山口県の巨樹巡礼

長年月を生き、かつ誇り高く屹立している巨樹!。そんな巨樹に会いただただ首を垂れ巨樹を抱きしめてきます。

巨樹庵(山口県の巨樹巡礼)-Vol8( 8‐①~⑨ )

2022-05-11 19:30:43 | 日記
今年(2020年)の正月にNHK・BSを何気なく観ていたら、”巨樹百景 神様の木に会う”という番組を放送していました。日本全国の巨樹を紹介していたのですが、この時「そういえば我が家には山口県の巨樹の本があったなぁー」とふと思い出し、本棚をゴソゴソ探してみると有りましたありました。その本の名は「やまぐち 祈りの108樹(2004年発行)」と「続 やまぐち 祈りの108樹(2006年発行)」の2冊です。2冊とも元山口県立山口博物館の学芸員をやっておられた 三宅貞敏さんの著作です。
本をパラパラとめくってみると、山口県にも 「国の天然記念物」になっている巨樹もあったり神社仏閣に存在してたりと、あんまり面倒なく見られるかもしれなくて面白そうだなと思った次第です。
というわけで、用事で何処かへ出かけたついでに県内の巨樹に会ってこようと「巨樹巡り」を始めました。2冊の本を参考にしながらの巡礼ですが樹木の専門家でも何でもない素人の私が探して歩くのですから、へんてこなブログになるかもしれません。
一応、私流に決め事を設定してます。
1.三宅先生の2冊の本に記述されている巨樹を目指します。
2.2冊の本に記述されている巨樹以外でも、これは載せた方が良いだろうという巨樹は【番外編】として記しています。
3.訪れた順に番号を記入していきます(年月日も)。また直近に巡った巨樹がいちばん上になってます。
4.場所がかなり分かりにくい所もあるので、全ての巨樹の地図を載せます。
                        2020年3月  庵主敬白

注)5月になり三宅先生の本には3冊目(続続 やまぐち 祈りの108樹(2012年発行))があることが分かり、先生本人より寄贈していただきました。深謝いたします。これ以降は3冊を参考にして巨樹巡りを楽しみたいと思います。
                        2020年5月  庵主敬白



8-⑨本庄の大クス(【番外編】、福岡県築上町)
   国指定天然記念物         2023.2.23
 
今年のNHK BSの「神様の木に会う」で放送された “本庄の大楠” です。
割と近い所にこんな巨樹があるんだ・・と思いつつ、いつか時間があれば行ってみたいねと女房と話す程度でした。ところがひょんな事からぜひ会ってパワーを貰ってこようと話が決まり急遽行って来ました。
日本三大楠の一つに数えられてるとのことでしたが(鹿児島県蒲生町「蒲生の大楠」、静岡県熱海市「来宮神社の大楠」と「本庄の大楠」)、現地に行って大楠の前に立つとその存在感に「おおーっ凄い・・」と口の中で言ったきり、ただただ茫然自失の体で佇むだけでした。一本の木がこんなに大きく育つものなのか・・?と一つの奇跡を目の当たりにしているような荘厳で厳粛な気持ちになりました。畏怖の念を覚えると言えば良いでしょうか。
およそ1,900年前、景行天皇が九州平定のための戦勝祈願のために植えさせたとの伝説が残っており、樹齢はそれぐらいということになっています。
大正11年(1922年)に国の天然記念物に指定されています。環境省が行っている巨樹・巨木調査では全国4番目(あるいは5番目)の大きさの巨樹となっており、福岡県内では一番の巨樹です。

 
クスには良い芳香があり「臭し(くすし)」がクスの語源となったという説や、香り高く寿命が長い「奇(くす)しい 木」から名前が付いた等所説あるみたいです。日本では古よりこの樹から樟脳を取ってましたので「樟」の字を当てることもありますが、樟脳が殆ど使われなくなった現在「楠(本来は中国大陸に分布するタブノキ科の樹木)」の字を当てるのが一般的になってます。
また、英語名ではCamphor  tree(カンファ―ツリー)とも言い、カンフル剤の語源だそうです。面白いですね。

 
木芯部は大きな空洞になってますが、明治34年にこの中の焚火が木に燃え移り大半が焼失したそうです。その後奇跡的に第一枝がよみがえり現在の姿まで復活したそうですが、ただ写真のように100年以上経った現在でも焼け焦げた跡が生々しく残っています。

  
樹齢が1,900年を超えてるのかどうかは分かりませんが、そこかしこに古木の何とも言えない風格を感じます。
また枝なんかもまだまだ元気で、葉も良く繁らせています。

 

   


8-⑧西八幡宮のイチイガシ下関市豊田町矢田) 
   市指定天然記念物         2022.6.2
  
西八幡宮は鎌倉時代の建久2年(1191年)に豊田氏により豊前国の宇佐八幡宮を勧請して創建されました。西市小学校の直ぐ裏手である現在地に奉遷されたのが1657年のことです。その時に宇佐八幡宮より賜った苗を植栽したとのことですので、樹齢は今年で365年となります。
今まで見てきたイチイガシの巨樹はみんな老木でしたが、ここのもいかにも老木然とした巨樹です。幹の一つの上部が折損しているのも痛々しいです。

 
イチイガシはカシ類の中では最大のもので、その堅果(どんぐり)は渋みが少ないため食用に供したのか、縄文の遺跡からよく出土するみたいです。
幹の一つに大きな空洞があり、また大きな枝も切られてるようなので三宅先生の写真よりもさらに元気が無いように見えます。枝葉も一部しおれているように見える部分があり、いつどうなってもおかしくないのかなぁ―と心配になります。今まで見てきた巨樹の老木の中で幹が分かれている内の大きな1本が根元の辺りから倒れてしまって、大きさが随分小さくなってしまったのがありましたが、このイチイガシもそんな風になるんじゃないかと想像してしまいます。なんとか元気を取り戻してほしいのですが・・。

  

  
 

8-⑦長正司公園のフジ下関市豊田町矢田2022.6.2
  
長正司公園は豊田町西市の中心部(と言っても、田舎ですので人も車も少ないです)から直ぐ山際に見える所にあります。1か所しかない狭い階段を登って行くとすぐに辿り着きます。花の時期からは1カ月遅く、咲き誇っている藤棚は見れませんでしたが、ヤブツバキに巻き付いているフジはさすがの大きさです。
ここには元々長正寺という禅寺があったそうですが、江戸時代の初期に東市に移転したそうです。どうして西市から東市に移転したんですかね? 西市の方が格段に栄えてたと思うのですが・・。
ここの裏山には豊田氏の山城があり、大内氏の時代には攻める大内氏と守る豊田氏の間でバトルがあったとか無かったとか云われています。その頃の山口県は大内氏、厚東氏、豊田氏の3豪族が割拠してましたが、尼子氏の重臣の名前も出てきて、ここ西市というのは古の時代から要衝の地であったのが分かります。

 
ちょっと白黄色っぽいのがヤブツバキですが、よく耐えてます。フジも生かさず殺さずの塩梅で締め付けてるのかな?
フジは別名ノダフジとも言い、蔓は根元左から右へ巻き上がります(左巻き)。ちなみに近似種のヤマフジの蔓は反対に右巻きだそうです。

  

  
公園からの降り口にモミジの立派なのが2本あります。2本とも葉っぱが小さいのでイロハモミジではないかと思います。8-⑥厳島神社のオオモミジを見たばかりなので違いがよく分かりましたが、果たして当たってるかどうか?


8-⑥厳島神社のオオモミジ山口市徳地上村
                    2022.5.9
  
国道376号線から徳地上村の有名な「月輪寺薬師堂」(国指定重要文化財)方面に向かって行き、手前を右折すると厳島神社に辿り着きます。
天禄3年(972年)に広島の厳島大明神を勧請し創建されました。ちょうど1050年経っていることになります。現在の地には1677年に移設されました。急な階段を登って行くと目の前に本殿が現れます。

  
本殿に向かって右後ろにオオモミジがありました。今は若葉が美しい季節です。オオモミジはイロハモミジの変種とのことですが、ぱっと見は区別はつきません。近づいて葉っぱを見るとイロハモミジよりも大きいのが分かります。正直言うと私は区別がつかなかったのですが、女房は明らかに葉っぱが大きいと言います。言われてみればそうかなぁーと思うから不思議です。

    
モミジの大きいのは美祢市の南原寺のオオモミジを見たことがあります。ここよりも少し幹回りが大きかったのですが、あのモミジはとにかく背が高かったなぁーと思い出されます。ここのもなかなかの姿形なので、紅葉の時期はカッコいいんじゃないかと思います。

  
階段横にオオモミジの    帰りに階段下で、こんな石の賽銭箱を見つ
小ぶりなやつを見つけ    けました。平成4年に奉納されたみたいです
葉っぱを観察しました。    が、これなら泥棒も手が出せないでしょう。                                       


8-⑤花尾八幡宮のムクノキ山口市徳地島地)   
    残念! 伐採されてました    2022.5.9  
   県自然記念物(ツクバネガシ・他樹林)
   
国道376号線から島地川を渡って島地の街中に花尾八幡宮はあります。
和銅4年(711年)に宇佐八幡宮より勧請され創建されました。この地に移ってきたのは天正2年(1574年)のことです。和銅なんて年号が出てくるなんてビックリです。創建から1300年以上経ていることになります。どうしてこんな田舎に・・と思ってしまいますが、その頃は重要な地だったんでしょうか?

  
肝心のムクノキですが、三宅先生の写真と照らし合わせてもそれらしい巨樹は見当たりません。やっと見つけたのが上の写真のような巨樹の伐採跡です。
神社の関係者の方にいろいろお話をお聞きしたのですが、要は老木になりすぎて強風のたびに上部の枝が折れて周りの建物に傷をつけるもんですから、最終的に伐採やむを得ずとなったようです。樹木医の先生に手を尽くしてもらっても樹勢は回復しなくて、これ以上そのままだと樹木本体が倒れて甚大な被害が発生しかねないということで、泣く泣く伐採ということになったそうです。建物近くにある巨樹の運命かもしれません。
県内でも大きい方のムクノキだったんですが、またしても間に合わなかったと無念さがこみ上げてきます。 

  
本殿前にイチョウの樹がありますが、これも同様な理由で上部が伐採されています。また後部の斜面にあった木々は土砂くずれがあり伐採したとのことです。


8-④須賀神社のムクノキ・山口市徳地小古祖)   
                    2022.5.9
  
国道489号線を「重源の郷」方面へ曲がり、120~130m行くと須賀神社があります。出雲大社を勧請し延喜年間(901~922年)に創建した祇園社は1865年に須賀神社と改称され現在に至ります。およそ1100年の歴史ある神社です。
境内にはその歴史に相応しくあちこちに大木があります。
神社ですからムクノキは神の依り代として植栽されたものだと思います。

  
地上1.5mのところに空洞がありますが樹勢としてはまだまだ元気です。県内ではそこそこの大きさのムクノキですが、須賀神社を見守りながらますます大きくなっていってほしいです。

   
根元で2分岐してるツクバネガシ        大きなカゴノキが2本


    
その他の巨樹いろいろ。 小さな神社ですが、本当に面白い場所です。

 
   


8-③石鎚山神社のカツラ山口市徳地船路) 2022.5.9
    市指定天然記念物
  
船路の集落から石鎚山神社を目指して行きます。途中から道が細くなり対向車が来ればアウトだなとビクビクしながら林間の道を徐々に登って行きます。やっと「船路の大カツラ」の看板を見つけその前に駐車します。対向車の事を考えたらもう少し先の石鎚山神社に駐車した方が良いでしょう。
しかし本当に辿りつけるのかビクビクものでした。

  
傍の小川に木製の橋が架かってるので(半分ぐらい板が無くなっている)それをコワゴワと慎重に渡って行き、雑草とクモの巣を払いながら少し行くとカツラの巨樹に辿り着きます。
日本で自生するカツラの樹は冷温帯の渓流などに多く見られ、カツラの大木の下には必ず水脈があるとも言われています。
また寿命は長く成長すると主幹が折れ、根元からたくさんの「ひこばえ(萌芽)」を伸ばして株立ちするものが多いそうです。そういえば久住に山登りに行った時、「男池園地」でひこばえが株立ちしてる巨大なカツラの樹を見たのを思い出しました。その時はカツラの樹というのはケッタイな樹だなぁーと思ったのですが、あれは長命なカツラの樹の最終形態だったんですね。此処のはひこばえも無いようですので、まだまだ壮年ぐらいでしょうか。それともその状態に近づいているのかな?
材質が良いということでカツラの樹から家具や碁盤、将棋盤などが作られてるそうです。

   
葉は丸っこい可愛い葉っぱです。地上2m付近で3分岐していますが、その内の1枝は折損しています。


8-②船路八幡宮のスギ山口市徳地船路) 2022.5.9
    
船路の広々とした田園地に鎮座する八幡宮です。スギの巨樹は本殿を正面に見て階段の右側にあります。少し前に見た出雲神社のスギよりは小ぶりですし出雲神社のスギのような荒々しさもありません。立地の良さや育ちの良さが現れているスギです。

  
イロハモミジの少し大きいのが本殿の右前に   ネズミサシという樹は残念
あります。                  ながら伐採されてました。

 
8-①妙見社のイチョウ山口市徳地八坂) 2022.5.9
    県指定天然記念物
  
この妙見社は1244年に山口市氷上の妙見社を勧請したものですが、すぐ後に火災により焼失してしまいそのときにイチョウを植えたそうです。ですからイチョウの樹齢は七百数十年だと云われていますが、場所は妙見社の境内ではなく参道脇に植えられています。

  
イチョウは中国原産と言われており、日本には古の時代に中国から入ったようです。日本では社寺に植栽されることが多く巨樹も多く見られます。このイチョウは目通り幹囲で県内一位と言われており堂々とした巨樹です。やはり以前見た山口市龍蔵寺のイチョウ(2-④龍蔵寺のイチョウ 参照)より太いような気がします。

  
幹も枝葉も元気で樹勢はまだまだ衰え知らずな感じです。 江戸時代に編纂された「風土注進案」にもこの樹の記述があるみたいですので、昔から巨樹として有名だったのでしょう。乳状突起も何か所かにあり老木としての貫禄があふれてます。また県内で天然記念物に指定されているような大きなイチョウのうち「雄株」なのはこのイチョウだけだということで学術的にも貴重なものです。

  
裏側に洞ができていますが、まだまだ大丈夫でしょう。樹齢1000年ぐらいまで長生きして欲しいものです。