Missy の時間

こんな引きこもりのオバさんもいます。

曼珠沙華

2008-09-30 15:04:29 | いろいろ
先週土曜日、娘と一緒に日高市にある巾着田(きんちゃくだ)
に群生している曼珠沙華を見に行ってきました。

一昨年、母を連れて行ったときに、娘から
『私も行きたかったーー!
『え?そうだった?

なんでも曼珠沙華大好きなんだそうで。
知らんかった・・・。

そんなわけでずいぶん時間が過ぎてしまいましたが
娘とデートしてまいりました。

本当は昨年行きたかったんですが、
曼珠沙華の見頃は結構短く(大体9月中旬~下旬)
予定が合わずに行けなかったので、
今年は気合入れて行って来ました。

前回は平日に行けたので車でしたが、
今回は娘の仕事もあり、週末だったので電車で行きました。

最寄り駅からの電車だと飯能駅が終点になってしまうので、
取りあえずそこまで行き、更に池袋線を乗り継いで高麗駅に。


この飯能から高麗までの間、わずか2駅なんですが、
電車がボックス席で、ちょっとした旅行気分が味わえちゃいます。

高麗駅前にも出店が結構出ていて観光客も沢山いて凄く賑やかでした。

娘がおごってくれた抹茶味のたい焼きをパクつきながら
そばにある自販機に、飲み物だけでなく
ポテチやキットカットが置いてある事に感激!
自分は余り観た事がないので、物珍しさについつい購入です。


中身は普通のポテチとチョコなんですけどね。

高麗駅から巾着田までは大体徒歩15分ほどだそうですが、
ちょっとしたお土産やさんが点在していて、
覗きながら歩いたり、これまたついつい足を止めて真剣に物色しちゃったり・・・。

巾着田の周りを高麗川が流れているので、またまたついつい(しつこい・・)川まで降りてみちゃったりして。

確か一昨年は向こう岸まで行かれた様な気が・・・。

あっちフラフラこっちフラフラで、曼珠沙華ゾーンに行くまでに
40分前後かかっていたかも知れません。

ここには早咲きと遅咲きの群生地に分かれているのですが
早咲きの方は一部枯れてきていましたねぇ。

でも遅咲きの方は本当に綺麗でした。
色と言い形と言い妖艶で、その曼珠沙華が真っ赤な絨毯を
敷き詰めたように群生している様子はとても見ごたえがあります。

う~~ん。
これじゃぁ美しさが伝わらない。

この曼珠沙華、咲き方も一風変わっているそうです。

夏の終わりから秋の始めにかけて、30~50センチの花茎が
葉の無い状態で地上に出てきます。
9月中旬~下旬頃に紅い花を咲かせます。
(まれに白や黄色いものもあります)

開花後今度は葉が伸びてきて 春まで葉っぱだけの状態になるそうです。
花と葉を同時に見る事は出来ないそうです。
春になると光合成をして球根に栄養を溜め込み、
は葉も枯れてしまい地表には何も現れません。(休眠期?)
そして又秋になると茎が伸びてくる、と言うサイクルらしいです。

う~~ん。
確かに変わってる。

でもとにかく目を見張るような鮮やかさです。
綺麗です~~。


あと今の時期はコスモスも咲いていて、こちらは色も雰囲気も
可憐で、曼珠沙華とは又違った美しさがありますよねぇ。
広さも大分あるので見ごたえもありますね。


こちらは10月上旬まで楽しめるそうです。
コスモスは摘み取りも出来るそうです。
ちなみに有料(摘み取りの場合のみ)で【20本で200円】だそうです。
受付は3:30までだそうな。


あ。そうそう曼珠沙華の方も入場料が200円かかります。
中学生以下と障がい者手帳を所持している方は無料になるそうです。
駐車料金は普通車で1日500円だそうです。
見頃はあと2・3日位だそうです。


お天気も秋晴れの良い日だったし、
娘と二人、都内に行くのとは少し違う
ちょっとした旅行気分も味わえてとても楽しい一日でした。

でも次の日足が・・・。
何とかこの問題クリアして、本当に又旅行とか行ける様に
なりたいなぁ。

Sweet Rain  死神の精度

2008-09-22 17:30:35 | 映画・DVD・ドラマ
2008年3月公開。主演・金城武。
監督・筧昌也さん。原作・伊坂幸太郎さん。
配給/ワーナー・ブラザーズ。


不慮の死を遂げる事になっている人間の前に現れ、
7日間の調査期間の後《実行=死》か《見送り=生》か
対象者の死を見定める、クールでちょっとズレている
【死神】を取り巻く3つのオムニバスからなる物語です。

《ミュージック》を『人類最高の発明品』と言い、
心から愛する雨男の【千葉・金城武】は、死神。

彼の仕事は1週間の調査期間の後、対象者の死を見定める事です。
見定めの判断基準は(千葉の場合)対象者が生きる目的を
達成したか否か。でも死神自らが手を下すわけではありません。

名前はどの時代に行っても変わりませんが、
見た目は対象者にあわせ変化します。

仕事は取りあえず真面目にこなしますが、
人間に興味がないようで、人間界の価値観や言葉をちゃんと
理解していないらしく、対象者との間でトンチンカンな会話を
する事もしばしば。  
そして合間を見てはCDショップでミュージックの視聴に余念がありません。

相棒は上司の黒い犬。何かと行動を共にしています。


そんな千葉が、【1985年】の扉を開きます。

対象者は、大手電気メーカーの苦情処理部署にいる
27歳の【藤木一恵・小西真奈美】。

小さい頃から自分の周りの大事な人が亡くなってしまうと言う
薄幸の、地味で目立たない女性です。

最近の彼女は、自分をわざわざ指名して苦情を言ってくる
クレーマーに悩まされていて、今の生活にも生きる理由が見付からずに
死んでしまいたいと感じていました。

千葉はそんな彼女の前に現れます。
最初は訝しがっていた一恵も徐々に心を開き始め、
悩みをぽつぽつと話し始めます。

ある日、そんな一恵の目の前に自分を指名していたクレーマーが現れます。
驚き逃げ出す一恵。袋小路に追い詰められる彼女ですが・・・。

後を追いかけてきた千葉は、クレーマーの一言に一恵の見定めを悩みます。
果たして千葉の出した答えは?


次は【2007年】の扉です。

対象者は任侠を重んじ《弱気を助け強気を挫く》40歳のヤクザ【藤田・光石研】。

兄貴分を【栗木・田中哲司】に殺された為、あだ討ちとして栗木を
殺そうとしています。

千葉は、そんな藤田のために彼を慕う若いヤクザ【阿久津・石田卓也】が
連れて来た、栗木の居場所を知る男と言う設定です。

阿久津は尊敬する藤田を、先輩ヤクザに
『もう藤田の時代は終わったんだから』と脅され、悩みながら裏切っていました。

しかし、たった一人であだ討ちしようとする藤田をもう裏切れないと、
千葉を連れ、栗木の元に乗り込みます。

しかしそこに藤田はおらず、千葉と阿久津は敵組に捕まってしまいます。

栗木に阿久津が自分の所にいる事を告げられた藤田は、急いで敵地へ乗り込みますが・・・。


そして最後は【2028年】です。

対象者は、海に面した高台にある美容室を経営する70歳の【かずえ・富司純子】。

彼女はカットに来た千葉をすぐに死神と見破ります。驚く千葉に
『以前に何度か同じ様な雰囲気を持った死神を見た事がある』
と、さらりと言うかずえ。

カット代を払おうとする千葉に、かずえはお金は要らないから代わりに
頼みを聞いてくれと言います。

それは
『明後日、7歳くらいの男の子をカットに沢山連れて来て欲しい。』
と言うものでした。

仕方なく小学校へ向かい、児童達に声を掛け続ける千葉でしたが、
なんと次の日には、変質者扱いで立て看板があちこちに・・・。

千葉は7歳の男の子達を集める事が出来るのでしょうか?

そしてこの依頼をした、かずえの本意は?



観たい観たいと思いつつなかなか観られませんでしたが、
やっとDVDを借りてきて観ました~~。

原作は読んでいません。原作6話の内3話をピックアップしているそうです。


【金城武】さんは日本映画に出演されるのは【リターナー】以来6年振りだそうです。
リターナーも好きだったなぁ、自分。

でも、今回の死神役の方が断然ハマっていると思いました。

とってもカッコいいのに、台詞回しがちょっと一本調子の所が
引っかかっていたのですけれども(よく考えたら発音的に完璧な
日本語じゃない所があるのかも。台湾出身の方だし普段海外で活躍
されてるし)、それが今回、余り抑揚の無い話し方が逆に、
他人に関心がない性格とか、死の見定めを仕事と割り切り淡々と
こなしている感じと合っていてとても良かったです。

あと、人間界に行く前の千葉が、黒い服を着てドア(まるで
《どこでもドア》の様。)に向かって歩いていくシーンも素敵です。

原作者の【伊坂幸太郎】さんも、映画化のオファーをずっと断られて
いたそうですが、金城さんが主演なら、と言う事で快諾されたそうです。


ストーリーは、最初単なる3つのオムニバスだと思っていたのですが、
全てきれいにリンクしていました。

2つ目の途中で『あれ?』と思い、3つ目の割と始めの方で
『あっ、そうなんだ!』とビックリ。


キャストは皆さんそれぞれ良かったです~。

【小西真奈美】さんは、やっぱり伊坂さん原作の、
WOWOWで放映されたドラマ【チルドレン】でもちょっと陰のある
美春と言う書店員役をやっていましたが、スリムで、顔立ちも余り
派手でないせいか、こう言う役とかおとなしめの感じの役が割りと
ハマりますねぇ~。

今回も自分の愛する人達が皆亡くなってしまうと言う可哀想な役でした。
自分ならちょっと耐えられないかも知れません。

あげくに、クレーマーに悩まされ追いかけられる始末。
クレーマーって言うより、もはやストーカーじゃん!と思っていたら
意外な方向へ話は転がっていきます。

あ!そういうオチなんだぁ。と感心(?)してしまいました。

あと彼女、役名の藤木一恵名義で主題歌を歌っているんですが、
これ、いいです。

ちょっと儚げな透き通るような声で、こんなに歌上手だったんだぁと
驚きました。何で今まで歌わなかったのかな?歌詞もとてもいいです。

【光石研】さんも結構色んなドラマや映画に出演されてるんですよね。
そう言えば、今年に入ってDVDで観た【時効警察】【ハゲタカ】
【HERO】【めがね】にもみんな光石さん出演されてました。

今回凄くカッコいいヤクザさん演じられてました。
今時はもうあぁいうヤクザさんは少ないんでしょうか?

渋い役でしたけど、あの笑顔があったかくてとても好きです。

そんな光石さんを慕い、いつも傍にいた若いヤクザが
【石田卓也】君。

彼もいいですね。目が好きです。
彼を初めて見たのは【JUNON】と言う雑誌
スーパーボーイコンテストの予選ページでした。

まだ、髪が茶と言うか金ぽくて長くて、今よりもうちょっと
華奢な感じで、目つきは鋭いけど口元に色気のある男の子でした。
確か15~6歳ではなかったでしょうか?
結局、フォトジェニック賞を取って芸能界に入ったと思いますが、
その後はDVDで【アルバイト探偵アイ】をたまたま観たら
出ていてビックリって感じでした。

あ、あと【時をかける少女】でも声優やってましたね。
顔が見えないとこういう声してるんだぁって改めて思いますけど、
石田君いい声しています。

この役では、先輩に脅されながら、光石さん演じる藤田を悩みながら
裏切っていたけど『やっぱムリ!!』と言う感じで一途に慕う姿が
似合っていて、凄く良かったです。

一人ぽっちで生きてきた阿久津(石田君)にとっては、
藤田が父親みたいな存在でもあったんだと思います。

最後が切ないです。
【富司純子】さんは、失礼ながらとってもキュートでした。
髪型もおしゃれだったなぁ。
でも千葉の髪を切る時の手元が少し覚束なかった様な気も・・・。
千葉が一番翻弄されていた人でしたね。
翻弄されながら一番何かを感じ取った相手だったかも。


ここで3つのストーリーが全て繋がるのですが、
千葉はこの3つの時代の対象者達とふれ合い語り合う中で、
死神にとって仕事として《捌いて》いた《死》と言う軽い存在が、
少しずつ質的にも量的にも重みを増していくものになっていってる
ような気がします。

そして、それと平行して千葉の死神としての《精度》も増しているのでは?

そして最後。『特別ではないけど大切なもの
千葉が《死》への理解、《人間の人生》への理解が出来た時、
彼の中の《精度》も高みへ登り詰め、待ち望んだ青空を目の前に
見る事が出来た。と言うことでしょうか?

青空を見ている時の千葉の服は、人間界にいるときの服では
ありません。長髪に黒服、素の千葉です。

青空を見て素直に『きれいだ』と言う千葉。
《ミュージック》を愛する千葉。
彼は、彼らは本当に死神なんでしょうか??
あぁぁ~。原作読んでみたくなりました。
 (近所の本屋に売ってなかった・・・


シーンで好きだった所は、人間の言葉を今一つ理解し切れなくて
天然ボケをかます所とか、
CDショップ(’85年だからレコード屋さん?)での、
同僚の死神の青山との掛け合いとか(ってか、全く恐くない死神が
何人もいるので笑っちゃいます)、
2007年の阿久津とボーリングしていて、ストライク出してるのに
やたらクールで阿久津に『もっと喜ぼ?』と言われ、
怪訝そうにバンザイするシーン。
そして最後に千葉がかずえと見た青空のシーン。

死神の話なのにホノボノ系と言うのも変な話でしょうが、
切ないけど心が柔らかくなるような映画です。

いやぁ。すっかり長くなってしまいましたが最後に1つ。
 (まだあるんかい)
お手伝いロボットの竹子(名前が渋いっす)、精巧すぎる!!
あと20年であんな精巧なお手伝いロボが世の中に出てくるんだろうか?
もしそうなら是非欲しい!!

長生きしてみようかなぁ~

復活っ!塗り絵熱

2008-09-18 23:22:56 | 塗ってみたり
ですね~~。

台風接近してますねぇ。
九州南部に接近中だそうです。

何か今回の台風はゆっくりモードだそうで
その分色々被害が大きくなると言う事ですよね?
勘弁して欲しいもんです。

お茶だけ飲んだらさっさとお引取り願いたいです。
是非っっ!!


今日は娘の手術後の定期健診に行って来ました。

右目はもう全く大丈夫なのですが、
左の方が、ね。やっぱり神経麻痺してると、ね。
なかなか思うように動かないんですよね。
少しでも動くだけでも凄いことなので。
ましてや左右同じ様になんてほぼミラクルに近いです。

でも先生諦めません。
『休みの日とか右目に眼帯とかして、
 左眼だけで生活してみましょうか。
 動かすことに慣らさないとね。
 もちろん右目も時々眼帯とってあげてね』

《やる事やったんだからもういいでしょ。
的な先生もいらっしゃったりする中で、
この先生の言葉は、娘と私にいつも光と心強さ
与えてくれます。

だから諦めないで頑張れたりもします。
本当にとてもありがたい存在の方です。

頑張るぞ~。
ってか頑張れ娘!!



そんな訳で(どんな訳さ?)・・・。

引っ越してから4年。
年々ダンナに対し少しづつ我が侭になっている自分ですが。
・・・あ。
昨日の話を引っ張っております。

そんな自分ですが、少しでも頭がボケない様
(もう遅いかもですが・・・)色々やってみています。

元々インドア派なので、映画を観たりゲームをしたりしています。
昔は【ドラクエ】(PS2のみ)や【キングダムハーツ】等を
やっていましたが、時間を取られるので少し前からパズル系を
楽しんでました。今でも【ナンバープレイス】はよくやります。

が。
昨年秋頃から、【大人の塗り絵】にハマリ始めました。

これが、脳トレにもなるらしく、色が綺麗で目にも優しいし、
一石二鳥にも三鳥にもなるじゃん、と言う感じで塗っていたのですが、
今年の春先から集中力が切れ始め・・・。

体調がすぐれなかったのもあると思うのですが、
元来の飽きっぽさがテキメンに顔を出し始めて、
塗り出してしばらくすると飽きて、又新しいのに手を出して、
の繰り返しでした。

塗り絵と言っても結構時間がかかるものです。
何色と何色を重ねたら見本の色に近づくかな、とか
考えたり試し塗りしてみたり。
実際塗り出しても新たに何色も重ねてみたり、
影をつけてみたり・・・と2~3時間やっても
大して進まない事も多々あるし。
(と、つらつら言い訳してみる・・・

集中出来るときは、それが楽しくて夢中になっちゃうんですが、
ここ半年近くは、何となく上の空的な感じがず~~っとありました。


【ゴッホ】原画の塗り絵なんて僅かこれだけで挫けてます。
これには我ながら呆れてしまいました。


これは【平野隆司】さん原画の塗り絵です。
途中まではとても気合が入っていたのですが、
何故か突然やる気をなくしてしまい、そのまま状態。

もう一枚塗りかけがあったはずなのに、
それに至っては所在さえわからないと言う・・・。


それなのに、それなのに。
つい見付けて嬉しくて、買ってしまって呆れる自分。


【ノーマン・ロックウェル】の塗り絵です~~。

昔から大好きだったアメリカの画家でイラストレーターの方です。
塗り絵と言うと、有名画家でも日本かヨーロッパの方々で
アメリカの方のものは確か出版されていなかったはず・・・。

まさか、ノーマン・ロックウェルの塗り絵が出るなんて~。

お陰で又、くすぶっていた塗り絵熱に火がついてきました。


【ミュシャ】原画の塗り絵です。
これは肌しか塗っていなかったのですが、ここに来て又
塗り出したものです。

この半年で塗ったのは6枚。それも完成したのは下の2枚のみです。


こちらは見本です。
こちらもミュシャ原画です。これはまだ何とか気合が入っていた頃の
ものだと思います。


平野さん原画です。集中力かけ始めの頃のものかな?
ちなみに見本は紛失してます。


せっかく昨年、色鉛筆【サンフォード・プリズマカラー】も
蛍光色以外揃えたんだし、見てるだけでも幸せではあるけれど
使わないと逆にもったいないですもんね。

ちなみに何故か【ホルベイン・アーチスト色鉛筆】も
少しづつ増えてきてます。
それも何故か寒色系・・・。

まぁ、自分の事ですから絶対に、波は頻繁に来ると思いますが、
出来れば長く続けていきたい趣味です。  

なぜかリーマンからダンナの話

2008-09-17 18:30:46 | いろいろ
今日はいいお天気でしたが、調子はイマイチ。
台風13号が接近してるんだもの、当たり前か。
明日から又しばらくこの辺も雨模様らしいです。

もう雨はいいよお。
からっとした秋らしい爽やかなお天気になって欲しいなぁ。


ところで、アメリカの証券大手の【リーマン・ブラザーズ】が
15日経営破綻したそうです。

自分はお馬鹿故、
株などの証券取引なんてもちろんやった事がないし、
話を読んでも、聞いても、何がなにやらわかりませんが、
世界の経済状態がとてもヤバイ雰囲気になっている事だけは
わかります。

何か六本木にリーマンの日本法人があるそうだし、
各銀行や保険会社などリーマンの関連債権の保有していたり
する金融機関でも軒並み損失額を提示してきているし・・・。
もちろん世界的にも悪影響が出ているようだし・・・。

近いうちに世界的な不況がやってくるんでしょうか?
物価がどど~んと上がったりするんでしょうか?
給料やボーナスがどど~んと減ったりするんでしょうか?

我が家には色々ありまして、蓄えが全くございません。

いや~。
以前ネットでも見たのですが、
本当に、何の前触れもなく経済封鎖(銀行からお金
引き出せなくなる、もしくはお金が紙切れ同様に価値がなくなる)
が起きたりするんでしょうか?
困る困る困るぅ~~。

ネットニュースの関連記事でも
【リーマン・ショック 生活は?】の見出しで、
経済の専門家が
『最悪のシナリオを見込んで生活設計をした方がいい』
と言っているそうで・・・。

さ、最悪のシナリオって??

恐くて考えられません。脳が拒否ってます。
でも考えなくちゃいけんのですよねぇ。

普段は目の前の事しか見ていないダンナも巻き込んで、
今まで何とかやってきた生活も、そろそろ本気で
見直す時期が来てるようです。

さすがのダンナも面倒がってる場合じゃないでしょう。

・・・否。
あのダンナに、
表面上は穏やかそうでも自分の意見(主に自分の都合)は
断固として曲げないダンナに、この相談は通るのだろうか? 

自分が役職の無いときに
『課長が小遣い○万円だから、俺もそれでヨロシク
を、有無を言わさず通したダンナです。

食費が捻出出来ない時でも、自分の小遣いを優先していた
ダンナです。

理屈が通っていようがいまいが、家族が困ろうがどうしようが
自分がよければそれでOKだったダンナです。

今のところに越してきてから、少しずつ変わってきて4年。
でもここぞと言う時には、以前の顔が出てきます。

どうも根本的なもののようです。
悪く言いたくは無いけど、お義父さんもそうでした。
ってか、もっと過激だったかも。

そんなお義父さんについてきたお義母さんも又
何か起こった時の対処の仕方と言うか、考え方が変わってます。

お義母さんは、基本とても好きなんですけどねぇ。

お義父さんもお義兄さんも1歩間違ったらモラルハラスメントの人だと思う。
ダンナは2人に比べたら柔らかいけど(表面上は特に)、
でもその血というか、根本的には同じものがあります。


あぁぁ~~。
何かおかしな話になってきてしまいました。

自分はブログにダンナを出すとどうしてもいい言葉が出てきません。

さっきも書きましたが、
今のところに越してきてからは大分いいのですが、
それまでの18年は精神的に傷付く事ばかりでしたので、
と言うか常に傷ついていたので、
どうもダンナを信じられないのかもしれません。

でもこちらに来てからよく話すようになったし、
何か雰囲気が変わったのも事実です。

何か全てをこちらにオープンにしてる様な感じさえ受けます。
何事も無かったように、一時期ははしゃいでいる様にさえ見えて
それが逆に腹立たしかったです。

ダンナが心機一転の気持ちでいるかも知れないのは分かりますが、
こちらは今まで傷ついてきた事を無かった事には出来ませんでした。

そんなすぐに全てを水に流せるようなら、多分そんなに傷つく事も無かったと思うし。

時間をかけて溶かしていくしかないなぁと思っています。

母も又、父に対して何でそこまでと言う位の我慢をしてきたからか、
認知症になってから特に父に対して尋常でない愚痴と怒りと妄想の
人になってしまったので、それを見ていてああいう風には出来れば
なりたくないと思ってしまいました。

結局家族にも辛い思いさせるわけだし、認知症になってしまう
にしても、もう少し可愛い感じになりたいなぁと思うし。

そういう事と認知症の関連は実際の所は分かりません。

でも、お義父さんも最後の1年くらい認知症になったのですが、
それはそれは穏やかなおじいちゃんになって
お義母さんも
『今までで一番いいお父さんだった
と言っていたくらいでした。

身近だった母と義父が、発症前と全く逆の人格になっていったのを
目の当たりにしているので、ダンナにもその話はしていて、
もし自分が認知症になった時、自分の中のドロドロしたものを
多分ダンナは受け止められないだろうと思い、
それなら今からだしちゃえ、と、
最近の自分は前よりダンナに対して我が侭になりました。

今のところダンナはそれを受け止めてくれています。
しばらくはこれ、続くだろうなぁ。
早くダンナに対するわだかまりを溶かしてしまいたいです。
大事な家族なのに信じられないなんて、本当は辛い事ですもんね。


思い切り話が変わってますね・・・。

まぁ
『そんなダンナを巻き込んで生活を見直そう
と言おうとしただけなんですが。

何でこんな事に・・・。
ど~もすみません。

そうだったんだ。

2008-09-14 18:24:47 | 心と身体
先日【歩けない理由】を更新しましたが、
一昨日母を定期健診に連れて行きましたら、
先生から、衝撃の一言が・・・。

『パーキンソンの症状が出ているね』
えぇぇ~~

先生に指摘されたのは、【筋強剛】、【歩行障害】、【構音障害】などです。

【筋強剛】(きんきょうごう)《筋固縮(きんこしゅく)とも言う》は
筋肉の緊張が高まっている状態の一つだそうです。

たとえば患者さんの腕をお医者さんが曲げ伸ばしした時に、
お医者さんの方に、正常の状態の時とは異なる抵抗を感じるそうです。
スムーズではなくてギコギコといった歯車が回るような感じです。
(歯車様強剛と呼ばれているそうです)

素人目に見ても、肘や肩の辺りが固まっている様な感じに見えます。
ゆっくり動かすと大丈夫なようですが、普通の早さですと
痛がりますし、肩も上がらないようです。

【歩行障害】は歩行が遅く、足を引きずりがちで、歩幅が極端に
狭い(小刻み歩行)、自然な上肢の振りが見られない等の特徴があります。

また、最初の1歩がなかなか踏み出せない《すくみ足》や、
歩き出すと早足になって止まる事が出来ない《加速歩行》等もあるそうです。

【構音障害】とは、小声で抑揚の無い単調な話し方で、
言葉の最後の方が特に小さくなり、口の中でモゴモゴとして
聞き取れないような話し方になる状態だそうです。

母の場合は殆ど何を言っているのか判らない事の方が多いです。


その他にも、自分で調べてみて当てはまっているなぁと思ったのは、
酷くはないのですが、安静時の手指の振るえで、動かす時には止まります。

これは【振戦】(しんせん)と言って、人によって違うようですが
身体全体どこにでもでる振るえのことだそうです。

母は他に顎が振るえる事もあります。

後は瞬きが少なく表情に乏しい【仮面様顔貌】にも当てはまるようです。

【動作緩慢】(どうさかんまん)と言う症状もありますが、
母の場合は殆ど自分で出来ない状態です。

他にもまだパーキンソンには色々な症状がある様ですが、
母の場合認知症の症状もあるので、精神症状などを見た場合、
どちらの症状なのか自分にはよく分かりません。


とにかく歩けない・歩きにくい状態の原因は判ったのですが、
それが、母自体から来ているものなのか、
薬の副作用によるものなのかが、まだわからない状態です。

もし薬の副作用だとしても、もちろん勝手に止める訳には
いかないし、多分飲まない訳には行かない薬だろうし・・・。

しばらくは、症状を補う薬を一つ増やして様子を見るそうです。
何か心配。
余計な心配で済めばいいんだけど・・・。


関係ないけど、今夜は一人ぽっちです。
娘は友達と遊びに。息子は夜勤
そしてダンナは麻雀でっす。

・・・こうやって世間からも家族からも置いていかれるのか??
なんちて。
でも毎日これが続くと淋しいですよねぇ。

以前はダンナが夜中に帰ってくるのが当たり前だったから
たまに早く帰ってくると、正直鬱陶しかったけど、
今は早い帰宅に慣れてしまったから、逆にいないと
淋しいと思うようになりましたねぇ。

どっちにしろ慣れなんだろうか??

まぁ、今日の様に全く一人って言うのも珍しいですからね。
ノビノビとやらせていただきましょう。   

今更ですが、コロー展

2008-09-10 23:56:39 | 美術館とか
何だか今日は、とても良いお天気でしたねぇ。
ってかちょっと暑い。もうちょっと爽やかに・・・。
・・・。贅沢ですかね。
晴れただけでも良しとしませう。
毎日必ず雨が、それも短時間でも大量に降ったりしていたので、
こんなにスッキリしたお天気は本当に久しぶりではないですかね。


さてさて、書こう書こうと思っていながら
ついつい今頃になってしまいました。

・・・って、最近こんなんばっかだな。

ホント今更なんですが。
もう先月末で終わってしまったのですが、
上野公園にある【国立西洋美術館】で開催していた
【コロー展】に行ってまいりました。


それも最終日。それもそれも日曜日。
娘と一緒に行こうと言う事になったので日曜日しか
ありませんでした。

混むよねぇ~。きっと半端ないよねぇ~。

おっ?
確かに混んではいるけれど、思ったほどではなさそうです。

おしっ!行くで~~。

あ~~。やっぱ館内は混んでいる。
当たり前よね。最終日に来る自分が悪いのよね。
我慢我慢。


あ。ちょっとここらでコローさんについて。

【ジャン=バティスト=カミーユ・コロー】
(1796~1875)写実主義・バルビゾン派
19世紀のフランスの画家です。

父親が織物商を営む裕福な家庭に生まれましたが、
その父親がコローに後を継いで欲しかったため、
なかなか画家になる許しを得ることが出来ませんでした。

コローは織物商の見習いを続けながらも、画家になることを夢見て
アカデミー・シュイス(19世紀のパリでアカデミー・ジュリアンと
共に有名だった私的な画塾)に通い修業したそうです。

コローが25歳の頃妹が病の為亡くなり、翌年コローは両親から
画業に専念する許可と、その妹の年金を譲り受けます。
これにより生涯金銭上の苦労を背負う事がなくなったそうです。

本格的に画家を目指す事になったコローは、まず同年代の風景画家
【ミシャロン】に弟子入りし、後、【ジャン=ビクトール=ベルタン】
に師事します。
そしてこの年初めてフォンテーヌブローの森に訪れます。

コローは結構行動派な画家だったようで、フランス各地を精力的に
歩き回りイタリアにも3回訪れて、多大な絵画を制作しています。
(他にもスイス・ベルギー・オランダなど)

サロン(展覧会/宮展)にもたびたび出品して次第に有名になっていきます。

1855年59歳の時には、パリ万国博覧会で6点の風景画を出品し金賞を取ります。
コローの風景画の特徴として霧がかかったような銀灰色が多く用いられ、
これを【コロー色】と名づけられ、当時ファッションの流行色にもなったそうです。
又6点のうちの【マルクーシの思い出】は皇帝ナポレオン三世
(ナポレオン一世の甥)が買い上げました。

これらによりコローの名声は確立され製作依頼の注文が殺到するようになったそうです。



この方の事は、正直名前くらいしか知らないくらいの知識でした。
(それは知識とは言わないでしょ・・・

でも、《コローのモナリザ》と言われている【真珠の女】は
知っていたので、是非観てみたい~と思っていました。

いやぁ。
もうギリギリで何とか。

さすが最終日だけあって混んでいました。
が、全く進まないわけでもなく、2~3列になっていて、
一番前はさすがになかなか動かないので、その後ろ位に位置して
じっくり観たい時だけ待ってでも観るという形を取りました。


風景画家と言われるだけあって、風景画は銀灰色や
柔らかな色合いが多くて、写実的な中にもどこか幻想的な雰囲気があります。

でもこれは、二回目のイタリア旅行(1834年)後から徐々に
コントラストが弱まり、繊細な感じになっていったようです。

あと唐突ですが、観ていて単純に凄いなぁと思ったのが、
他の画家のように、自分の芸術の革新性を主張してきた
訳でもないのに、のちに出てくるセザンヌ、シスレー、
ルノアール、モネ等など、著名な画家達に影響を与えてきた事です。

それらの画家とコローの同じ様な構図の絵が並べられていたりして
そう言うちょっとしたサプライズ的な見せ方が自分的に凄く良かったです。


コローの代表作と言われる絵画はいくつかありますが、
みな晩年に描かれたものばかりです。


【真珠の女】(1858~68年)ルーブル美術館
(1868~70年と言う説もあるようです)

頭部の木の葉のモチーフが真珠と見間違えられ、
既に19世紀からこのタイトルで呼ばれるようになっていたそうです。

コローが手放すことなく自宅の客間に飾って、
10年もの間、手を加え続けたと言われています。

そのせいか、髪の部分がキラキラと光っていて
まるでラメでもちりばめてあるように見えて驚きました。

もちろんこの時代にあるわけも無いでしょうに・・・。

うむむ・・・。
もっと近くで見たい。
仕方なく、少しづつニジリニジリと近寄る私。

おお~う!!
これは、油絵の具・・・!(あ、当たり前ですが・・・)
黒の絵の具が、塗って塗って塗って塗り重ねてありました。
それが立体的になって光に反射して光っていた様です。
コローの10年分の想い・・・がキラキラと輝いていたと言う事でしょうか。


【モルトフォンテーヌの想い出】(1864年)ルーブル美術館

風景画の代表作です。

この絵もサロンに出品された際に皇帝ナポレオン三世に
買い上げられて、フォンテーヌブローのお城に置かれたそうです。

皇帝の失脚後は、財産整理により国の財産となり1879年以来
ルーブル美術館に所蔵されています。

発表後は瞬く間に版画などを通して知れ渡り、
20世紀に入っても紙幣の絵柄になるなど国民的な人気のある絵となったそうです。

《コロー色》が素晴らしいです。
この柔らかで幻想的な空気感は何だろう・・・?
コローだから、いえコローでしか出せない色なんでしょうね。
思わずたたずんでしまうような絵です。

この絵の前では、皆さん少しずつ間を取りながら佇んでいました。



【青い服の婦人】(1874年)ルーブル美術館

最晩年、亡くなる前の年に、胃がんに冒され苦しみながらも
製作された絵だそうです。

この絵は完成後、すぐ個人コレクターの手に渡り、
1900年のパリの万国博覧会に出品されると、
《最晩年の傑作》とセンセーションを巻き起こしたそうです。

一緒に行った娘が、
『私は、《真珠の女》よりこっちの方が好きかも
と言っていました。

ふくよかで柔らかな女性の肌の質感や髪の繊細さと
青いドレスのドレープの大胆な筆致との対照的なところが凄いなぁと思いました。



お土産品。大きい方が娘が買ったもので、小さい方が自分用。

小さいけれど、1ページに1作品が載っていてその前ページに
解説が付いていて観やすいです。
・・・が。
横向きの作品は本も横にしないといけないので、そこがちょっと・・・。
(それは観やすいと言うのか?
う~ん。でも好き。

大きい方も、コローが写生に訪れた場所が写真で載っていたりして素敵です。

もっと大きなカタログがあったのですが、重くて諦めました。


いやぁ~。
でも頑張って行って良かったですぅ。
なぜかず~~っと引っかかっていたんですよねぇ。
おかげでスッキリしました。(何が?



ちなみに今月13日(土)~12月7日(日)迄、
【神戸市立博物館】でコロー神戸展が開催されるそうです。

歩けない理由

2008-09-04 00:00:51 | 心と身体
昨日今日とやっとお天気に恵まれました。
と思ったら暑い・・・。

早く秋らしい爽やかなお天気になって欲しいものであります。

昨日は、母がMRIを撮る為に病院まで付き添いました。

6月頃から、急に足元が覚束なくなってきていたのですが、
先週デイケアサービスでもう殆ど自力で歩こうとしなくなり
車椅子で帰って来たそうです。

本人曰く腰が痛いとの事で、担当医に診てもらい、
レントゲンでは何の変化も見られないらしいのですが
念のためにと言う事でMRIを撮る事になりました。

実は腰の痛みは以前からのもので、ずっとコルセットを
しているのですが、ここに来て急に酷くなってきたようです。

ずっとコルセットをしている事でどうしても筋肉が
落ちてしまうそうです。

が。
私はもう一つ理由があるのではないかなぁと思っています。


母は、愚痴と妄想が尋常ではなく、正常の状態の頃には
見られなかった(抑えていた?)イライラや怒りなどの
興奮状態も酷いものでした。

徘徊も回数を重ねていましたし、夜もなかなか寝ようとせずに騒ぎ出す等、主に介護している父が余りにも可哀想になり、
もし自分が父の立場ならとてもじゃないけど身体が持たないと思いました。
昨年暮れのことです。

何か症状を軽減する薬とか無いのかなぁと
ネットや新聞・本などで色々調べてみましたら、
ちょうどその頃、漢方薬の【抑肝散】の事が、
認知症のいくつかの症状(興奮状態や不眠等)に効き目がある事が
判って来たと書いてあって、
『これだ!
と思った私は父にプリントしたそれらを見せて、
一緒に主治医に相談に行きました。

でも、元々抑肝散と言うのは、子供の夜泣きや疳の虫
効き目のある薬と言う事で、どこにも認知症に効くとは
書いていないと言われ、
素人考えの自分では上手く説明する事も出来ず、
結局その件は流れてしまいました。

ところが、2ヶ月位した頃に、
父が話してあったそうなのですが、社会福祉協議会の
担当の方がその薬を試してみる価値があるのではと、
主治医に掛け合って下さり、服用にこぎつけました。


それから少しずつですが、症状が落ち着いてきて
『良かったねぇ
と言い合っていたのですが、
その反面だんだんと足元が覚束なくなって来たのです。

副作用と言うより、どうも
『どこどこに行きたい!
『だれだれに会わなければ』
と言う思いの強さで徘徊をしていた様なので、
その意思が薄れてしまう事で、歩こうと言う意思も薄れてしまうみたいです。

先日もそうだったのですが、
普段は立ち上がるのにも人手がいるはずなのに
その時は私のバッグがとても気になった様で
何と自分で立ち上がってそこまで行ったり、
私が帰るときもその日は何故か
『私も行く
と、父と私に支えられてですが、ヨタヨタと歩いて玄関まで出て
見送ってくれたのです。

昨日は、居間でさよならしましたが、
すこぶる機嫌がよく、私の事も、普段は余り顔を出さない
のに昨日久しぶりに一緒に行った主人の事も分かっている様な
感じでした。

そんな感じで、自分に意思がある時は歩こうとするようです。


この薬を用いてよかったのか、余計な事を言ってしまったのか
考えると不安で一杯ですが、父は
『妄想と徘徊と夜中に暴れだす事が無くなった事は凄く
 助かってるんだ。あのまま続いてたらこっちの身体が持たないよ』
と言ってくれてはいますが・・・。

それに状態も落ち着いてきたとは言え、相変わらずほんの些細な事で
おへそを曲げて、こちらの言う事を頑として聞かなくなってしまうので
なかなかにシンドイです。
いや、父の方がもっとしんどいのですが・・・。

自分がもっと身体を使えれば、父にもう少し楽してもらえるのに
と申し訳ない気持ちで一杯です。

今まで何度かやってみたのですが、そうすると自分が今度
1~2日必ず寝込む事になります。
情けない限りですが、仕方ないので出来る事で手伝う様にしています。


生まれたときから身体の弱い自分でしたが、
子供を産んだ時も母に
『あんたが結婚して子供を産んで、育てる事が出来る様になるなんて
 思ってもなかった』
と泣かれた事もありましたが、
今ほど身体が弱い事を情けなく思った事はありません。

グジグジ落ち込むのは得意ですが、
でも、泣いてても落ち込んでても身体が丈夫になるわけじゃあ無いので
取りあえず父のサポートを少しでも出来るように
自分の身体にも気をつけながらやって行きたいと思います。