ボストン便り

伝統的であると共に革新的な雰囲気のある独特な街ボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

国家と市民社会、そして健康(2)

2010-01-16 21:00:47 | 健康と社会
市民社会と国家の協働

 アメリカのヘルスケア改革に話を戻しますと、今は上院での審議に関心が移っています。改革法案は下院で可決されたとはいっても、賛成が220票だったのに対し、反対が215票とわずか5票差なので、行き先は未だ不透明です。
 というのも、共和党だけでなく民主党の中にも、公的保険制度の導入で国家の関与が強まることに慎重な意見が強いというのです。改革法が導入すれば真っ先に困ることになる莫大な資本力を持つ保険会社が、議員に対して猛烈なロビー活動をしかけてきているからです。このような状況を危惧したかのように、冒頭で紹介したオバマ大統領のメイルはこう続きます。
 「昨年の選挙の後でさえ、たくさんの熱狂的なロビー活動者や党員たちは、古いお決まりのやり方でワシントンと癒着し、特別なお金を動かしながら、いまだに自分たちの気に食わない法案は通さないことができると本当に思っていました。今、もはや彼らはその見込みはないと思っているでしょう。なぜなら、今夜、古いルールは変えられ、人々の存在はもはや無視できないということを、あなた方がはっきりさせたのですから。」
 9月の両院議員総会で演説したとき、オバマ大統領はヘルスケア改革は「社会的正義」であり、この改革が実現されるかどうかでアメリカ人が道徳心ある公共的精神の持ち主であるかどうかが判断されると言いました。そして今回、市民社会は改革を求めているのだから、改革実現の可否は議員たちが特定の利益団体(主に保険会社)に惑わされないかどうかにかかっている、と言っているようでした。
 下院でのヘルスケア改革の議会通過は、市民社会の主張を国家が認めたという図式で理解できますが、さらにうがった見方をすれば、市民社会と国家が人々の健康を守るという共通善のために協働するというあり方の表れとも解釈できるのではないかと思います。


日本における国家と市民社会の行方

 日本は一般に、国家の力が強く市民社会が成熟していないと考えられています。メリーランド大学のシュリュー教授は、アメリカとドイツと日本の環境政策を比べて面白い分析を発表していますが、この研究は日本における国家と市民社会の関係を如実に示していると思われます。
 この分析によると、アメリカでは、巨大で高度に専門職化した環境NGOが、潤沢な資金によって環境調査研究を行い、他の利益団体と競合しながらワシントンの政治家に環境保護を訴えています。ドイツでは、環境団体が政党(「緑の党」など)そのものを作り、環境保護を求める市民の声を直接的に政治に結び付けています。日本では、環境NGOの力が弱いので、環境保護は、国際的共同体や国内団体や志ある政治家の支援を受けながら、環境省が何とかせざるをえないのです。
 この研究は環境政策を対象にしたものですが、同じことが保健医療政策にもそのまま当てはまるのではないかと思います。日本では、市民社会の側である患者団体や医療者団体の力が、国家の側である厚生労働省に比べて弱いので、例えば2006年のリハビリ診療報酬日数制限の撤廃運動で47万人の署名が集められたとしても、診療報酬制度は何も変わりませんでした。
 私たち日本人は、この国家と市民社会の関係をどう受け止めたらいいでしょうか。問題があったらいずれは国家が何とかしてくれるのだから、市民社会は弱いままでもいい、と考えますか。それとも現状の問題を解決するため、国家と対抗できるように市民社会を鍛えてゆこう、と考えますか。北朝鮮とイスラエルの例は、国家が巨大になりすぎた時、市民の健康が犯されることを教えてくれましたが、日本は例外と考えていていいのでしょうか。

(参考文献)
・マックス・ウェーバー、1980、『職業としての政治』岩波文庫
・ユルゲン・ハーバーマス、1994、『公共性の構造転換ー市民社会のカテゴリーについての探究』未來社
・Schreurs, Miranda, 2002, Environmental Politics in Japan, Germany, and the United States, Cambridge University Press..
・Schwarts, Frank and Pharr, Susan (eds), 2003, The States of Civil Society in Japan, Cambridge University Press.

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