉しそうに言う課長の心の奥を、私は読み取ることができませんでした。


この課長とうまく仕事をするには、何よりも気に入られなくてはなりません。嫌われては口をきいてもらうことすらできません。

仕事を進める上で必要なことも、私と2人きりになったときだけコソッと教えられます。
それは他のメンバーが喉から手が出るくらい欲しい情報だったりします。

いつの間にか私はキーパーソンとなり、スパイのように情報を聞き出す役割も担うようになります。


出張中は夜中だろうと休日だろうと関係なしに働きました。
2週間のはずだった出張は、気付けば1ヶ月半にもなっていました。
毎日ホテル住まいで、タクシーのない時間は真冬の夜中でも歩いてホテルまで帰っていました。

すべて課長の鶴の一声です。
後半は2週間以上休みなく働きました。


そろそろ出張も終盤に差し掛かった頃、課長からこんな誘いを受けます。

「うちで一緒に働かないか。」

出向という形で数年ほどここで働けば、課長直々に面倒を見てもらえるし、スキルアップもできると。

この言葉だけを見れば条件の良い話ですが、私も犬になる日が来るのかと思えば恐ろしいですし、何より引越したくありませんでした。

もちろんこの話は、上司をはじめ他のメンバーも寝耳に水で、みんな開いた口が塞がらない事態でした。

キーパーソンの私が課長のそばにいれば、会社にとってもかなり都合が良くなります。
仕事もしやすくなるし、情報も聞き出せるし、何より課長の機嫌が良くなります。

みんなの本音は私に出向に行ってほしいの一択でした。

つまり、私は会社から生贄として課長の前に差し出されたのです。




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