稲荷日記

新選組沖田総司さんを好きになって×十年!
沖田さんに藤原竜也さんを教えてもらいました・・・・・

函館旅行 ②

2006-06-12 01:08:28 | 新選組紀行

昨日の写真は間違ってしまった。どう考えても立待岬から江差は見えない。
とにかく、今日は昨日の続き。その立待岬から壁血碑へ。確かに山の中。当時の状況を考えるとやはり、人目に立たないところにしか建てられなかったのだろうか。その狭いところにこの日ばかりは大勢の人が・・・・まず、碑にお参りをして、じっくりと回りを観察。そのまま、そこで碑前祭を待とうとしたら係員の方に移動してください。と言われて下へ移動。何とか場所を確保して待つことしばし。太鼓の音ともにご一行がやってきました。ご子孫の方を先頭に、蝦夷共和国幹部、榎本さん大鳥さん黒田清隆さん額兵隊、新政府軍、なぜか本物の自衛隊の姿も、その後ろからさり気なく山本さん登場。余りにさり気ないので、写真を撮るのを忘れてしまう。
我々の位置からはセレモニーの様子はほとんど見えないが、黒田清隆さんーーどうやらこの方が五稜郭祭実行副委員長らしい。のご挨拶に始まり、次々と関係者が献花をなさり、最後は自衛隊のトランペットと、額兵隊の空砲・抜刀で終了。降りてくる山本さんを今度こそはと撮影したのが上の写真です。皮のジャケットがお似合いです。後ろに壁血碑の台座だけが見えています。

次の碑前祭 一本気関門の土方歳三最後の碑で手を合わせる山本さんです。後ろに見える赤い軍服が額兵隊です。壁血碑を後に我々もタクシーで移動しました。運転手さんが山本さん一行は白いミニバンに乗っていると教えてくれました。ミニバンは碑の近く道路とは反対の建物の前に止まっています。しかし、五稜郭祭一行の乗った大型バスの駐車場所が塞がれていてしばし待たされることに・・・どうやら報道の車が止まっていたらしい。今回はセレモニーもよく見えます。額兵隊もすぐ近くにいるので、最後の空砲は凄い音でした。さあ、次は五稜郭!!
でも その前に、碑前祭を見ることができなかった中島三郎助父子最期の地碑にお参り。中島三郎助はペリー来航時の浦賀奉行所の与力で、黒船に乗り込んで交渉に当たりました。長崎の海軍操練所で学んだ砲術家だそうです。函館奉行並みとして蝦夷共和国政府の一員として2人の息子とともに戦い、戦死しています。やはり、神奈川県民としてはこれをスルーするわけにはいきません。中島町という地名に名前が残っていることにも感動しました。

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