山口県の巨樹巡礼

長年月を生き、かつ誇り高く屹立している巨樹!。そんな巨樹に会いただただ首を垂れ巨樹を抱きしめてきます。

巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol9( 9‐①~⑨ )

2023-02-25 18:08:43 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



9-⑨極楽寺のスギモクセイ(山口市阿東嘉年上堂免)
   市指定天然記念物         2023.3.28               
  
極楽寺の前身は「五穀寺」といい寛政6年(1465)の創建と伝わっています。駐車場からすぐ目につくのはシダレザクラで、ちょうど満開の様でした。けっこう見栄えのするシダレザクラでしたので古いものかと思ったのですが、ご住職の奥様の話では「昭和38年に植栽したのでまだそんなに経ってませんよ」とのことでした。

  
山門をくぐり抜けるとすぐ左側にウスギモクセイの巨樹があり、その奥には生目大明神の祠があります。ウスギモクセイは地際で3分岐していますが大きさはかなりのもので、奥様が「柳井市のウスギモクセイは倒木したと聞いているので、多分ここのが県内で一番大きなウスギモクセイではないか」と話されていました。また「樹齢は400年近くと聞いてます」とのことです。ウスギモクセイの花は見たことが無かったので花色を聞いたところ「キンモクセイとギンモクセイの中間ぐらいの色ですよ」とのことでした。

  



9-⑧須賀神社のスギほか(山口市阿東嘉年下)
                    2023.3.28
    
江戸時代の「風土注進案」にこの神社の由来が載ってるそうです。それによると「昔日(年代不詳)この里に疫病が流行した。その時山奥に二振りの太刀が天から降ってきた。里人はこれを大切にし、ご神体として崇敬した。太刀の降った所を”疫神ヶ迫”というようになった。これが当社の起源である」と。その後は「厄神社」と称していましたが、明治2年(1869)に「須賀社」、明治18年(1885)ごろから「須賀神社」と改称されました。
こういう話も伝説に彩られた「十種ヶ峰」(御食主命が十種の神宝を当山に埋めたという伝説から名づけられた )のすぐ近くに位置する当神社には有りかな・・と思うから不思議です。

 
最初の鳥居をくぐってすぐの両側に、高さ30mを超えるモミの巨樹が並んでいます。

 
直ぐの階段途中から幹周5m前後で高さ30mを超えるスギが現れます。

  
  
  
どうしてこんな狭い所に巨樹が何本もあるんだろう?と神社の空間の狭さに身を置いていると不思議な感覚になります。伝説のとおり特別な場所なんだろうか・・・。

  
神社の裏側にウラジロガシの巨樹があります。所々枝が折れていて(太い枝も)老木の雰囲気たっぷりです。カシ類は趣があって好きなんですが、長生きして欲しいですね。 


9-⑦田野神社のオオモミジ(山口市阿東生雲西分田野上)
                    2023.3.28
  
田野神社の創建は不詳です。元は王子社と称し明治2年(1869)に現社名に改められたそうです。こじんまりとした神社で、田舎のこじんまりとした集落の氏神的性格の神社として存続しているみたいです。
オオモミジは本殿に向かって左側にありました。三宅先生の写真とは少し違っていて最初はピンときませんでした。まだ葉っぱが全然ないし、それよりもなによりもあちこちの枝が折損しており、随分姿が変わっていました。

  
山口県でも有数のオオモミジの巨樹ですが、とても老木然としています。致し方ないとしても少し寂しいです。葉っぱが繁れば少しは大樹としての威厳が出てくるのかな・・?。紅葉の季節に確認してみたい気もします。

  
太い枝が折れていて、これだけでも樹の雰囲気が変わってしまったみたいです。


9-⑥法田寺のコウヤマキ(山口市阿東生雲西分)
                    2023.3.28
  
法田寺の創建は応永30年(1433)とのことですので590年の歴史があります。幕末の江戸幕府による長州征伐のおり、石州口の防備のため長州藩諸隊の駐屯地にもなったそうです。
コウヤマキは本堂に向かって左側奥にひと際高く聳えています。

  
コウヤマキの姿は綺麗な円錐形で、東京スカイツリーの姿はそれを模したものだと云われています。山口県では岩国市錦町の辺りにのみ野生の木が見られるとのことです。一度錦町宇佐の「玉蔵寺のコウヤマキ(4-⑥)」を見たことがありますが、そのコウヤマキは巨樹ではありましたが下部が折損しておりお世辞にも美しい姿とは言えないものでした。それに比べればここのは典型的なコウヤマキの姿をしており、幹や枝葉も元気でその存在感には思わずカッコイイーとつぶやきました。

    


9-⑤生雲八幡宮のスダジイほか(山口市阿東生雲中)
                    2023.3.28
  
生雲八幡宮の前身は貞和5年(1349年)に豊前国宇佐八幡宮の分霊を古宮に勧請し、その後元禄8年(1695)に現在地に奉遷されたみたいです。裏山は毘沙門山城跡で、堀の形や土塁が残っています。

  
本殿に向かって右側にはアスナロとイロハモミジが根元で合着したのが見れます(茶色っぽいのがアスナロ、白っぽいのがイロハモミジ)。「連理木」の状態になってる訳ではないみたいですが、ここまでくっついてるのは珍しい光景です。

  
スダジイは本殿に向かって右側(生雲小学校側)から山の方に少し登ったところに有ります。分かりにくい場所ですが、どうやら山城の土塁上にあるみたいです。上部は一部折損していますが、樹勢はまだまだ元気だと思います。

  
スギの巨樹も近くにありました。しかし根元で2分岐した中の1本は切られていてその大きさを実感できません。そのままであればかなりの大きさだったと思われ残念でなりません。右はウラジロガシかツクバネガシじゃないかと思いますが、残念ながら同定できません。その他にもモミがあったりイチョウがあったりします。由緒のある神社に相応しく、いろいろな巨樹があります。


9-④瑞雲寺のシラカシ(山口市阿東生雲中)2023.3.28
  
表示板によると、瑞雲寺の創建は文明年中(1469-87)とも慶安4年(1651)とも云われていますが、両者には200年近い差がありますので少し不思議な気もします。火事の焼失により現在地に移転してきたとのことですので、古文書類が一切残ってなく、正式には不明なのかもしれません。
お寺の本堂等一切が新しくなっていますので、ひょっとするとシラカシも切られてしまったかなと危惧しましたが、なんとか残っていました。

  
20年前の三宅先生の案内本(やまぐち祈りの108樹)にも「空洞があり相当傷んでいる」とありましたが、より酷くなっている感じです。着生植物が全体に纏わりついていて樹勢を弱めていて、さらに空洞部にはツバキが大きくなってきていて、そのうち木が二つに割れてしまうんじゃないかと心配です。
シラカシは此処の前の「細野神社」でも見ましたが、巨樹は萩市明木の「河内さまのシラカシ(1-⑦)」以来です。あのシラカシも古木然として風格はありましたが処々傷んでいてそう長くない寿命を感じました。
なんとか長生きして欲しいです。

  


9-③細野神社のモミほか(山口市阿東篠目)2023.3.28
   
細野神社は享禄3年(1530)に宇佐八幡宮の分霊を勧請したとのことですが、別の文献(風土注進案)には永仁3年(1295)に山城国北野より遷座とあるみたいです。どちらにしてもとても古く由緒のある神社です。その古さに見合う種々の樹木が繁茂し大きな社叢を形作っています。

    
ウラジロガシ(葉裏が粉白色なのでこの名前)     アラカシ(全体的に粗っぽく見えるのでこの名前)
     
モチノキ(樹皮からトリモチを造るのでこの名前)   ツクバネガシ(葉の先端部が羽子板で突く羽根「つくば
                          ね(衝羽根)」に似ているから からこの名前)                       
    
サカキ(人と神との境にある「境木」からの名前)   シラカシ(白っぽい木肌からの名前)

  
本殿手前の両側には高さ35mものモミの木があり、この神社の風格を保っていてなかなかの趣です。阿東地区にはモミの巨樹があちこちにあり、見る者を楽しませてくれます。

     
ここにもウラジロガシの巨樹があります        オオモミジ(イロハモミジの変種)

この他にもいろんな樹木があり楽しませてくれます。100%ではないですが名札も掛かっていて分かりやすかったのは有難かったです。境内もそこそこ綺麗にされてて、地元の方々に大事にされているのが分かります。
                   
  
9-②神功皇后神社のイチイガシ(美祢市西厚保町本郷)
   県指定天然記念物樹林市指定天然記念物
                    2023.2.23                     
  
神功皇后神社は応永32年(1425)に下関市長府の長門二の宮の忌宮神社より勧請し建立されました。このイチイガシは創建当時からのものだと伝わっており、樹齢はおよそ600年ぐらいと云われてます。
イチイガシはカシ類の中では最大のもので、その丈夫さから古くは船の櫓としても利用されてたみたいです。

 
このイチイガシは山口県内最大の樹と云われてますが、近寄ってみるとなかなかの大きさでさすがだなと思わされます。今まで県内のイチイガシの巨樹を何本か見てきましたが、どの樹もとても古色蒼然たる佇まいで何時倒れてしまうんだろうと思ってしまいます。ここのも樹齢数百年の古木に有りがちな大きな樹洞や板根もあり、行く末が少し心配ではあります。

  
裏側に廻ると大きな樹洞が有りかなり傷んでいます。また崖に近い所に立っているので崖ごと崩れないかと心配です。

  
 


9-①原八幡宮のムクノキ(美祢市西厚保町原)
   市指定天然記念物         2023.2.23
  
応永33年(1426)に福岡市の筥崎宮から勧請されて建立された神社です。このムクノキもその時に植樹されたものみたいでおよそ600年の樹齢を誇ります。
ムクノキは日本では古よりエノキと共に一里塚、道の分岐点、小祠などの日陰樹として、また神社では「神の依り代」として保護され植樹されてきました。
このムクノキは大きさとしては山口県内でも有数のものです。

 
案内板にもあるように、樹齢数百年の古木にはたいていの木に腐朽部や樹洞が有りますが、このムクノキにはそういったものは無く極めて健康的?な樹勢を保っています。今は落葉してますが、葉が繁ってくるとほれぼれするような姿・形だと想像できます。