コジタン-故事譚-

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河北の巨人 袁紹

2004年12月29日 | 三国志
字 本初

概略
四代にわたって三公をだした名門の家柄。司徒袁逢の子。189年霊帝が死ぬと宦官誅滅作戦を進めた何進将軍が宦官に殺された。それを機に宮中に兵を入れ、宮中の宦官を皆殺しにした。しかし王権は加勢のために何進が呼び寄せた董卓に移り、袁紹は渤海の太守に任じられた。翌年に董卓討伐の連合軍が催されると推されて盟主となる。その後冀州を本拠に公孫サンと対決。199年に公孫サンを倒し河北に一大勢力を築いた。200年には中原を制覇すべく兵を起こし、官渡で曹操軍と対決する。しかし部下の裏切りもあり敗れ、二年後に病死した。



・袁紹のゲーム上の能力の変遷


三国志Ⅶの袁紹

戦闘80 知力76 政治72 魅力84

相性101 寿命2



三国志Ⅷの袁紹
154~201

武力68 知力75 政冶77 魅力90

義理6 野望13 冷静3 勇猛4 寿命2 相性101 有名5

乱撃3 撹乱4 乱射3 攻城1

袁紹は魅力は見直される傾向にある。Ⅷでは90にもなったが、これはちょっと高すぎだと思う。あと武力の定義は難しいが統率をいれたとしても袁紹の能力はⅧが妥当ではないか。個人的に袁紹の能力はもっとあげてほしい。寿命が短いのは仕方ないか。



・袁紹の評価

陳寿「魏史」袁紹伝の評

 「外寛内忌 好謀無決」

 「有才而不能用、闇善而不能用」

苟「魏史」苟伝の評

 「貌外寛而内忌、任人而疑其心」

范「後漢書」袁紹伝の論

 「初以豪侠得衆、遂懐」

大体の書物での袁紹の評価は外見は立派だが中身は伴わないというものが多数を占めている。しかし袁紹は官渡に負けたからこのような評価を受けるのではないか。袁紹は立派な部分もあったのに、官渡の敗戦が彼の評価を全て決めてしまった。日本史では今川義元と似ているような気がする。