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山口県の巨樹巡礼

長年月を生き、かつ誇り高く屹立している巨樹!。そんな巨樹に会いただただ首を垂れ巨樹を抱きしめてきます。

巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol12( 12‐①~ )

2025-04-22 11:46:02 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
          2020年5月  庵主敬白             



12-⑨八坂神社のクロマツ・ムクノキ(山口市上堅小路)        
                     2024.5.1
  
八坂神社です。八坂神社といえば山口の夏の風物詩「山口祇園祭」を思い浮かべます。京都の祇園祭とは比べるべくもないですが、一応京都の祇園祭を参考に始まったものです。初日の7月20日には山口県無形民俗文化財 の「鷺の舞」が奉納披露されるので有名です。
南北朝時代の1370年(応安3年)大内弘世が京都八坂神社より勧請したそうです。最初は堅小路にあったそうですがその後何回かの移遷をくりかえし、幕末の1864年(元治元年)萩から山口へ政堂を移した毛利敬親によって現在地に移遷されました。

 
クロマツですが最初どこにあるか分からず、道路端のクロマツを見てみたのですがどうも違うようです。高灯篭を目安に探してみると残念ながら写真のように切られていました。マツクイムシの害なのか強風によるものなのかは分かりませんが少し遅かったようです。3.5m(目)25m(高)の巨樹でしたし背景の高灯篭とマッチして見応えのある樹だったようです。

   
ムクノキは本殿裏側の土塁の上に有りました。これも最初はどこにあるのか分からず、あちこち探しましたが草をかき分け土塁に登り探し当てました。4.3m(目)28m(高)の立派な巨樹です。
 その他では、クスノキの巨樹もありました。


12-⑧赤田神社のカヤほか(山口市吉敷赤田)2025.5.1 
   
赤田神社の創建は古く、社伝によると最初は出雲国杵築大社(出雲大社)の祭神大巳貴命の分霊を吉敷中村に勧請し良城大神宮と呼ばれていたそうです。奈良時代の717年(養老元年)に現在地に移り地名から赤田神社と改称したそうです。四宮さまとも呼ばれてますが、これは大内氏時代「崇敬五社詣で」(戦勝祈願等で神社に参るもの)の四番目に当たるためだそうです。
カヤの巨樹は本殿に向かって左奥にあります。近くに行ってみるとなかなかの巨樹です。他にもカヤの樹は在りますが、ここのが一番大きいので間違いないと思います。カヤの材はその木目の良さで古くから建築・彫刻・碁盤材として賞用されてきました。

  
ムクノキの中でこれが一番の巨樹ではありますが、写真のように川のすぐ傍にありますので、大雨で増水して護岸が削られて倒れてしまうんじゃないかと心配です。ムクノキはエノキと共に、古くから一里塚・道の分岐点・小祠などの日陰樹となり、神社では神の「依り代」として植栽、保護されてきました。

  
イチョウの巨樹もあります。古い神社だけあっていろいろな巨樹がありますので、社地は狭いですが落ち着いた雰囲気になれる場所です。 確か昔はフクロウの仲間の「アオバズク」が毎年営巣していたと思うのですが、今もそうなのかは定かではありません。


12-⑦山口市役所のチシャノキほか(山口市亀山町) 
                    2025.4.29
  
山口市役所には何回か行ったことがありますが、ここにこんな珍しい樹があるなんて思ってもいませんでした。チシャノキは周南市の「大歳神社のチシャノキ(2-⑨参照)」以来です。葉や樹皮が柿の木に似ているので「かきのきだまし」の異名があります。また県内では若葉を食用としその香りから「ちしゃ」と言い、おうこ(天秤棒)を造っていたので「おうこのき」と言う方言名があるそうです。

  
ここにはアベマキの巨樹もあります。クヌギによく似ていますが、樹皮がコルク状になるのがクヌギよりも強いそうです。樹皮がモコモコしています。

   
駐車場の中ほどにはダイオウマツの巨樹も有ります。 車を回して駐車する時には少し邪魔になるかな? 雌雄同株で雌花の後にできる松ぼっくりが大きくて有名です。山口市役所はGW明けに新庁舎(奥の建物)が稼働することになっていて、旧庁舎は取り壊して駐車場になる予定です。


12-⑥仁保小学校のクスノキ(山口市仁保中郷高野) 
                    2025.4.29
  
仁保小学校のクスノキです。1914年(大正3年)卒業者の記念樹として植えられたそうで、その時は5~6年生の樹を植えたそうなので約115年~ぐらいの樹齢でしょうか。それにしても大きくて立派です。目通り5m以上高さ20mとのことですが、100年ちょっとでよくもこれだけ大きくなったもんです。姿形がとても良いのでいろんな角度から見ても見飽きることがありません。

  
クスノキのこんな巨樹を見るのは防府市の「老松神社のクスノキ(6-⑦参照)」以来です。あのクスノキは樹齢2000年以上と伝承されてましたが、姿形が女房曰く「お相撲さんみたい」という異形でしたので、ここのクスノキの凛とした立ち姿に惚れ惚れとしました。

  
 

12-⑤長福寺のサザンカ(美祢市豊田前麻生上) 
                    2025.4.29
  
国道435号から県道267号で麻生八幡宮方面へ行くと長福寺は麻生八幡宮の道を挟んで反対側にあります。大内義隆家臣の来嶋九郎左衛門が天文年間(1532~1554)に創建したそうです。現在は真宗のお寺でサザンカは門を入ってすぐ左側に有ります。

  
自分の家の周りにあるサザンカと違って目通り2m近い巨樹です。ほぉーサザンカもこんなに巨樹になるのかーと少し驚きです。日本では古くから庭園樹として植栽され、野生のものは白色・一重咲きですが栽培品には色変わり・八重咲きもあるそうで、ここのはピンク色の花が咲きます。
苔が幹に着いて古色蒼然としてますが、ぜひ長生きして欲しいですね。

  


12-④福楽寺のソテツ(山口市秋穂東天田) 2025.4.24
    市指定天然記念物
   
   
医王山福楽寺の創建は古く、奈良時代の746年(天平18年)まで遡ります。ちょうど聖武天皇の御世だというから相当なものです。江戸時代のころ元の堂宇を焼失し現在の地に移転再建されたそうです。現在は真言宗御室派(総本山仁和寺(京都市))に属しています。奈良時代といい天平といい聖武天皇といい歴史の教科書に出てくる名ばかりで、へぇーという声が聞こえてきそうですね。大村益次郎の生家(藤村家)の菩提寺でもあります。益次郎はこの近くの西天田生まれだそうです。

   
肝心のソテツですが、どうしたことでしょう! 三宅先生の写真(2010年撮影)とはあきらかに違います。ぐるっと回って見てみましたら、あちらこちらの枝が切られていてビックリです。樹齢が350~400年とも云われてましたので、老木になって台風の強風でやられてしまったんでしょうか? それとも病害虫でやられたんでしょうか?
雌雄別株で、ここには本堂に近い雌株(高さ8m、根元総株周6m)と雄株(高さ4m、根元総株周4.5m)があり本当に見ごたえのあるソテツだったそうで、その美しさは日本有数を誇ってたということです。
 
 
あんまり悔しいので、福楽寺のHPより昔の姿を拝借して(お許しください) 載せておきます。惚れ惚れとするような姿形の良さですね。日本一だと云うのもうなずけますよね。本当に見たかったなぁ―。


12-③河内神社のウラジロガシ(周南市鹿野上渋川石船) 
                    2025.4.17
   
河内神社というのは鹿野には数か所あり、ロードマップを開いて検索してもここの河内神社は出てきません。地名を頼りにストリートビューで探してやっと辿り着きました。それにしても立派なウラジロガシですね。山口市朝田の「よしもり様のウラジロガシ、3-③参照」以来ですが、県内でも有数の大きさの巨樹ということと姿形の良さにも惚れ惚れとします。この巨樹の前に「千年かたぎ」という看板が立ってますが、これは地域の方々が河内神社の社殿を建て替える時にこの樹のあまりの大きさに感動して建てたそうです。さすがに樹齢は千年もいってないとは思いますが・・。また「かたぎ」というのは反社⇔堅気のかたぎという事ではなく堅木(かたぎ:櫟、楢、樫など、主としてブナノキ科に属する硬い木材の総称)の意味だそうです。
ここの河内神社は社殿こそ小さいですが歴史は古く、往古河内国から勧請され江戸時代の「地下上申」にも記載されてるそうです。

  
ウラジロガシの手前に生えているのはエノキ(古来より、神仏の依り代として神社仏閣に植えられてきた)ですので、こちらは人の手で植えられたものでしょう。


12-②中世土塁跡のイトザクラ(周南市鹿野上鹿野市)
                    2025.4.17
  
イトザクラはエドヒガンの枝が下垂する品種のことで、一般にはシダレザクラと呼ばれています。このサクラがある場所(旧鹿野町役場のすぐそば)は中世の陶氏の重臣「江良弾正」の居住地跡だと謂われておりこのサクラには「弾正糸桜」の愛称がつけられました。土塁(中世館の土塁跡)から斜めに突き出ているような姿になっており少し心配ではあります。

  
少し花が残ってましたが、小ぶりでとっても可愛らしい花です。イトザクラとしては県内でも有数の巨樹で樹齢は300年位と言われてますが、もっともっと長生きして毎年その優雅な姿を見せて欲しいものです。 


12-①二所山田神社のモミほか(周南市鹿野上鹿野市)
                    2025.4.17
  
二所山田神社は1907年(明治40年)に、二所神社(旧二所大明神)と山田神社(旧山田権前)を合祀して、社号を二所山田神社(ニショヤマダジンジャ)と改められたそうです。二所神社は、出雲大社の神々を歓請したものと伝えられ、山田神社は、伊勢神宮の神々を歓請したものといわれています。境内には菅原神社や他の神社も合祀されており、なかなか賑やかな神社になっています。ちなみに近くには三所神社というのもあり県内には他に二所神社があったりで混乱します。祀っている神さんの数で数字が決まるのが多いみたいですが、全国には二所~十数所までの神社がありますので謂れを調べてみると面白いかもしれません。

  
モミの樹ですが、三宅先生が撮った写真と同じのがどうしても見つかりません。三宅先生の写真には傍に石板が写ってますが、境内にはどこを探してもその石板が見つかりません。随分あちこちを探し回り疲れ切った所にたまたま宮司さんがいらしてお話を聞くことができました。此処(二所山田神社)でモミの樹といえばということで教えられたのが写真のモミです。本の写真を見てもらいましたがこのような石板は過去にも無かったと言われ、撤去の可能性は?と聞くと「一旦設置した石板等を撤去するというのは、神社にとっては一大事なことなので普通はありえない」と云う事でした。「他の場所で撮った写真を間違えて載せているのではないか?」とも言われました。事の真相は分かりませんが、モミの樹自体はこれで間違いないようです。

   
その他にも巨樹のイチョウや二股に分かれた夫婦杉、一本立ちの大きなスギなど巨樹ばかりで嬉しくなります。また此処には山野草があちこちに植栽されてて、山野草ファンの女房は大喜びでした。この時はシラネアオイ・エンゴサク・カタクリ・イワウチワ等が咲いており、ヤマシャクヤクには花の蕾ができておりました。

   
隣の龍雲寺との境辺りの道路側にウラジロガシの巨樹がありました。姿形が良いですね。