山口県の巨樹巡礼

長年月を生き、かつ誇り高く屹立している巨樹!。そんな巨樹に会いただただ首を垂れ巨樹を抱きしめてきます。

巨樹庵(山口県の巨樹巡り)-Vol6( 6-① ~ ⑩ )

2021-12-12 21:08:45 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



6-⑩文珠堂のヤマザクラ (山口市阿東篠目文殊
    
山口から阿東へ向かい木戸山トンネルを過ぎ1kmぐらい行くと左側に少し登りの細い道が見えます。この道に入って文殊の部落方面へ1km位行くと左手の小山の中腹に文殊堂があり、その前に立派なヤマザクラが見えます。

  
建立年代不詳の「篠目文珠堂」。ヤマザクラはあちらこちら枝が折損していたり、傷んだ枝が切られたりしていて三宅先生の写真のように優雅な姿ではなくなっています。ただ陽当たりのいい場所に屹立していますので、なんとか長生きして欲しいです。

     




6-⑨着の森(河内社)のシイ (周南市須野河内)
                    2022.3.17                        
  
ナベヅルの渡来地として有名な周南市八代の奥、「ユニマット山口ゴルフ俱楽部」前を通過し、しばらく行くと道が右に大きく曲がります。ここに「須野河内交流館」という集会所があります。これに連なる民家と民家の間に山へ続く細い道がありこれを登って行きます。最初はさっぱり分からず地元の方に案内していただきました。少し急な山道なので目線が下になってちょっと歩くと「着きました!」と言われ、目を上にあげると写真のような大樹が突然現れます。思わずオオーっと声が出ました。老木ですが姿かたちの良いシイの巨樹です。

     
この樹には16世紀中ほどの時期に遡る二つほどの伝説が残ってるみたいですが、どちらも馬に関係のある話なのでこの樹(あるいは河内社)を里人は馬の守護神として崇めてきたそうです。河内社は別名「馬塚明神」とも云われています。着の森はどう読むのですか?と聞きましたら「ちゃくのもり」だと教えていただきました。ただ、その云われは聞き逃しました。

  
神々しいので、思わず触ります。 昔はこのヒゲみたいなものは、馬のヒゲが                    
               生えてきてるんだと言われていたそうです。

  
この樹はスダジイともコジイとも区別がつかず、両者の中間型であるスダコジイではないかといわれています。近くにはもう一つ石の祠がありますが、云われは分かりません。
この樹の樹齢は400~500年だと思われますが、下地を地元の方が良く手入れされていたり、周りをスギの樹林帯に囲まれていて直接的な風雨に曝されずにいますので、このシイの樹には良いのかもしれません。ぜひ長生きして欲しいものです。(なんか神々しくてカッコいいんです)

6-⑧桑山のイチョウ立木仏 (防府市桑山)2022.3.3
  
防府高校の裏側の桑山公園(中腹)の一角にあります。場所は分かりにくいですがそこかしこに案内板がありますので、なんとか辿りつけます。
樹の中に彫られている観音様は江戸時代末期の僧「木喰五行上人」の作だと伝わっています。古く真言宗潮音寺という寺があり、観音堂の本尊として彫られたものではないかと言われています。 
観音様が彫られてからでも200有余年が経っていますがイチョウの樹は小ぶりです。根の部分にくっつくように生えているクロガネモチが影響してるのかもしれません。

   
後の世に観音堂は火災により焼失してしまいますが、立木仏の観音様が黒く焦げているのもそのせいだと言われています。
立木仏は山口市の「山根観音堂のクスノキ」(3-⑤参照)以来ですが、木喰五行上人の足跡には興味深いものがありますね。


6-⑦老松神社のクスノキ(防府市お茶屋町)2022.3.3
        県指定天然記念物
 
町家の角を曲がって正面にこのクスノキを見たとき、思わずオオーっと声が出ました。こんなクスノキの巨樹を見るのは久しぶりです。山口市「菅内のクスノキ」(3-⑦参照)や下関市「住吉神社のクスノキ」(5-③参照)あるいは下関市「川棚のクスノキ」に匹敵する大きさで、山口県内でも5本の指に入ると思われます。こんなクスノキが街中にあるなんて・・・?。

  
652年に娑婆氏の氏神として須佐神社が建立され、後に老松神社と改称されました。以来老松神社は三田尻(防府の旧名)の鎮守として長く尊崇されてきた歴史があります。このクスノキも推定樹齢は2000有余年といわれていますが・・?。

    
老木らしく樹幹部や上部には欠損が多々見られ、姿・形も元気なクスノキのように優雅ではありませんが、その存在感たるや大したもので、女房曰く「お相撲さんみたい!」とのことです。防府に観光に来られた方も一見の価値はあると思いますよ。


6-⑥国分寺のクロガネモチ(防府市国分寺町)    
  市指定天然記念物・・でした(枯死) 2022.3.3
  
真言宗別格本山の「周防国分寺」です。741年聖武天皇の勅願により当時周防の国の国府が置かれていました現在の防府市に建立されました。国分寺の建物が残っているのは全国的に見ても数少ないものだそうです。こういう寺社の例にもれず敷地自体は随分狭くなっているみたいですが、本堂等の建物はやはり歴史の重みを感じます。
三宅先生の本に出ているのはフォークの先端みたいな形状のクロガネモチで特徴があり、そんなに広い敷地でもないのですぐに見つかるだろうと思ってましたが、隅から隅まで探してもどこにあるのか分かりません。

  
途方に暮れてどうしたものかと思ってましたら、運よくお寺の関係者の方に話を聞くことができました。その方によるとその樹はすでに枯死してしまったとのことです。写真がその樹があった場所で、少し土地がへこんでいて樹があった名残りがあります。またもや遅かったかぁーと残念な気持ちで一杯です。
ただその方が「ちょっと面白い樹があるんだけど・・」と連れて行ってくれた場所にあったのがヤマモモの巨樹です。この場所は以前は酷い藪で、下草やら雑木やらで無茶苦茶な場所だったらしいのですが、大変な思いをして綺麗にしてみるとこんな樹が現れたとのことです。数時間前に阿弥陀寺のヤマモモを見たばかりですので、この樹の大きさにビックリです。阿弥陀寺のヤマモモは県内でも有数の大きさとのことでしたが、ここのヤマモモも遜色有りません。クロガネモチには会えませんでしたが、思いもかけない樹に出会えてとてもラッキーでした。ちなみに実はつけないそうなので♂の樹なのかも・・。

    
さすがに歴史のある寺院で、境内にはあちこちに巨樹があります。これはイヌマキで推定樹齢は1000年だそうです。

   
こちらはケヤキで推定樹齢は800年。 こちらはクスノキで推定樹齢は600年。


6-⑤極楽寺のクスノキ(防府市牟礼岩畠) 2022.3.3
  
極楽寺を目指して徒歩で歩いていると、前方の家の後ろに何やらこんもりとした社叢が見えます。多分これだと思い歩いていくと有りました。クスノキは極楽寺の境内にあるんじゃなくて、入り口近くの焼却炉の奥にありました。巨樹には違いなく姿・形もとても良いんですが、クスノキですから正直もう少し大きなものを予想してましたので、複雑なかんじです。
  
樹勢自体は何の問題もなく元気そうです。枝ぶりも良いですね。

  
山門入り口の両側にイブキの大きな樹がありました。境内にはいろんな樹を植栽していまして、シヤシヤンボの樹もありました。シヤシヤンボは2年振りぐらいに見ました。確か山口市大内長野の長野八幡宮にこの樹にしては大きなものがあり見に行った覚えがあります(3-⑥参照)。しかし何度見てもただの雑木にしか見えません(ゴメンナサイ)。

  
タイサンボクという樹もありました。葉っぱが大ぶりで、なかなか存在感があります。ちょうど庭師の方が作業中で、シャシャンボもタイサンボクもどれかということを教えていただけました。私一人ではとてもとても・・・。


6-④阿弥陀寺(防府市牟礼上坂本)の
   ヤマモモ市指定天然記念物)とボダイジュ
                    2022.3.3
  
防府市の古刹「東大寺別院阿弥陀寺」です。阿弥陀寺は平安時代の終わりごろ、焼失した奈良の東大寺等を再建するため徳地の山林から用材を搬出していた”俊乗坊重源”が、後白河法皇の菩提を弔うため1187年に東大寺別院として創建し1197年に完成しました。現在の阿弥陀寺は「あじさい寺」として市民に親しまれています。2009年の水害により流された山門(仁王門)も復興され重要文化財の阿形と吽形の仁王さんが鎮座しています。
この山門をくぐり抜けしばらく上ると大平山への登山道入り口があり、そちらに行くとすぐ右側に大きなヤマモモがあります。

    
ヤマモモがこんなに大きくなるのか?というほどの巨樹です。裏山にあるヤマモモの樹とは雲泥の差で感嘆するばかりですが、ヤマモモとしては山口県内でもトップクラスの大きさというのもうなずけます。

     
推定樹齢が300年以上とのことですので、中には空洞があったりしますが枝葉なんかはまだまだ元気です。♀の樹らしいので実がたくさんできるのかな?

  
本堂まで上がって来ました。三宅先生の本では阿弥陀寺本堂の裏手にボダイジュの樹があると書かれていましたが、もう少し大きな樹を予想していましたのでなかなか場所が分からず、除草作業中の方に聞いてやっとこれだと分かりました。ボダイジュはその果実から数珠を作るということで寺院によく植栽されてきたとのことです。なかなかに地味な樹であまり印象深くないんですが、開山堂の方に立派な樹があるとのことですのでそちらに行ってみます。

  
有りました有りました。開山堂の傍に格好の良いボダイジュが有りました。「菩提樹」という看板まで出ています。なるほど、これは姿・形の良い樹だなぁーと感心しきりです。高さも10mを超えてるんじゃないかと思います。

  


6-③天徳寺のイチョウ(防府市下右田片山)2022.3.3
       市指定天然記念物
  
右田毛利氏の菩提寺となっている天徳寺は、防府市民にはおなじみの右田ヶ岳への登山口として最もポピュラーな場所になっています。ちょうど右田小学校の北側そばに位置しています。
イチョウの巨樹は山門入り口の傍にそびえているのですぐ分かります。ここのイチョウは山口県内でも有数の大きさで秋の黄葉は見ごたえがあり、一説によれば新幹線の車窓からも確認できるそうです。
天徳寺は源頼朝の命で造られたお寺とのことで、開基の常延は源氏の一族だと言われています。

  
イチョウの傍には源頼朝の墓があり、いかにも源氏に関わりのあるお寺らしいですね。樹齢は800年と言われており、さすがに空洞部分もありますが樹勢はまだまだ元気のようです。

  
傍に行くとさすがの大きさで圧倒されます。右田毛利氏の霊廟もあります。萩市の東光寺や大照院の霊廟の小型版といったところです。


6-②大崎のゴヨウマツ(防府市大崎江良) 2022.3.3    
          県指定天然記念物
  
「若月家の臥竜松」として有名なゴヨウマツです。若月家は江良公民館から一軒ほど中に入った所にあり、このゴヨウマツは道路からは見えません。地元の方の案内でやっと見つけました。ただ先端から折損が進んでいて往時のような長さはありません。33m位あったそうですが、今では15m弱ぐらいでしょうか。 それでもこんなに長いゴヨウマツというのは見たことがなく、樹齢300~400年というのもうなずけます。

  
根元付近はこんな感じでゴツゴツとしています。三宅先生の本の写真は今よりもっと長いですが、その時点で10mぐらい折損となっていますので、最長の時の姿はいかばかりかと無念さがこみ上げてきます。

    
案内してくださった地元の方によると、先端はこの池の真ん中あたりまであったとのことですので、三宅先生の写真はその姿ではないかと思います。返す返すも残念、もっと早く来ればよかった。

   
家の外から見るとこんな感じです。郷土の画家の方がこのゴヨウマツを見て「竜が臥せってるようだ」と言われたので「臥竜松」と呼ばれるようになったとのことです。


6-①功山寺のイヌマキ(下関市長府川端) 2021.12.12       
  
功山寺の有名な山門。功山寺の大槇(おおまき)はこの山門に向かってすぐ右側にあります。観光客には一顧だにされないイヌマキですが、その大きさや枝ぶりには圧倒されます。イヌマキは下関市阿川の阿川八幡宮(5-⑧参照)で見た巨樹以来ですが、そこにも負けないぐらいの立派な巨樹でした。

  
樹勢はまだまだ元気です。イヌマキの巨樹を見ていつも思うのですが、家の周りの生垣に使われているのがこんなにも大きな樹になるのかと不思議な気持ちになります。木肌は荒々しいですね。ここのは特にめくれている様子が激しくて、荒々しさを感じます。葉っぱは生垣のイヌマキと全く同じです。

   
功山寺には山口県には少ない国宝の仏殿があります。鎌倉時代に建てられた禅宗様式の仏殿です。また功山寺は吉田松陰の高弟だった高杉晋作が当時の毛利藩(萩藩)の主流派だった守旧派(俗論党)を倒すべく挙兵した地として有名です。わずか80名ぐらいの挙兵でしたが、やがて藩内は内戦の後に討幕派が主流になっていき明治維新に突き進んでいきます。この高杉晋作の挙兵の成功が無ければ、明治維新は数年遅れていただろうと言われています。(余談です)
















巨樹庵(山口県の巨樹巡り)-Vol5( 5-① ~ ⑪ )

2021-12-12 12:00:00 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



5-⑪正円寺のイチョウ(下関市長府中之町)
   県指定天然記念物        2021.12.12
     
長府の街の「乃木さん通り」という両側に商店が連なっている道(北側の歩道)を、忌の宮神社入口から北東に少し歩くと写真のような正円寺の山門が見えます。その奥に鎮座しているのが「正円寺の大イチョウ」です。

  
山口県内でも大きい部類のイチョウですが、ここのイチョウの特徴は乳状突起が見られることです。イチョウの木は時に幹枝から乳(状突起)を下垂するものが見られ、「乳授けの樹」として信仰の対象になることがあるそうです。
この木の乳(状突起)は、山口県内でもっとも発達しているのではないかと言われています。1776年に寺が建立された時に伐採されたものから萌芽したと伝わり、樹齢は約250年、根株は1000年とも云われています。
    
すぐ傍に昭和レトロ品を展示している   木の上部もまだまだ元気そうです
スペースがあります。なぜこんな物が?    が、根周を石やコンクリートで
と不思議な感じです???。          覆われてしまっていて、大丈夫
                    なのかな?と思ってしまいます。



5-⑩大師さまのカゴノキ(宇部市楠町芦河内)              
                  2021.09.04
   
「芦河内集会所」のすぐ側にある弘法大師の小祠とカゴノキです。写真では分かりにくいですがモコっとした木の幹みたいのがカゴノキの根本付近になります。根元が横臥しているために少し異様な格好になっています。

  
葉っぱが生い茂っていて中々全容が分かりずらいですが三宅先生の本では、
根周3.00mで樹高は23mとなっていますので、かなりの大木です。
カゴノキは、樹幹の表皮が薄片となって剥げ落ちその跡が鹿の子模様になるので、鹿子木(かのこぎ)とも別称されています。これも中々分かりずらいですが、美祢市大嶺町の「八幡麿能峰宮のカゴノキ」(2-②参照)を見ていただければ納得できると思います。



5-⑨浄念寺のハゼノキ(宇部市厚東棚井) 2021.09.04
  
浄念寺は1482年の創建で、宇部・小野田を含む旧厚狭郡地域で(浄土)真宗最古の寺院と言われています。
山門に上がる階段の両側にハゼノキがあり、ほぼ同じぐらいの大きさです。
ハゼノキは江戸時代にハゼ蝋を採るために植栽されたものが多いといわれていますが、大きな木が残っているのは案外少なく、当時の産業遺産とでもいえるものです。
山口市の法泉寺谷のハゼノキ(3-⑩参照)も道の両側に2本植えられていたのを思い出しました。

   
こうやって見てみると、同じ大きさ位というのがよく分かります。
本当はもっと枝ぶりが良いのでしょうが、台風の影響なのか折れてしまったり切ってしまったりしていてちょっと残念でした。

   
向かって左側の枝には空洞ができていました。枝や枝先が無残な状態に・・、
復活してくれると良いのですが。



5-⑧阿川八幡宮のイヌマキ巨樹群(下関市豊北町阿川)
   県指定天然記念物       2021.04.06
 
イヌマキは山口市朝倉八幡宮のもの(3-⑨参照)以来になります。
ここのは自生のもの以外にも植栽されたものも多く、現在も補植されているそうです。
最初の写真の道の両側は殆どイヌマキで、右側の林の中にも数多くのイヌマキがあります。

  
イヌマキの道       反対側から      林の中のイヌマキの巨樹

  
林の中で一番大きいと思われるイヌマキ、さすがの大きさで圧倒されます。近所の生垣に使われているイヌマキがこんなに大きくなるのかなぁーと少し不思議な気分です。
クスドイゲという樹の大きいのがあるらしいのですが、探してみても見つかりませんでした。

   
 立派!           ムサシアブミ     ご神木のイチョウ



5-⑦肥中天神社旧地のクロガネモチ
      (下関市豊北町神田肥中) 2021.04.06
   
恩徳寺のイブキを見終わって参道階段を降りると、先ほどのご婦人がまだいらっしゃったので隣にある天神社の事を聞くと「もうあっちへ引っ越しましたよ」との返事。「いえいえ樹を見に行きたいので、どこから上がって行けは゛良いですか?」と聞くと「少し道を引き返すと左側に登って行く道があります」とのこと。言葉通り少し引き返しひときわ高く聳えるクロガネモチの雄姿を撮ったのが最初の写真です。

  
山神社みたいなこじんまりとした旧天神社の廃殿の前は狭いフラットな敷地があり、山側の崖にクロガネモチがありました。大変心配なのは、写真のように崖にへばりつくように生えている状態です。以前はこうでは無かったのでしょうが、崖がだんだんと崩れてしまってむき出しの状態になったものと思われます。これ以上崩落が進んでいくと根こそぎ倒れてしまうんじゃないかと危惧しています。多分県内で一番大きなクロガネモチではないかと思われますので、何とか生き残って欲しいですね。
現在は樹自体は元気で、防府市向島のものや山口市源久寺のものと同じく、幹は硬そうでごつごつしています。

 この他にも巨樹が2本ありましたが、樹種は不明です。



5-⑥恩徳寺のイブキ(下関市豊北町神田肥中)
   国指定天然記念物       2021.04.06
  
車一台がやっと通れる細~い道を少し心配しながら恩徳寺の参道下辺りまで行き、畑作業をしていたご婦人に恩徳寺の駐車場を聞くと「駐車場はありません」とのご返事。「えっ!」と絶句する私。Uターンする場所も無いような所で困っている私にそのご婦人は「短時間なら畑の側に停めても良いよ」言ってくれました。地獄に仏とはこのことで、何重にもお礼を言い恩徳寺の参道階段を登って行きました。登りきるとすぐ目の前に現れたのがこのイブキの樹です。一名イブキビャクシンとも言われるこの樹は山口市の法泉寺跡のイブキ(2-⑤参照)を見て以来です。

  
恩徳寺は1551年、大内義隆夫人のお花の方が開創したと伝えられ、1784年に記された恩徳寺縁起には「境内に・・太さ5尺廻り余、・・珍木ナリ」と記されているそうなので、かなりの樹齢であることは間違いないようです。
分岐した枝が龍蛇のように屈曲交錯しているのが非常に珍しくて国指定天然記念物になったみたいです。
イブキは古くより社寺に多く植栽され、(びゅくだん)と呼ばれることも多いそうです。因みに法泉寺跡のイブキはシンパク(ミヤマビャクシン:イブキビャクシンの変種)として国指定天然記念物になっています。

  
幹はさすがに太い。 イブキの実がなってました。   天然記念物の碑


5-⑤住吉神社のイチイガシ(下関市豊北町神田上)
                  2021.04.06

  
偶然にもこの前に行った滝部八幡宮のイチイガシと連続になりましたが、こちらの方が大きさ的には少し小ぶりみたいです。木肌や枝葉も少しくたびれている感じです。
この樹の側に大砲の砲弾が祀られてます。日清・日露戦争や第一次・第二次世界大戦の戦利品として、あるいは戦勝を祈願してこういう類の物が祀られている神社があるとは知っていましたが、正直初めて見ました。こんなバカな物をいつまでも祀ってないで撤去すれば良いのにと思ってしまいます。

  
葉っぱの色も茶色くくすんでいて、少し樹勢が衰えてきてるのかな?と思いました。それとも季節的なものなんだろうか?。いつまでも元気でいてほしいものですが・・・。

  
幹の木肌      山門? 明治の廃仏毀釈運動までは、神社はお寺さんの
          敷地内にひっそりと存在している所が多かったそうなの
          で、その名残りなのかな? 本殿もお寺の本堂みたいで
          す。滝部八幡宮でもそう思いました。
  

5-④滝部八幡宮のイチイガシ(下関市豊北町滝部)
   県指定天然記念物       2021.04.06
  
滝部八幡宮は『太翔館(たいしょうかん)』という県指定有形文化財に指定されている建物の裏側にあります。車でしたら此処の駐車場に停めて歩いて行くのが良いでしょう。
イチイガシは山口市仁保の船山八幡宮の巨樹(3-⑫参照)を見て以来ですが、この樹種は古びた感じで何とも言えない趣があります。樹齢は700年以上だと言われています。

  
幹には空洞ができていますが樹勢はまだまだ盛んで、両側の枝葉も良く繁っています。

  
良いですね。元気です。   本殿。          山門?

  
大正13年に建てられた「旧滝部小学校の本館・太翔館」。木造の洋風建築で、今でもモダンな感じです。県の有形文化財に指定されたのもうなずけますね。 


5-③住吉神社のクスノキ(下関市一の宮住吉)
   県指定天然記念物(社叢)    2021.03.06
   
大阪の住吉大社や博多の住吉神社と共に「日本三大住吉」として有名な長門一の宮住吉神社です。手前の赤い拝殿は毛利元就の寄進により天文8年(1539年)に造営されたもので重要文化財に指定されています。また奥の古びた本殿は 応安3年(1370年)に大内弘世により造営されたもので、こちらは国宝に指定されています。因みに一の宮というのは俗称で朝廷や国司により拝命されたものではなく、その当時一番勢力のあった神社だという事で一の宮~二の宮~三の宮・・・と序列が出来上がっていったものだそうです。時代によっても変遷があり一つの国に一の宮が二つあるということもあるそうです。山口県のもう一つの国である周防国の一の宮は防府市の「玉祖(たまのおや)神社」という事になっています。

  
もう一つ住吉神社で有名なのがこの大楠です。クスノキはあちこちで見てきましたが此処のは別格です。その大きさに圧倒されます。根元で二分岐しており真ん中は空洞になってますが、両側とも元気で枝葉も良く繁ってます。記紀に登場する竹内宿禰(たけのうちすくね、蘇我氏や紀氏等の祖になった人物と云われてます)が植えたものだという伝説がのこっています。山口県内でこのクスノキに匹敵するのは、下関市川棚の別名クスの森と呼ばれているクスノキだけです。

   
根元の木肌    上部もまだまだ元気です。     クスノキの裏側 

   
シイを主とした社叢が県の天然記念物に指定されてますが、神社の中をあちこち散策するとクスノキやタブノキ等の巨樹があちこちに見られます。



5-②本覚寺のモッコク(宇部市西岐波上片倉)
    市指定天然記念物        2021.02.15
   
本覚寺のモッコクは寺域の一番上にある墓地の一角にあります。寺伝では樹齢が500年とも云われています。ツバキ科に属すモッコクは秋に熟す果実が果皮が橙赤色になり美しいので、しばしば庭園樹として賞用されているとのことです。このモッコクの側にも庭園に用いられた石組みが残っており、「雪舟」作の伝説が残っています。

  
モッコク遠景       木肌はこんな感じ    葉っぱは小ぶりです



5-①水分神社のスダジイ(宇部市沖の旦)
   市指定天然記念物        2021.02.15
  
水分と書いて”みくまり”と読みます。むかし干害が続くので水の神様「水分大神」を祀ったという謂れがあり、いかにも地区の人達が大事にしているようなこじんまりとした可愛らしい神社です。

  
平成3年9月の台風19号によって、東側の大きな枝が倒壊してしまったとのことで、以前はもっと見応えのある立派な巨樹だったとのことです。しかし今見てもそれなりに貫禄のある巨樹で、まだまだ楽しめると思います。
スダジイは今まで萩市大照院や美祢市南原寺のものを見てきましたが、ここのも古色蒼然とした雰囲気がありとても厳かな感じになる巨樹です。
  
三宅先生の写真と    こちらが欠損した部分  こじんまりとした神社
同じ方角から撮ったもの