知らせ 2015年07月21日 | 大正7年 大正7年3月13日、 春休みで山梨に帰省中だった保阪嘉内。 賢治は卒業し、4月からは研究生として盛岡高等農林に残る予定だった。 その賢治のもと(おそらく下宿先)に飛び込んできたのは 進級するはずの嘉内の除名処分の知らせだった。 アザリアたちにとってはまさしく青天の霹靂だったにちがいない。 果たしてその理由は・・・(次回へつづく)