石ノ森萬画館が今日リニューアルオープンしましたね。 今朝テレビのニュースで、並んで入館を待つ人たちや仮面ライダー1号の藤岡弘さんがあいさつしているところが映っているのみました。
みなさん再開を心待ちにしていたようでよかったですね。 来週はガチャピンとムックが来てくれるみたいですよ。
さて、実はわたし石ノ森萬画館に対してずっと前から疑問を持ってることありまして。 何故に石巻!?
登米市出身の石ノ森章太郎さんなのに、どうして石巻なんだろう・・? どこだっていいさぁ、と言われるとちょっと凹みますが。
なにせわたし登米市出身なもので、いつしか深い疑問となって、いつの機会にか謎を解きたいと思うようになり。。
調べました! リーニューアルオープンを記念して
『石巻』 のサイトに明快な答えが載っていたので納得しながらご紹介します。 興味関心ない人にも。
石ノ森章太郎記念館は出身地の登米市にあるが、石ノ森萬画館が石巻にある理由はよく分からない。 (そうそう、そこ知りたかったの わたしも)
- 石ノ森章太郎氏が生前構想したことによる。 石巻市中瀬の地形がマンハッタンに似ていると感じたらしく、それ(マンハッタン)をもじって「マンガッタンを作ろう!」ということになった。 石ノ森氏と石巻の関係は石ノ森氏が高校生時代に登米市の実家から石巻の映画館によく通った、という縁があり、それを前の市長がかぎつけてなんとか町おこしに結び付けられないかということで石ノ森氏と交渉し実現した、というめんどくさい経緯がある。
- 石巻の名誉のために言えば、石巻は遠洋基地だったので映画とかの娯楽施設は当時にしてはとても充実していた。
なるほど、両者の関係性は分った!
で、次なる疑問・・・ 石巻までどうやって行ったの!? 遠いと思うけど。
そしたらこんな証言見つけました。
「石ノ森氏は、佐沼高校時代、北上川沿いに 自転車を走らせ、石巻に映画を観に通っていたのだという。」 (鎌田さゆりさんブログより)
すごく映画好きだったんですね。 今日でわたしの疑問もすっかり解けました。
これからまた沢山のみなさんに来ていただいて、石巻を盛り上げてもらえるといいですね。
・・・・ 石ノ森さんは自転車で石巻、、、、 わたしは原付で志津川、、、
高校の試験が終わった日、突然海見たくなって家とは真逆の志津川目指し、原付で佐沼から飛ばしていったことありました。 出発してしばらくはうきうき気分♪ しかしそれも長く続かず、にわか雨にたたられるは、エンジン焼けた匂いしてくるは・・・
でも来ちゃった限りは戻らないといけなくて、半分後悔しながら、バイクもつかな・・ と心配しながら走ってたの思い出しました。
シーサイドパレスまでは行ったんです。 佐沼に入り高校見えてきたら、ほっ。 としたっけ。
あの日酷使してしまったわたしのバイクはこれ、シルバーのYAMAHA ミニトレ GT50でした。
可愛くてカッコよくて、あの当時は気に入ってました。 何十年も前のこと。
この前、飯坂温泉の酒屋さんで見つけ、1本買ってきました。 どぶろくです。
昨年の「TOKYOどぶろくフェスタで大賞」に輝いた 『どぶろく ひとめぼれ(火入れ)』。
飲んだ初日、、、 うまい! 二日後の今日、この前となんかちょっと味変わんない!? 生きてる。
調子に乗のってぐいぐい行くと痛い目にあいそう。
マグカップ二杯くらいでやめといた方が明日の為って、初日で分りました。 (なんでもマグカップ)
今は亡き祖父に聞いたことあります。
冠婚葬祭を自分の家で行っていた昔々のこと、、 大勢の客人を持て成すためにお酒が必要、でも大量に買うお金もない。
自然の成り行き的に自分で作ることになって・・。
勿論違法の密造なわけだから秘密裏に進められたそう、でも、公然の「秘密裏」だったのかもね。
こんな話を聞いた子どものころ、「そんなどきどきのどぶろくってもの、飲んでみたいなぁ。」と思いました。 ヘタするとあこがれ?
数年前からどぶろく特区で製造販売できるようになったので、今は欲しい時に手に入るようになりましたね。
でも、要注意! 悪酔いしそうな予感 大!
程ほどに楽しまないと、、、 恐い です。
中国語教室の授業が始まる前、早めに来た人たちで雑談してました。 メンバーはみなさん60~70代の男性方。
「ノミってまだいる?」 「中国じゃいるんじゃないの。」
「少しおっきい南京虫ってのもいるよね。」
「ノミに刺されると刺されたところにふたつ穴あくんだよ。 これがまた痒いんだ。」
「服の縫い目のとこなんかにいっぱいいたね~。 シラミも。」
ノミ・シラミ談義花盛りでした。
わたしも中国で一回だけ刺された経験あります。 凄く痒いし、大きい痕がしばらく消えませんでした。 日本であんな発疹でたことないです。 赤いのがぼつっ ぼつっ
と。
皮膚科に行って、「中国から帰ってきたばかりなんですけど、こんなもの出ちゃって・・・」 と言ったら、瞬間 シャー! と車のついた椅子で後ずさりされました。 イヤイヤイヤ・・ 逃げないでくださいよ~
。 あんな医者、初めてでしたね、患者から身を引くプロ。 5年前の話です。
あの時は上海の近くで、明や清時代の建物が数多く残されている水郷の村に行った時のこと。。
泊まったのがこの水辺の民宿?、いや、ゲストハウス?(黄色の○の部屋)
この歴史感じるベットに寝て刺されたと自分では思ってます。 カーバーも綺麗だし掃除もしてるように見えたけど、、 ノミ? 得体の知れない虫? そこまでは考え及びませんでした。 今度こんなところに行く時は薄い寝袋持っていこうかな。 ・・でも、虫、、寝袋に付けて連れ帰って来るのは嫌だし。
日帰りかな。
おじさんたちのノミ・シラミの話から、懐かしい話思い出しました。
途中、飯坂温泉に寄りました。 温泉街に馴染んでいる独特の飯坂温泉駅。
『波来湯』 波来と書いて、『はこ』と読むそうです。 ここは飯坂温泉に九つある共同浴場の一つ、入浴料は大人300円でした。 泉質はアルカリ性単純温泉、源泉かけ流しの熱い湯と調整された温い湯の二つの湯船があります。 わたしは熱いの苦手なんです。 なので 「温い湯」 の方に入ろうと足入れたら温くない!! しばらく立ちんぼのまま我慢して恐る恐る沈んでみたものの
5分入れたかな・・ 42度でした、熱い方は44度。 44度に入れるなんて感覚おかしくないですかと思っちゃいますが。 ふう~っと癒されるどころか、わたしにしたら我慢大会です。 でもそれがまたいいって人もいるんでしょうね。
ちょっとひっそりぎみ。 ここも原発事故の影響大きいのでは。
観光客気分で 『旧堀切邸』 に。 江戸時代から続いた豪農・豪商の旧家だそうで、とても大きくて立派なお屋敷でした。
至る所にこんな棒切れがさされていて・・。 雨どいのそばや木の根元などが多かったです。 何かというと、放射線量を定点で測量するための場所の印でした。
こちら、『鯖湖湯』 元禄二年奥の細道の途中、飯坂に立ち寄った松尾芭蕉が湯につかったと伝えられる名湯だそうです。 日本最古の木造建築共同浴場で長い間飯坂温泉のシンボルとして親しまれてきたとのこと。 今回は入りませんでした。
屋根の丸みがキュートな感じ。
散策中あまり人に会うことはありませんでしたが、静かで散歩しても丁度いいくらいの街並みにほっとするのもがありました。
二泊くらいしてのんびり過ごしてみたい気にさせられた飯坂温泉でした。
久しぶりに会うKさんは元気そうで何よりでした。 仙台より暖かいんでしょうね、陽だまりに福寿草がきれいに咲いていました。
耕さず草とらずの農方みたいで雑草と野菜が共存しているKさんの畑。 結球しない青い白菜があちこちに生えてました。 野生のいろんな動物がこれを食べに山からおりてくるそう。 サルなんて集団で食べに来たらしいです。 元々長く住むつもりもないからか、本格的に作ることはしてなかったようです。
引っ越してきた当初の半分以下になっていたにわとり。 年を取り卵はもう産まなくなったそう、前にみた時よりふっくら肥えた気がします。 この20羽くらいのにわとり達は長野に連れていかないと言っていました。 どうするのかな・・
この丸い土の玉はなんだろ!?
このブルーシートの中身、除染した時にでた土でした。 一年半くらい放置しているうちにシートは飛ばされ、土を入れていた袋は破れ、、 結局また土が顔を出してしまったという訳。 もちろんこの土付近の放射線量は他のところより高い! こうやって除染したはいいけれど確実にどこかに処分することはできずじまいのままが現状。 Kさんは一人暮らしだから自分が近寄らないようにすればまだいいけれど、こんな状況で子どもなどいたら大変なことになりますよね。
飯館村から放射線量を計る線量計が町民に貸与されていました。 家の中でも我家より二倍くらいだったかな、高かったし、外だと4~5倍高くなるみたいです。
来月の引っ越し準備が大変そうでした。 近場に手伝ってもらえそうな人もいないようだったし、なにか手伝う事あったら連絡くれと告げておいとましました。 実は今年に限って年賀状がこなくて気になっていたのですが、にわとりと同じく少しふっくらした顔つき で安心しました。 行ってよかった。
夫の大学時代の友人でわたしも昔から知っているKさんという人がいます。 福島の飯館村で自給自足の農業をしながら暮らしていました。 しかしあの原発事故! あの日から暮らしも人生もめちゃくちゃにされ長年大事に築いてきたものみな、置いて来たり捨てざるおえなかったりでした。
飯館村から非難したkさんは、できるだけ離れようと山形県に近い福島市に引っ越したのが2011年の夏前だったでしょうか。
「こちらは福島市の北西部、山形県に近いところで、原発からは70kmほど離れていますが、放射線量は低くはなく、1マイクロシーベルト/毎時を少し超えるぐらいです。 ここまで放射性物質が飛んできたかと思うと、100kmぐらいは離れていないと安心はできないようです。 畑もありますが、今のところ全く手がつけられていません。」 以前夫にこんなメールが来ました。
鹿や猿、熊もでるという、ザ!自然!というところ。
飯館村から連れてきたにわとりたち。 鶏小屋の放射線量を計測しているところです。 その後8月(2011年)に一泊二日で友人や支援の方で除染作業をしました。
この卵は飯館村時代、Kさんの大事な収入源でした。 原発事故以降、引っ越してきてからはお得意さんだけに送っていたようです。
鶏小屋を除染した際にとった土の山(ブルーシートの中)。 除染後1か月経った頃計測したら、ここだけ鶏小屋の約4倍の放射能量が出てました。 汚染物質の置き場はやはり大きな問題。
これはみんなで除染作業をした畑。 一か月後くらいに行ってみたら種を巻いた野菜が美味しそうに大きくなっていました、鶏のエサに。
少しでもKさんのお手伝いができないかと昔の友人、知人に支援金を呼びかけたら一か月半で50万円以上集まり、届けに行った日の写真です。
2011年8月に本人から聞いた話(その時点の)では、今の所に移転するにあたり東京電力から75万円、国県(比率は分かりません合計です)から30万円、そして飯館村から3万円出たそう。 108万円が当面の資金ということ。 支援の品はなによりお金がいいと、あの時 判断しました。
数日前、ご無沙汰だったKさんに久しぶりに夫が電話したら、もうじき引っ越すんだと。 故郷を完全に去り、長野に移住する決心をしたそうです。 その新天地で新しい暮らしを組み立てながら、また人生を歩んでいくということです。 一から
長野に行けば、わたしたちも中々行けなくなるので、引っ越す前に会いに行ってこようと思います。 明日です。 長野で着てくださいね♪ と、パーカーとポロシャツをおみやげにしました。
脱原発! 福島の人たちの現状に見合う保障と支援を! NO more Fukushima!
友だちが結婚したり出産したりでお祝いごとが続き、お祝い貧乏になっている娘。
Aちゃんが結婚したと思ったら、Bちゃん赤ちゃん産まれ(勿論Bちゃんには結婚祝い済んでいて)、
前に出産祝いしたCちゃんは二人目赤ちゃんも生まれちゃって(勿論Cちゃんにも結婚祝いしてまして)・・ このパターンが3人いて。。 と、エンドレスともいえる程の祝賀ラッシュ! OH
今週またひとつ結婚式お呼ばれしてるし、昨日は5月に結婚式あげる友だちから招待状きてました。
着てくものないから買わないと、、 靴もだし、、 と・・ 結局、ご祝儀用意したら服買うお金まで余裕ないみたいでお金貸して ってことになり。 わたしに。
最近仕事が忙しい娘なのでドレスの下見に行く時間がありません。 代わりにわたしが見てきてと頼まれ、この前用事のついでに何件かお店見てきました。
わたしのお勧めはこんなところ。 娘に見せるため写真撮ってきました。
お店の人もこれ 「一押しです!」 って。 着るとバービーみたいになりまよ♪
よほどお勧め。。
こんなのも。 黒い方がお勧め。 上のは可愛いけど、こちらは上品な感じがしました。
さ~て、どれになるか、、、 明るくなったら買いに行く予定。 選ぶの手伝ってというのでわたしも駆り出されます。