「死とファッション」
何?って思ったよね?
ちょっと昔に人に言われたんだ
死とは?終わりとは?
それは誰しもが経験した事のない事で、そして一度しか体験の出来ないもの、そして語り継げない事。
そう、死とは最終手段であって、生きる僕らにとっては本当の「終わり」である。
死んだ事のない当たり前の僕らは学習する事も出来ずただただ死を崇高なものに捉えてしまう。
否、死とは崇高な行為なのかもしれない。
学習する事の出来ない僕らはただただ想像を巡らすことしか出来ない。
憶測の中でしか死を捉える事が出来ない。
死とは?
繊細であるか?
華奢であるか?
謙虚であるか?
傲慢であるか?
誇りであるか?
名誉であるか?
始まりなのか?
生きる僕らにとって死は一番密接な偶像であり、そして実像でもある。
と、こういう言葉が「ファッション」である。
死とは、決して美しいものではない。
美しい死とは、死に行くもの生が「美しかった」のであって、決して「死」が美しいわけではない。
そして「死」によって「生まれる」「始まり」、
そこに死を着飾れる当事者は居ない。