「十話、キャラとか作画なんか結構ひどかったよね~」
「全然似てなかったり動きヘンだったり」
「DVDでは直ってたんだけどね。やっぱこれじゃまずいってスタッフ、思ったんじゃないの?」
I DOLLのイベントのために、嫁のつきそいで開場前の列に並んでいた時、
その列の後ろの女性たちがそんな会話をしていました。
最初、なんかのよく知らないアニメのはなしだと思っていましたが、
会話の中に「アベ」だの「ミハシ」だのと聞こえて、そこでようやく「おお振り」の話だとわかりました。
十話の荒れっぷりという指摘は、耳が痛い。返す言葉がありません。
でも、A-1の他作品のラインをすべて止めてまでして(舛成孝二さん、ありがとう!)、
納品ギリギリまで直してたんだよ。キャラ中心で、動きはほぼ素通しだったけど。
その努力は認めて欲しいなあ。
「全然似てなかったり動きヘンだったり」
「DVDでは直ってたんだけどね。やっぱこれじゃまずいってスタッフ、思ったんじゃないの?」
I DOLLのイベントのために、嫁のつきそいで開場前の列に並んでいた時、
その列の後ろの女性たちがそんな会話をしていました。
最初、なんかのよく知らないアニメのはなしだと思っていましたが、
会話の中に「アベ」だの「ミハシ」だのと聞こえて、そこでようやく「おお振り」の話だとわかりました。
十話の荒れっぷりという指摘は、耳が痛い。返す言葉がありません。
でも、A-1の他作品のラインをすべて止めてまでして(舛成孝二さん、ありがとう!)、
納品ギリギリまで直してたんだよ。キャラ中心で、動きはほぼ素通しだったけど。
その努力は認めて欲しいなあ。
「十話の演出の人が原因?」
と考えてしまう人が出てしまうのではないでしょうか。補足が必要だと思います(あげ足を取る様な事を言って申し訳ありません)
でもどんな作品でもそうですが「作った方の努力を認めない人なんていない」と思うんです。
水島努の「努」は努力の「努」ですし!!