保阪嘉内はスケッチブックに南アルプス上空のハレー彗星の絵を描いた。
よく見るとこの絵には日付が2カ所に書かれている。
これは何を意味するか。
おそらく明るいうちに、鳳凰三山~甲斐駒ヶ岳の連なりを描いておき、
ハレー彗星を観察した後でそれを描き込んだからではないだろうか。
さらに「ハリー彗星之図 五・廿夕八刻」の文字は後で書き加えた。
ところでこの「20日」というのは太陽に近づきすぎており
彗星は観察ができないため間違いで、
おそらく21日というのが正しい日付ではないか・・・というのが
天文愛好家で、サイト「賢治の事務所」の加倉井厚夫さんの推測である。
嘉内たちが観測した場所は、甲府中学校の寄宿舎があった辺りではないかといわれている。
当時の古い写真を検索してみると、校庭のすぐ後ろには甲府城趾が聳えており、
より観測しやすい場所ならそちらを選んだのではないかと個人的には思う。
このスケッチに関して、何より注目すべきは、中央に書かれている
「銀漢ヲ行ク彗星ハ 夜行列車ノ様ニニテ 遙カ虚空ニ消エニケリ」
だろう。
のちに賢治が「銀河鉄道の夜」を書くことになった着想の原点ではないだろうか。
嘉内のこのスケッチは、当時のハレー彗星を観察した貴重な資料でもあり、
名古屋市科学館5階「宇宙のすがた」展示室のモニターに常設展示されている。
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