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だれかと一緒に笑いたいなって思いました

3・11  あの日から一年が過ぎました   
今からでもわたしにできることは・・ 

一村一品マーケット

2013年03月13日 | 日記

先日香港の帰り、成田空港で買い物しました。  空港ビルに入っている 『一村一品マーケット』 です。 知り合いの子が関空の方のお店で働いているので、どんなところか興味ありました。 こじんまりしたお店の中は、たくさんのかわいい手作り品でいっぱい♪  お値段もとてもお手頃価格。 楽しいお店でした。

この絵がすごく気にいっちゃって買ってきました。 ケニアで作られた小皿です。 石を削りながら絵を描いています。

        

 こちらは、、、、 

                 

木製ペンダント。 キリンかなぁ 馬かなぁ なんか動物。  こんな風に木をくりぬいて作ったみたい。 

            

黒い服につけると凄く生えます。  500円でした。

                

 

 普通の雑貨屋さんやアクセサリー屋さんと違うところは・・・

〔 開発途上国「一村一品」運動は、アジア、アフリカ等の開発途上国の民族性の豊かな織物、手工芸品、玩具などの魅力的な商品を日本の皆様に広く知ってもらい、ひいては開発途上国の商品の輸出向上を支援するという取り組みです。 〕

      一村一品マーケット

                             


♪がんばれ宮城県 負けるな宮城県 宮城県バンザイ はい~はい!

2013年03月12日 | 日記

3・11を前に東北出身の歌手のみなさんが勢ぞろいした歌番組に、懐かしい人が出ていました。 

吉川団十郎さんです。    

第2章あったんですね。

1976年に発売され、当時10万枚の全国ヒットになった 『ああ宮城県』 。  久しぶりに聞きました。

なんかぐっときて、うるっときて、、 こんなに心に沁みてくるなんて当時は想像もつかなかった。

 

吉川団十郎 ああ宮城県・第2章

                   

                            


キロク

2013年03月12日 | 日記

震災の年、職場が属する法人で震災経験を文書に残す取り組みが全職員規模で行われました。 A4一枚という制約の中で書き切ることは中々難しく、どう書いたらいいかと思い悩みながら提出しました。 いま一つすっきりしない内容なのですが、致し方なく、こんな感じのものでした。

 

あの日わたしは喘息の検査を受ける為、仕事を休み長町に居ました。

昼過ぎ病院を後にし、観たかった「ヒア アフター」を観にモールに向かいました。 まさか映画のシーンが現実のものになろうとは思いもせず。 

始まるまでの30分程モール内を散策、その時です、物凄い揺れ!

「もしかしたら、このビル諸共潰されるかもしれない」 「いや、たぶん大丈夫のはず」 などと根拠もない気持ちが入り混じりながら、商品が散乱し人々の悲鳴や泣き声の中、ひたすらおさまるのを待っていた時間の長かったこと。 

揺れが一旦治まった隙にエスカレーターを駆け下り外に出ると、そこはもう避難してきた人々でごった返し、信号が消えた道路は車も人も大混乱。

丁度三日前まで居た中国での命がけ横断(オーバーではなく)を思い出し、タイムスリップしたかのような錯覚さえ覚えながら、とにかくタクシーを拾って帰らないと・・と。

やっとのこと停まってくれたタクシーの運転手さんは女性の方でした。 ずっと二人で話しながら普段の五倍程の時間をかけやっと帰宅。

「海岸沿いに2~300人の遺体が」 「10mの津波が」 などと車中ラジオから報じられるニュースは、想像を絶する事態が今起きていることを暗示するに十分でした。 

三日ぶりに電気が付いた時は感動でしたが、それまで新聞の写真でしか見ていなかった沿岸部の様子を目の当たりにした時は愕然としました。 

中々復旧に時間がかかった水道とガス。 5時間半ひたすら並んでの給水。

お店を何件も周ったり長蛇の列に加わって日用品や食料を調達したりなど、震災後しばらく自宅待機状態だったので、毎日がそれに明け暮れたという感じでした。 

給水の列に並んでいた時、貧血で倒れてしまったお婆さんがいました。 傍にいた人が車で家まで送ってあげ、また別の人が代わりに水を貰って届けました。 

送って行った人の話では、家の中は地震で物が散乱したままの状態、その中に足腰が悪くて動けないおじいさんが一人でおばあちゃんを待っていたそうです。 

唯一あった食料は、りんご一個。 どうしようもなく水を貰いに並んだものの、飲まず食わずでの何時間もの立ちっ放しは、お年寄りには相当きつかったことでしょう。 

大被害の沿岸部とは比べようもない程の被災地でも、確実に命に関わる事態は迫っているんだと実感させられました。 車いすで並んでいる高齢の方もいたし。 

何かせずにはいられないけれど、何をしたらいいのだろう!? と、悶々とした日々を送っていた気がします。

さて、今回の震災で何を考えたか・・ 実際はこの紙面では書き尽くせない程、色々なことを考え感じてきました。 

そんな中で、今現在わたしがたどり着いたのは、「できることをしよう」 ということです。 できることをできるところから。  

わたしの実家は全壊でした。 両親は運良く無事でしたが夜だったら確実に助からなかったでしょう。 

3.11以降も畳みかけるように押し寄せる困難に 「あの時、家と一緒に潰されてしまえばよかった」 との母の呟き。 

やはり途轍もなく大変な災害。 

見えない先のことを無理に見ようとしないで(考えないで)、とにかく今日を生きることに一生懸命になる、取りあえず近い未来を生きてみる、これも大事だと思いました。 

それを繰り返しているうちに、そのうち事態も変わってくる気がするのです。

                                          2011年 12月末

 

                                     


本日ラストの書き込みです。

2013年03月10日 | 日記

明日の3・11前に旅行のことは終わらせておきたくて、怒涛の書き込みになりました。

 

今日のテレビはどこのチャンネルも震災関係の特番でいっぱいでしたね。 わたしもついつい朝から見てしまってました。 夕方近くからちょっと具合悪くなってきて、これはいかん気分転換だと、買い物がてらコーヒー飲んで来たり。

最近よく、おととしの今日は何してたかな・・ なんて、頭をよぎります、そんな方たくさんいないかな。

今日は頭が疲れているので、震災のことは特に書くことはしないで寝ることにします。

 

そうそう、今日の暴風で実家の建物の屋根が一部飛ばされてしまったと夕方連絡が入りました。 母屋でなかったことは幸いです。

電柱に引っ掛かって留まっている状態とのことで、ご近所に飛んで行かないか気が気ではありません。

電話を切た後、119に連絡したら何とかしてくれないかなと思いつき、折り返し実家に電話。 

すぐに父が掛けたらしく、早速来てくれ撤去してもらったみたいです。

「これで安心して寝れる。」 と報告きました。

震災で全壊してから家を新築し、丁度昨年の3・11に入居したので一年経つんだなぁと思っていた矢先の新たな災難! 

未来に何が待っているかなんて、ホントにわからないものだって今日もつくづく思います。

 

                                  


旅行に行っても

2013年03月08日 | 日記

わたしは被災地には住んでいるけれど、被災者だという意識はあまりないまま過ごしていました。

被災者と言われる程大変な被災はしてない気がしてたからかな。 

わたしなんて家にヒビ入ってちょっと瓦落ちたくらいだものと。

でも、違うんだと思いました、自分の意識では気づいていなくても、改めてやっぱりわたしは被災者だったんだと思わされたことがありました。

今月二日から3泊四日で香港とマカオに行ってきました。 

飛行機から窓越しに下を見ながら、「うわぁ、、あそこに津波来たらあの辺の人たちひとかたもないなぁ。」 とか、香港の細くて高いビルがにょきにょき立ち並ぶのをみれば(明らかに耐震構造ではない) 「地震来たらみんな倒れそうだよ! こわっ!」   こんな思いがすぐ浮かんできます。 いつも。

    

夜更けまで煌々と電気付けっぱなしの街並みではキレイ!と思うより、「電気もったいな!」 だし。 

   

普段からお店に入れば天井確認したり、自然と出口気にしたり、今でも枕元には必ず懐中電灯おいてるし、どれもこれも自然にそうしてしまいます。

テレビで大地震が予想されている地域に住んでいる人がインタビューで備えについて聞かれ「しなくちゃと思ってるんですけどねぇ、まだ何も」なんて笑っているのみると、笑ってる場合じゃないんだよ!とその呑気さにいらっとくることがあったり。 でもわたしだってあの経験をしなかったら、同じことを笑って言えてたとは思います。 

もひとつ思い出した。

2012年のお正月に親戚で集まった時、東電OBの娘さんがお父さんの高級日本酒をがぶ飲みしたとかゴルフの特別会員のなんかを譲られてゴルフして来たとか聞きながら、凄く複雑な気持ちがしたのを思い出します。 福島はあんなに大変なのに東電関係者は随分いい思いしてるねと、ほんとはその話していた親戚には関係ないことで、どうこう言っても仕方ないのは分っていますが、はっきり言って正直嫌な気持ちでした。 感情です。

そしてあの時つくづく思いました、わたしは東北の人間なんだって。  被災地側の人間だって。

                              


上映中のある映画

2013年03月07日 | 日記

『遺体 明日への十日間』 を観てきました。

一昨年原作を読んでいたわたしは映画化されたという情報を知った時、思わず「何で・・ どんな映像にする気なんだろ・・」と勝手な困惑と、そんなことしないでよ!というちょっと説明しがたい怒りのようなものが心の中に渦巻きました。  

完成したら果たしてわたしは観るのかな・・観ないのかな・・  やっぱりなんか恐いし、当時が超スピードで襲いかかってもくるようだし・・  わからない・・ と思ってました。 

  

でもやっぱり気になるんです、この作品。 

本は読んでよかったと思いました。 読む前はちゃんと読まないといけない本だと思って読みました。 タイトルがあまりにリアルで、本を手に取るのも1ページ捲るのもちょっと勇気がいったのを覚えています。

映画のタイトルも『遺体』・・  先日『東京家族』観に行った時予告編が流れていて、ほんの1、2分の映像でもう涙の洪水、嗚咽さえ漏れそうなほどだったので、どうしようかなって。  でもやっぱり気になる。  誰か誘って観に行くとか、他人に観てと勧めるとか、そんなこと以前の自分が行くか行かないかの心を決めるのに時間がかかった作品はこれが初めてかもしれません。

観てきた率直な感想、、 

観て良かったです。 今ならみなさんに、どうぞ観てきてくださいと勧められます。 タイトルがタイトルだけに、どんな映像が流されるのだろうとか、辛すぎて苦しくなりすぎてたぶん耐えられないだろうとか、見る前から色々な想像が広がってくるかもしれませんね。 劇中数回余震のシーンがあったり遺体安置所のシーンがありますので、やぱり無理という方は無理しない方がいいと思います、ご自分の心と相談しながらですね。

わたしが思ったのは、人間の尊厳というもの。 亡くなった方たちの尊厳を守ることに真摯にそして誠実に向かった人たちが描かれていた気がしました。 人間の尊厳って!? 今生きているわたしたちにも言えること。  そのことが最初から最後まで貫かれていたように思います。 

そしてまた、『津波』という人間がどうすることもできなかった巨大なマンモスに、懸命にそして必死に毎日を闘った人々の「勇敢な闘いの記録」だと思ました。

今なら、、、   みなさんにお勧めできます。

                                     


冷凍庫のような一日

2013年02月24日 | 日記

まるで冷凍庫にでもいるような一日。 

今日は一歩も外に出ず家の中ばかりで過ごしたので、何歩歩いたかなって感じ。 

 

先日完成したひざ掛けが役にたってます。

      

  

二重にしたらあったかさ2倍!かもと裏も付けてみました。 裏はちょっと適当。 おんなじこと続けてると途中飽きるので、そんな時は模様入れてみたり・・ それも気分でいろんな模様・・    まあいいかと。 細いけどモヘアなのであったかいです。

   

                           


漫々然と今日が昨日になっちゃいそうだ

2013年02月20日 | 日記

あと約一週間ほどで三月、日一日が過ぎていくのってホント早いなって。 

何かしても一日、何もしなくても一日。  こうして歴史はつくられる・・・ 最近のわたしの歴史は、ちょっとスカスカの歴史です。

文章考えるのもおっくうでブログも休業状態でした。 めんどくさがり屋です。

でもめんどくさがり屋だけど、何もしないでいるのも逆に落ち着かなので、好きなことだけしてました。

余り毛糸で作ってみたクッションカバー。 少しづつ残っていた毛糸までつなぎにつないで表はこんな感じ。 結構きれいにできたました♪

   

 

こっちは薄手のクッション?  二枚重ねて閉じてあるだけですが、あったかいです。

        

 

あと、、、 モチーフ繋ぎのひざ掛け。 カメラ充電切れで写真は撮れませんでした。

 

                           


結果が手元に届く前に電話が

2013年01月17日 | 日記

二十日前に受けた検診結果が郵送で届く前に、電話で来てしまいました。  

毎年受けていても今までこんなことなかったので、なんかあったなと思ったら要精密検査。

連絡もらった時点で、異常があるとすれば、たぶんこれだろうと予想できました。

いつも、「ん?・・・」 って感じで手が止まり、時間たっぷりめに検査されてたので。

やっぱり、乳がん検査が引っ掛かったみたいです。 いつもマンモグラフィーと超音波と両方で検査を受けてました。 今回はマンモになにか異常が見受けられたらしく。

再検査の病院はどこでもよくはなく、二カ所のうちどちらかでと言われたので、大学病院をお願いし予約調整してもらってるところです。

父方に癌が多く祖父母、伯母、いとこ二人、、、。  大腸がん、子宮がん、胃がん、乳がん、咽喉がん、こうしてみるとやっぱり多い!?

まあ、何でもありませんでした! ってこともある訳だから、まずは精検受けてきてからのこと。 今月末に入りそうです。

             

 

                                   


またやってみようかなと

2013年01月17日 | 日記

また中国語の勉強をやってみようかなと思い、先月ある教室を見学させてもらいました。

使っていたテキストが以前中国で学んだものと同じで、懐かしかったです。 これは中国語会話のテキストとして向こうでは結構よく使われてました。 上下とあります。 

     

 

見学の日はここの勉強でした、『「あなたはどこに住んでるの?』  みなさん日本版テキストを使っているので説明も日本語でしたが、中国版だとこんな感じで英語と中国語の説明になります。

    

 こちらのクラスは凄く学校風で気に入りました。 

和気藹々ムードで楽しくおしゃべりなど交えながらのサロン的な教室もいいと思うのですが、今のわたしはどちらかとえば 授業してます!という方がいいなと思っています。  行ってみようかな。