続・シーガイア100倍!!

私の少年時代(5)九州鉄道編

性懲りも無く九州でも乗せてもらっていました。14歳。なんと!博多駅です。



当時の関門トンネルには、まだ健在でした。


重連で貨物列車が。。。


博多から小倉まわり日豊線経由の「にちりん」西鹿児島行きは未だディーゼルでした。


博多から八代、肥薩線、吉都線を経由して宮崎へ向かう「おおよど」号です。


短区間ですがケントも乗車しました。


佐世保行きの「みどり」号。


ED73も健在!


ED72も。


鹿児島本線の王者は「有明」でした。しかも583系だったりします。


急行「さんべ」20系が米子から到着!


もちろん乗車していましたよ!


切符です。


時々カラーも使用していました。



白黒が多いのは当時自分で現像していたからです。

コメント一覧

miyazaki_seagaia100
ガッキー賢さん。
こんにちは!!ご覧いただきありがとうございます。
421系、423系!60Hz(専用)懐かしいですね~
421系は関門トンネルの環境には耐えられなかったので短命だったのかな。。しかし415系は現役!
いつまで頑張れるか。。。。いずれは世代交代になるでしょうけれど。。

急行「出島」。いいですね~
私の中では「出島・弓張」がセットです。
今だったら選んででも急行に乗りますね😅
でも当時の特急は、やっぱり「特別」な列車だったんですよ。
少年にとっては憧れの存在だったんですね~

なんか今は特別な感じはしないですね~
ガッキー賢
こんにちは!
私にとって懐かしい列車の写真です。
私が小さい頃に福岡の母の実家へ良く行きましたが、その時に見かけた列車ばかりです。福岡へ行く時は普通電車の421系、423系、415系に乗っていました。小学生の時に一回だけ長崎の父親の実家へ行きましたが、当初、博多から諫早までキハ58系の急行出島に乗る予定でしたが、私が485系の特急かもめに乗りたいと駄々をこねて乗せてもらいました。
ケント
たぬさん。

もう1年早くないと「ながさき」には乗れない。。。
気が付いたのも凄いけど、おそらく相当様々な列車に乗られているようですね!

記憶が入り乱れるくらい(羨

さて、紀勢本線は「はやたま」号ですね。
「山陰」もそうですが、いずれも寝台車を連結していて「雑系客車」と呼ばれていたものでしたね。

扉なんか鍵も掛からないし走行中も開いてたりしてね。。。
それでも馬鹿なことするやつもいなくて、事故も無く走ってました。

私も「ながさき」を青春18きっぷで宿代わりに利用しました。

写真の中に、私が機関車に乗せてもらっているものが出てきますが、当時は機関士さんも
職人さん堅気で、お願いすると「よっしゃ~」見たいな感じで快く乗せてくれて、私が喜ぶと自分もうれしそうで。。。
そんな人が多かったです。
今では絶対ありえないですね。

旅先での人との出会いもとても貴重で大切なものです。
「鉄」も若い時は乗る事ばかりでしたが、年とともに、車窓や人との交わりが楽しくなってくるものですね。

それと私は音楽が欠かせないんです。
会話できる人がいないときはこれに限ります。

当時は、大きな「ラジカセ」を持ち込んでくる人が結構いました。
ラジカセと一緒に旅行するTVCMもあったりして。。。
私はそんな高価なものは持っていなかったので、漏れてくる音を楽しんだものです。
その影響なのか、いまでも音楽だけは欠かせません。

その時聴いた音楽は、後から聴くとそのときの風景や気持ちが蘇ってきますね。

いずれにせよ、たぬさんの仰るとおり、最後は 【旅は「人」】 できまりなんですよ。

それが無ければ楽しさも半減でしょう。
たぬ
↓下の
>私が初めて九州に行ったのは、85年で、

すみません、違ってました。
もう1年早くないと「ながさき」に乗れない、です。。

この程度の「鉄」なんです~
失礼しました。 (^^;)

たぬ
返信コメをありがとうございます。

周遊券には本当にお世話になりました。
あと、青春18きっぷです!

>普通列車の「ながさき」

懐かしい~♪

「大垣行き」から山陽本線を乗り継いでいくと ほんとに うまく「ながさき」に乗れたんですよね。

青春18のびのび切符が発売されたころは
まだ 「山陰」「からまつ」も残っていて(紀勢本線は「南紀」でしたっけ)
本当に 鉄道の旅が楽しかったころだったと思います。
私は東京が拠点なので、上越線や中央線の普通の夜行も便利でした。
(上越線や中央線は登山客が多いから 当時は泊まれる駅も一杯あって、駅で寝ることも私は多かったんですが。 余計なことを言えば、私は山とスキーをやっていたので、冬の水上駅はもう毎週末の常宿でした。 ^^;)

あっ、でもね、
鉄道の旅を思うとき、懐かしい車窓風景の向こうには
やっぱり そこで出会った人の顔が浮かびます。
あちこちで親切にしてもらったことはもちろん
乗り換えの列車で次々と一緒になって、結局乗換時間も一緒につぶした人とか
あちこち一緒に回った人とか、
東京に戻ってまた再会した人とか
今でも年賀状の交換してる人とかもいます。

やっぱり 旅は「人」なんでしょうかね?
ケント[[EE:AE4B5]]
たぬさん
おはようございます。
素晴らしいコメントありがとうございます。
懐かしい名前でてきましたね~[[EE:AE471]]
当時はワイド周遊券、ミニ周遊券などありましたね[[EE:AE49E]]
周遊地までは急行列車が利用できる…
そんなルールでした。
「八甲田」いいですね~
九州内夜行「かいもん」「にちなん」私も良く利用しました。
普通列車の「ながさき」と言うのもありましたね。
現在九州内はドリームにちりんが唯一の夜行列車[[EE:AEAF1]]になってしまいました。
少年時代私は関西からでしたから「阿蘇」「くにさき」「雲仙・西海」など急行列車にはお世話になりました。

「ディーゼル機関車が引っ張る客車列車」…
「山陰線」…
「旅と鉄道」…
これだけで充分『鉄』ぢゃないですか[[EE:AEB2F]]
たぬ
なんちゃって鉄道ファンの私が、ここにコメントするのもナンですが
懐かしい写真がいっぱいです。(のような気がします。)

私が初めて九州に行ったのは、85年で、周遊券片手に「かいもん」と「日南」を上りと下りがすれ違う駅で折り返しては宿にして、回りました。
私は機関車や客車には余り興味がなくて、「旅と鉄道」派だったから(チャレンジ2万キロにすっかり乗せられていました~ ^^;)
写真も全然撮らなかったし、「ディーゼル機関車が客車引っ張ってる山陰本線に乗りに行こうかな」とか、その程度だったんで、今となっては、一体どれに乗ったか、はっきり分からないのが残念なところです。

ブルトレとかって、高くて乗れないから、余計に興味なかったのかも?
最初に九州行ったときも、「大垣行き」から乗り継いで行きました。(北に行くなら「八甲田」で行けたんですが、ね。)

ブルトレで九州に行けたのは、ようやく91年で、「富士」に乗りました。まだ食堂車が残っていて、瀬戸内海の夜明けを見ながら朝御飯食べて、「あぁ、こんな幸せな旅があるのね!」ってかなり感動でした。
とにかく貧乏旅行が多かったので。

そのぶん、いろんなところで親切にしてもらいました。 ローカル線の駅で列車を待っていたら、「こっちおいで」って駅員室の奥に招かれて、こたつに入れてもらったり。

今は時間がなくて、九州行くときはもっぱら飛行機で往復しちゃって、向こうではレンタカーなんていうのが多くなっているので
列車に乗って旅していたころが、本当に懐かしいです。
ケント
ムチムチどんさん。

鋭い[[EE:AEB30]]

彗星は一時期は都城まで行っていましたからねぇ~
ご期待に沿えるように…
うρしてみたいとおもいます。
ムチムチどん
ケントさんは…鉄分が多い方なんですネ~。
この流れだと、ブルトレ(彗星)がうp
される予感が・・・。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「管理人」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事